『論語』の憲問篇-41

[白文]41.子撃磬於衛、有荷簣(正しい漢字は「くさかんむり」)而過孔氏之門者、曰、有心哉撃磬乎、既而曰、鄙哉、脛脛(正しい漢字は「いしへん」)乎、莫己知也斯己而已矣、深則厲、浅則掲、子曰、果哉、末之難矣、

 
[書き下し文]子、磬(けい)を衛に撃つ。簣(き)を荷いて(にないて)孔氏の門を過ぐる者有り。曰く、心あるかな磬を撃つこと。既にして曰く、鄙しい(いやしい)かな、脛脛乎(こうこうこ)たり。己を知ること莫ければ、これ已まん(やまん)のみ。深きときは則ち厲(れい)し、浅きときは則ち掲せよ。子曰く、果なるかな、これを難しとする末し(なし)。
 
[口語訳]先生が衛で磬(けい)という石の打楽器を鳴らされた。土砂を運ぶモッコを担いで孔子の門前を通りかかった者が言った。『心の動きを感じさせるな、この磬の鳴らし方は。』。暫くして更に言った。『これはつまらないね。音が固くなり過ぎている。自分を理解するものがなければ、それで終わりになってしまう。深きときは則ち厲し(衣服を脱いで水に深く浸かり)、浅きときは則ち掲せよ(裾を上げよ)と詩でも謳っている。』。これを聞いた先生が言われた。『果断な意見であるな。しかし、その鳴らし方自体は難しいものではないよ。』。 
 
[解説]孔子が衛で磬を鳴らしている時に、ある人が『深きときは則ち厲し、浅きときは則ち掲せよ』という『詩経』の言葉をもとにして、孔子の磬の鳴らし方を批評した。この『詩経』の言葉には、『時流や状況に合わせて適当に振る舞えば良い』という意味合いがあるが、孔子はそういった生き方のほうが楽であることを知りながら、敢えて理想主義的な君子の道を歩み続けていたのである。
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