決められた以外のせりふ103

「夢のセレナード」

 
 四年前から、毎週、テレビの夜の音楽番組「夢のセレナード」に出演している。
 いや、出演などと言ってはおこがましい。いくつかの歌や演奏の前後に挨拶をし、間にみじかい話を二つか三つするだけの、埋め草のような役である。
 司会者というほどのこともなく、ディスク・ジョッキーというのでもない、いわゆる音楽番組の「語り」の型に捉われず、しゃべりたいことを気ままにしゃべって欲しい、ただし、政治的発言や商業的宣伝は困る、というのが最初のプロデューサーの注文であった。
 NHKとしては、もっともな注文である。
 これは音楽番組であるから、料理でいえば、歌や演奏が御馳走で、カバー・ガールの山本リンダ嬢が食卓の美しい花で、私の話はさしずめ水か葡萄酒にあたるべきである。
 水のような淡々たる風格や、葡萄酒のような香り高い風情は、到底私に具わってはいないから、出がらしの番茶や濁酒のような話になってしまうかも知れないが、とにかく理想としては、水、葡萄酒でゆくべきである。
 この理想にいくらかでも近づくために、毎回、はじめの挨拶に先立って、詩の朗読をすることを、私は提案した。このごろ、詩は人気があるようで、詩の全集ふうの本がたくさん出ているが、四年前には、そんな気配はまるで見えなかった。
 詩と音楽とは双生の姉妹のようなものであるし、古今東西の詩人の作品の雅によって、私の話の俗をいくらかでも蔽《おお》うことが出来たら、願ってもない幸いと言うべきである。この提案は、幸いに受入れられた。
 さて始めてみると、これはなかなかの難物であることが分って来た。
 第一に、時間の制約がある。うっかり話していると、五秒や十秒はすぐに延びてしまう。テレビではこれが禁物である。五分の話を十秒縮めるのはさして難事ではないが、二分の話を十秒縮めるのはまことに難かしい。
 しかし、そもそも、時間のコントロールをするのが、埋め草的話し手の最重要任務なのだから、リハーサルで十秒延びたら、本番では確実に十秒縮めなくてはならない。
 私は話し手というよりも、踏切り警手のような心境を、何度も味わったが、習うより慣れよで、いつの間にか、時間をぴしゃりと決める、こつのようなものを体得した。
 第二に、何でもしゃべりたいことをしゃべれと言われても、そうは行かないことが分ってきた。興味のあることは二分ぐらいでしゃべり切れるものではない上に、自分に興味のあることばかりしゃべっていると、話が単調になってしまう。
 毎週、芝居や犬やたべものの話ばかりしているわけには行かない。数学や火山や指輪の話もしなければならない。衣食住から森羅万象、あらゆる話題に及ぶとなると、しゃべりたいどころか、げんなりするような話も出てくる。
「西暦一五一九年にマゼランが世界一周の旅に……」とか「中国の数学者祖沖之は円周率三・一四一五九二と計算して……」とか、数字を暗記しなければならぬ時には、最もげんなりとした。
 政治的発言はしない約束だったが、例の町名番地の変更なぞ、腹に据えかねる事が起ると、これを押えかねた。
 東京は、私が現に住んでいる私の故郷である。いくら日々新しい道路が造られ、日々新しい団地が開かれようと、黒門町とか箪笥町とかいう美しい、歴史のある町の名を、何々一丁目式の、便利のように見えてちっとも便利でない、目先だけの考えで改悪するやり方には、我慢がならなかった。
 そういう思いをしたことは何度もあって、まことに物言わぬは腹ふくるるわざであることを、改めて知ったが、押えかねて思わず洩らした言葉には、それなりの反応もあり、プロデューサー諸氏も、寛大に容認してくれた。
 三カ月の約束で始めたこの番組も、思わぬ長命に恵まれて、この四月半ばに終了する。ごく内輪に見ても、五百あまりのみじかい話をひねり出したわけで、これは偏えに、構成担当の泉久次氏のおかげである。
 始まったのが、ちょうど四月で、最初の話は、桜の話だった。
 桜の美しいと思う所以《ゆえん》を、私は語った。最終回の最後の話を、やはり桜で結ぼうと、私は思っている。
                                                   ——一九六九年五月 自由——
 
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