世界の指揮者32

  私は、ムラヴィンスキーのレコードでは、チャイコフスキーのほかに、ブルックナーの『第八交響曲』というのをきいた。演奏は、いうまでもなく、同じレニングラード・フィルである。

 この交響曲については、私は、前にいろいろな指揮者のレコードでききくらべたことがあるので(白水社刊『吉田秀和全集』第二巻所収の「ブルックナーのシンフォニー」参照)、誰がどんなふうにしているか多少は知っているが、その中で、ムラヴィンスキーが比較的近いのは、フルトヴェングラーである。ことにスケルツォ(これとフィナーレのテンポをどうとるかで、この曲の感銘はずいぶんちがったものになるのだが)のテンポなど、実に近い。といっても、ムラヴィンスキーはフルトヴェングラーにくらべれば、ずっと「現代的」な音楽家であり、ロマンティックな趣は乏しく、細かなテンポやダイナミックの変化はずっと少ないのだが、それでいて、基本的テンポがこうであるために、そこにもやはりブルックナーの音楽の途方もない交響的拡がりは感じられなくはないのである。だが、本当に板についているとは、ちょっといいにくい。それは、たとえば第一楽章の第一主題をきいただけでもわかるのだが、この主題はベートーヴェンの『第九』の冒頭主題とまったく同じリズムのパターンをもっているのだが(ブルックナーが意識的にそうしたことはまちがいない)、ムラヴィンスキーでは、付点音符の多いこの主題のリズムが、レガートというより、きわめて乾燥した表情の余韻を短くとったスタッカートで、ばらばらにときほごされて提出されているので、そこに複雑に幾重にも組み合わせられて、築きあげられた緊張が充分に出てこない。こういうことと、音楽的な幅広さを充分にとったテンポの設定とは、矛盾するかのように見える。
 しかし、そこに、ムラヴィンスキーが、いるのである。ムラヴィンスキーとは、私見によれば、そういう指揮者なのである。
 チャイコフスキーの交響曲にしても、すべて、そうである。一方からいうと——というのは、西欧的感覚に近い線からみると——、チャイコフスキーの交響曲は、交響曲というにしては、いろいろ問題があるわけだが——私は図式的、平面的に、これらの交響曲のいわゆる《楽式》の面からいっているのではなくて、むしろ、そのテクスチュアとスタイルの感覚からである——、それだけにカラヤンとかその他の西欧の指揮者がやると、どうしても、抒情《じよじよう》を生命としたラプソディックな音楽に、自然ときこえてしまうのだが、ムラヴィンスキーの指揮によると、そうではなくて、実に烈しくダイナミックで、しかも冷徹なほど構図のはっきり見透《みすか》せる大がかりな大音楽、つまりは「本格的な」交響的音楽として、きこえてきてしまうのである。
 だからといって、俗にいうスラヴ的な、重苦しい情緒纏綿《てんめん》とした音楽としてではなくて、むしろその逆に、かたくななくらい意志的であろうとする意志に支えられた音楽として提示される。
『悲愴《ひそう》交響曲』の第一楽章のあの第二主題。あれは、そうでなくとも、とかくセンチメンタルなこの音楽の中でも、まさに、泣かせどころであって、かつてのこの曲の極めつけの名演とされているメンデルベルクの指揮によるレコードなど、その典型的なものだったが、あすこでは、この主題の反復でヴァイオリンたちがa音から一オクターヴ駆け上がって、そこからまた改めて、‐e‐d‐a‐‐d‐‐h‐a‐aと歌う時など、そのオクターヴはまるでオペラのさわりを歌う声楽家のようにグリッサンドで駆け上がり、それから、一つ一つの音にたっぷりヴィブラートをかけて、歌い上げたものだった。それが、今、ムラヴィンスキーのレコードできけば、音階の一つ一つの音がはっきり区別してきこえるように、きちっとしたレガートでひかれ、そのあとのヴィブラートもまことに趣味よく適当であって、悪どく、脂こい、いわゆる《スラヴ趣味》とは、まったくちがったものになっている(譜例1)。
 それでいて、万事が、さらっとしてしまっているのかというと、けっして、そうではないのである。第一に、この楽章を導入してくる、あのヴィオラのピアニッシモの音型の歌わせ方からして、そこにはたっぷりした音楽があり、さらに、そのすぐあとのゲネラルパウゼが実に力強い印象で迫ってきて、きくものに衝撃を与える。芝居っ気というといいすぎだが、この音楽のもっている演劇的視覚的な効果に対しては、実に敏感で冷静な配慮が施されているのである。だから、この交響曲全部をきき終わって、けっして古くさい、センチメンタルな音楽をきいたという感じは生まれてこない。むしろ、強烈で真剣な、大きな規模をもった音楽にきこえるのである。
 そんなことよりも、私が、ムラヴィンスキーで、もし、多少なりと物足りなく思うとしたら、むしろ、一種の軽妙さと優雅さとでもいったものだろうと想像する。一九五八年にレニングラード・フィルが来日した時、私はチャイコフスキーの『第四交響曲』のスケルツォ、あの弦が全部でピッツィカートを奏する、罪のない、しかし非常にアクロバティックな部分の演奏が、あんまり完璧《かんぺき》なのですっかりびっくりし、感心してしまった。私は、これはチャイコフスキーというより、まるでメンデルスゾーンのあの妖精《ようせい》的なスケルツォみたいなものだと思い、それから、いや、そうではなくて、チャイコフスキーというのがもともとこういう面をたっぷりもっていたわけで、つまらない解説で私たちをまどわした音楽文筆業者たちや、それを出せない演奏家たちが、私たちに先入感をうえつけようとしただけのことだ、と考え直したりしたものである。
 ところが、今度、レコードで、この部分をきいてみると、テンポはずっとおそく、技術的にはもちろん見事なもので感心するほかないが、アレグロ・スケルツァンド、ピッツィカート・オスティナートの軽快味が、どうも出てこない。重くて、むしろアレグレットになっている。そういえば、『悲愴』の第二楽章のアレグロ・コン・グラツィアの例の四分の五拍子も、グラツィアというよりも、力任せに押しまくるような趣が強い。
 これは、どういうものであろうか? いずれにしろ、『第六交響曲』の第二楽章、『第四交響曲』でのスケルツォは、何も、それがなければ、これらの交響曲の意味が失われ、全体の構成が崩壊してしまうような、そんな深刻で重大な急所ではない。しかし、作曲にかけて恐ろしく腕達者だった人、どちらかといえば天才肌だが、素人っぽい音楽家の多かった十九世紀ロシアの民族主義的ロマン派音楽家の全体を通じ、おそらく一、二を争うような大職人であったチャイコフスキーは、いつもいつも深刻そうな顰《しか》めっつらをみせるばかりでなく、もっと素直で、気楽な楽しみを与えることを計算にいれて、曲を書いたのであったろうし、そうなると、こういう部分も重要になってくるだろうにと思うのである。
 いずれにしろ、ムラヴィンスキーは、一度実演できいてみたかった。これは、私だけではなく、日本の何十万という音楽好きの望みだろう。一度は、これがかないますように。
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