貴公子たちの妻問い(一)

【貴公子たちの妻問い】

 
(一)
 世界のをのこ、貴(あて)なるも卑しきも、いかでこのかぐや姫を得てしがな、見てしがなと、音に聞きめでて惑ふ。そのあたりの垣にも、家の門(と)にも、をる人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安きいも寝ず、闇(やみ)の夜にいでて、穴をくじり、かいばみ惑ひ合へり。さる時よりなむ、よばひとは言ひける。
 
 人のものともせぬ所に惑ひありけれども、なにの験(しるし)あるべくも見えず。家の人どもにものをだに言はむとて、言ひかかれども、ことともせず。あたりを離れぬ君達(きんだち)、夜を明かし日を暮らす、多かり。おろかなる人は、「ようなきありきは、よしなかりけり」とて、来ずなりにけり。
 
 その中に、なほ言ひけるは、色好みと言はるる限り五人、思ひやむ時なく夜昼来ける。その名ども、石作(いしつくり)の皇子(みこ)・庫持(くらもち)の皇子・右大臣阿部のみむらじ・大納言大伴の御行(みゆき)・中納言石上(いそのかみ)のまろたり、この人々なりけり。
 
(現代語訳)
 
 世間の男たちは、身分が貴い者も卑しい者も、どうにかしてこのかぐや姫を得たい、妻にしたいと、噂に聞いては恋い慕い、思い悩んだ。翁の家の垣根にも門にも、家の中にいてさえ容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に穴をえぐり、覗き込むほどに夢中になっていた。そのような時から、女に求婚することを「よばひ」と言ったとか。
 
 人が行きそうにない所をもさまようものの、何の効果もない。家の人たちにことづけようとして話しかけても、問題にされない。辺りを離れようとしない貴公子たちは、夜を明かしながら過ごす者が多かった。志が大したことない人は、「必要もない出歩きは、無駄だった」と言って、来なくなった。
 
 そんな中で、それでもなお言い寄ったのは、色好みと評判の五人、恋心が止まず夜昼となくやって来た。その人たちの名は、石作の皇子・庫持の皇子・右大臣阿部のみむらじ・大納言大伴の御行・中納言石上のまろたり、といった。
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