猫の事件34

 鬼はうち

 
 
「とし豆はいかがですか。とし豆はいかがですか」
 会社からの帰り道、カネコ氏は駅前商店街を通り抜けながら商店の呼び声を聞いた。
 とし豆? ああ、そうか。節分にまく大豆《だいず》のことか。とすると、今日は節分、明日は立春。
「へえー、もう二月になるのか」
 ついこのあいだカレンダーを新しく替えたばかりなのにもう最初の月が飛び去って行く。
 春が来て夏が過ぎ秋に変って冬になり、また一年がまたたくまに通り過ぎて行ってしまうのだろう。そして人間は年を取り、老いさらばえて死ぬ。なにかこの世に生きたあかしを残せないものか。
 そう考えたとき、カネコ氏はいささか唐突な連想ながら、
 ——家がほしい——
 と思った。
 いまやサラリーマンが一戸建ての家を持つのは一生の大事業である。文字通りライフ・ワークなのだ。定年まで働いて子どもに家の一軒くらい残してやらなければ親として肩身がせまい。
 カネコ氏は三十四歳。一人息子のキヨシは四歳。定年だの老後だの子孫へ残すものだのを考える立場ではまだないのかもしれないが、当節はそんな暢気なことばかり言ってはいられない。とりわけ家でも持とうと思うなら三十代から考えなければならない。
 今はマンション住まい。これも去年ようやく手に入れたものだ。借金はタップリ残っている。
「ごめんください」
「はい、はい」
「豆を一袋くれないかな」
「はい、どうぞ」
 
 でも、去年の豆まきは、賃貸の小さなアパートだった。
 今年は2LDK。せまいながらも自分の財産だ。キヨシと豆まきをするのが楽しい。
 親馬鹿かもしれないが、キヨシは頭のいい子どもだ。まだ言葉だってそうたくさん知っているわけでもないだろうに、いろいろ推理を働かせておもしろいことを言う。ついこのあいだも鶏の絵を指さして、
「名前はなんていうの?」
 と尋ねたら、しばらく迷っていたけれど、
「カネコ・ニワトリ」
 と呼んだ。
「これなーに?」と聞かれたら「鶏」と答えたのだろうが「名前は?」と言われて困ってしまったのだ。熟慮のすえ、自分の苗字をつけて「カネコ・ニワトリ」と言ったところがおかしい。秀逸だ。あのときの表情が目に浮かぶ。もしかしたら天才かもしれないぞ。どこの親もみんな一度はそう思うのだろうが……。
 
「鬼は外。福は内」
 あちこちの窓から声が聞こえて来る。どこの家でもやっているらしい。こんなことで不幸が逃げ出し、幸福がやって来るとは思わないが、子どもたちの甲高い声を聞いていると、とても愉快な気分になる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「キヨシはどこ? とし豆を買って来たぞ」
「そのへんにいるんじゃないかしら。今日、保育園でも豆まきをやって来たらしいのよ」
「それじゃ、なおのこと家でもやらなきゃ」
 話しているところへキヨシが現われ、
「パパ、おかえりなさい」
「よし、今から豆まきをするぞ」
「豆まき? いいよ」
「窓をあけろ」
「寒いよ」
「寒くてもあけなきゃ駄目だ。鬼を追い出すんだから」
 2LDKの窓をあけ放し、まずパパが大声で、
「鬼は外。福は内。キヨシ、さ、お前もやってみろ。豆を持って勢いよくぶっつけるんだぞ」
「うん。お願いすれば、いいことがある?」
「あるとも」
 キヨシは袋の中へ小さな手を入れ、豆を握って投げる。
「オニワウチ、オニワウチ」
 パパが驚いて、
「違う。オニワウチじゃない。オニワソトだ」
 しかし、キヨシは首をかしげて、
「僕、お庭のあるウチがほしいんだもン」
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