母の背中

あれは 私が十二?三歳の頃

今から六十年も昔
暑い暑い夏だった
農作業から帰って来た母の背中を
冷めたい井戸水で洗いタオルでふいた
「お母ちゃんの背中
 どうしてこんなに黒くて汚いん
 お乳も足も白いのに」
ゴシゴシふきながら笑った
「そりゃあ 日に焼けたんよ
 お母ちゃんは本当は色白で美人なんよ」
あの時の母の笑顔が忘れられない
 
それから数十年も後 母の背中の
秘密がわかった
暑い暑い夏の日
田の草取りをした
玉のような汗が目に入り
顔に張りつく髪の毛を払いながら草を取る
ジリジリ焼けつく背にペッタリ
くっつくシャツ
いつか笑った母の背はこうして
黒くなったのだ
一言の泣き言も苦言も言わず私たちを
育ててくれた
 
九十歳を迎えた母は
昔と同じようにやさしい笑顔で
「ありがとう」しか言わない
変ったのは背中
白くてやわらかくてあかちゃんのようだ
ゆっくりやさしくさすらないと
破れてしまいそう
 
語らず押しつけず
ただ見せてくれた母の背中
今 母の背中のことばがわかる
ありがとう母さん
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