平の将門40

 旧山河

 
 
 富士は富士のままである。武蔵野は武蔵野のままである。また、坂東の平野も、丘も、大河も、小川も、十三年前にわかれた旧山河は、そっくり、彼の記憶のままだった。
「……何ひとつ、変っていない」
 小次郎は、近づく郷里の空へ、つぶやいた。
 流転《るてん》の烈《はげ》しい都から、この無変化な、原始の原貌をもったままの天地へ帰って来て、彼は、回顧のなつかしさよりも、不安に似た寂寥《せきりよう》にとらわれた。
 しかし、さすがに、豊田郷に近づいた日は、生れた郷《さと》の土のにおいが、そくそくと、多感を呼んだ。
「おお。兄だ。——兄が見えた」
「小次郎様にちがいない。小次郎様よ」
 ゆくての道に、一かたまりの人群れが見え、彼を指さして、がやがやいっていたと思うと、中から三、四人の若者が、駈け出して来た。
「兄上。お迎えに出ていました。弟の三郎将頼《まさより》です」
「四郎将平《まさひら》です」
 ——それから、将文《まさふみ》、将武《まさたけ》などの、末弟まで、みな来ていた。
「あーあ。大きくなったなあ、みんな」
 小次郎は、その弟たちの、どの顔を見ても、十三年の空間を、つよく覚えた。田舎武者にはちがいなくても、それぞれ頼もしげな逞《たくま》しさだ。彼は、一ぺんに、愛情の渦に取りまかれ、
「どうだ。おれも変ったろう。おれも、二十九だからな。長い間、留守にして、おまえ達にも、いろいろ苦労が多かったにちがいない。——が、帰って来たぞ。これからは、共に働いて、父の遺《のこ》した領野を拓き、仲よく家門の繁栄に努めようぞ。よく、みな揃って、元気でいてくれた。将頼も、将平も、すっかり成人して、見ちがえる程だよ。よかったなあ」
 ——ありがたいありがたいと、彼は、しきりにいうのである。何へ向ってでもない。ただいッぱいな感謝だった。一人一人の肩を抱き、手を握り、瞼からあふれる涙も知らずにいる。
 ほかの、出迎えは、家人たちである。叔父共の顔は一つも見えなかった。人々が曳いて来た馬の背に乗り、弟たちに口輪を把られ、幸福の門へ迎えられたように、小次郎は、その日、自分の生れた家、すなわち、豊田の館へ、着いたのである。
 部落の民も、この日は、業を休んで、
「館の御子が、成人して、都から帰られたそうな」
 と、祝いあっていた。古い巨大な門の外には、郷の老幼が、むらがって、内を覗き込んでいる。媼《おうな》や田老《でんろう》が、餅だの、麺類など、献上に来るし——まるで、祭の日みたいだ。古雅な太鼓や笛の音も、どこかで、している。
 あたたかい人々、あたたかい言葉、あたたかい家中の酒宴。小次郎は、心も肉体も、愛撫と労《いたわ》りに浸《ひた》りきって、眠りについた。
 だが、翌日。——この巨大な構造の中の一部屋に坐って、あらためて、
「これが、父から遺されて、自分が家長として、これから営んでゆく家だ——」という、覚悟と、感慨をもった時、小次郎は、なぜか、いいしれない、空しさと、佗《わび》しさを、洞《ほら》のように感じた。
 父の良持がいた頃の館とは、まるで違う。その父が死に、十六で郷を離れた頃の館ともなおちがう。こう空虚《うつろ》なのは何だろう。
 変らないのは山河だけだ。また、古い柱や梁《はり》や門だけであった。変りすぎる程、何かが変っている。
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