贋食物誌53

     53 特報・卵

 
 
 困ったことになった。
 立春の日にだけ卵が立つ、と前回に書いた。
 もっとも、節分のころのテレビのクイズ番組に、その問題が出たそうだ。
 立春の夜、ある会のナガレで銀座のバーへ行った。卵について、誰も私の言を信じないので、生卵をもってきてもらって、立てようとした。
「なぜ、その日だけ立つの」
「子午《しご》線と地球引力の関係によって、科学的にそうなるのである」
 と、デタラメを答えて立てようとするが、なかなか立たない。
「ビルの中では、トランジスター・ラジオも聞えにくいように、宇宙線が妨害されるのかな」
 とボヤいているうちに、席の女の子が立てた。それを見たマダムが深く興味を示して、別の席で立てはじめた。
 やがて、そのバーでは、あちこちのテーブルに卵が立ってしまった。
「立春の日だけ立つんですって」
 などという声が聞えてくる。
 十二時過ぎに帰宅してみると、テーブルの上の卵がまだ立っている。時計の針が十二時をまわったとたんに、コロリと倒れる、というのが私の予想だった。
 すぐに眠って、翌朝さっそく調べに行くと、卵はまだ平然として立っているではないか。
 夕刊フジのHさんに頼んで、調べてもらった。
 その調査の経緯を、そのまま書く。
 Hさんは、まず気象研究所の地球科学研究部へ電話したそうだが、聞いてはいますが分かりませんねえ、との返事で、電話を親切に応用気象研究部へまわしてくれた。その部門では、そういう理由はないですなあ、との答え。
 つづいて、国立科学博物館工学研究室に電話した。その回答は、なかなか具体的で納得できるものであった。そういう話はあるが、根拠はない、ただ、しいて理由をつければ、日本で一番寒いのは立春のころである。寒いと卵の中身の流動性が失われてきて、卵の黄身が下に沈み加減のまま動かない、そのために立つ、ただし慎重に上手に扱えば、夏でも立つ、という。
 さらに、お天気相談所に電話した。相手が笑い出して、それはいつでも立つのですよ、昭和二十一、二年ころにその説がさかんに言われたことがあるが、理由はないのです、との返事だった、という。
 そういわれてみれば、私の頭にその事柄が入ってきたのは、丁度敗戦後しばらくしてのことだった。
 Hさんと話し合ったのだが、当時はへんな活気はあったが暗い窮乏の時代だったので、誰かが発案したそういう奇抜な話題が世の中にひろく流布されたのだろう、という結論になった。
 いちかわさぶろう氏は、「銀座にキツネが出る」という話をまじめな顔でバーでしてみたところ、たちまちその話題がひろまった、と聞いたことがある。
 しかし、「コロンブスの卵」の件については、どうしてくれる。
 いま辞書を引くと、説明文の中で「卵」と表記してあって、「茹《ゆ》で卵」という註釈はない。茹で卵は立たないだろうが……、いや、緊急に報告をしなくてはならないことが起った。いま台所から連絡がきて、
「茹で卵も立ちました」
 という。
 私はまったく困った。コロンブスさん、この始末をどうしてくれる。
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