平の将門34

 放歌浪遊

 
 
 蕭々《しようしよう》と、目のかぎりの水、目のかぎりの葦《あし》と空。
 そのむかしの淀川は、後の世よりも、河幅もひろく、そして「大坂」などというものは、まだ、地上に存在もしていなかった。
 けれど、都から、西国や紀州へ行くには、ぜひ、この舟航に依ったので、旅船や小舟は、水郷の漁村に、あちこち、苫《とま》や帆ばしらを、並べていた。
「——江口は、まだか、江口は」
「右手の岸に見えるのが、鳥飼《とりかい》の里だから、もう、いくらもない。——神崎川と、安治《あじ》川の三ツ股に、分れる川の洲《す》。そこが、江口の君たちのいます村だよ」
「思いのほか、迅かったな」
「遊び男《お》の心を乗せるにふさわしい急流だ。——けれど、後朝《きぬぎぬ》を、また、都へもどる日は、舟あしも遅いし、懶《ものう》いそうだぞ」
「いや、後をいうまい。明日《あした》を思うまい。それが、遊びというものだ」
 大河を下る一ツの小舟に、七人ほどの男が乗っていた。
 伊予へ帰る藤原純友を始め——小野氏彦、紀秋茂、津時成の四人と、こちらの見送り人は、八坂の不死人、手下の禿鷹、そして相馬の小次郎の三名。
 朝、舟の中へつみこんだ酒や弁当も、飲みつくし食いつくし、放歌朗吟に、声もつぶし、果ては、舟底を枕に、思い思い、ひと昼寝して、いま、眼が醒めあったところである。
「……やあ、あれが江口か。岸に、柳が見え、家かずも多く、大ふね小ふねも、おびただしく着いている——」
「やれやれ、江口の里か。日も暮れぬうち、はやく着いた。……オオ、女たちの舟が来る」
 俄然、退屈は、けし飛び、遊び心に、たれの顔も、冴えてくる。
 殊に、小次郎には、女護《によご》ノ国へでも来た思いがした。——彼には、人々のような冗戯《じようだん》も口に出ず、ただ目をみはって、近づく岸の家々と、幾艘もの、遊女たちの船に、見とれていた。
 歌人で地方官吏だった紀貫之も、任地の四国から都へ帰る途中、ここを通って、水村の遊里の繁昌を、「土佐日記」に書いている。——まことに、山陽、南海、西国にわかれ去る旅人たちにとって、江口の一夜の泊りこそ、忘れえない旅情を残すものだった。
「おう、喧《やかま》しいぞ」
「まるで、水禽《みずとり》の囀《さえず》りだ……」
 舟が、岸へ近づくにつれ、待ちもうけていた遊女船が、客をとらえるために、一せいに漕ぎ寄せてきた。彼女たちは、絵日傘に似た物を翳《かざ》し——口々に客の舟へ何かさけびかけるのだった。——嬌声、水にひびき、脂粉《しふん》波を彩る——と詩人の歌った通りにである。
 
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