第十一章:新疆とチベット~一、チベットの概況

 1、概況 

 
 チベット自治区は中国に5つある自治区の1つで、略称は「チベット」。チベット族を主体とする民族自治地域である。中国西南部、青海・チベット高原の西南部に位置している。その南と西はミャンマー、インド、ブータン、ネパールなどの国と隣接し、国境線はおよそ3800キロに達している。チベット自治区の面積は122万k㎡余りで、中国の総面積の8分の1を占めている。 
 
 チベット自治区の平均海抜は4000m以上で、青海・チベット高原の主体となり「世界の屋根」とも呼ばれている。第6回国勢調査によれば、チベット自治区の総人口は300.22万余りで、その内チベット族の人口は271.64万に達し総人口の90.48%を占めている。 
 
 2、地理 
 
 青海・チベット高原は独特な自然的特徴が多いことから、世界の高原高山区域では重要な地位を占めており、地球の「第三極」とも呼ばれている。その所以は、主に海抜の高さと気候の寒さにある。青海・チベット高原の平均海抜は4000m以上で、歴史的に見ると、今から最も近い時期に起きた地殻変動によってヒマラヤ山脈が出来たことと密接に関わっている。高原の周りには大きな山脈が聳え立ち、多くの高山が連なっている。このため、海抜4500m以上の中腹地の平均気温は氷点下で、最も暑い時でさえ10度に満たない。 
 
 また、多くの雪線を超える海抜6000mから8000mの高峰が聳え、世界で最も若い高原でありながら、アジアを流れる多くの大河の源となっている。 
 
 3、歴史と現状 
 
 紀元前から青海・チベット高原に住んでいたチベット族の先人は内地の漢民族と連絡を取っていた。長い月日を経て青海・チベット高原に分散していた多くの部落は次第に統一され、現在のチベット族となった。 
 
 7世紀の始め頃、中国内地の中原地区では、300年余り続いた混乱と分裂状態に終止符が打たれ、それと同時にチベット族の英雄であるソンツェンガンポも正式に吐藩王朝を立てて、首都をラサに定めた。ソンツェンガンポは執政期間に唐王朝の進んだ生産技術、政治と文化の成果を多く取り入れ、政治、経済、文化などの分野で唐王朝と極めて友好的な関係を保っていた。 
 
 13世紀半ば、チベット地区は正式に中国領土内に組み入れられ、その後の中国は中央政権が何度も変わったが、チベットはずっと中央政府の管轄下に置かれていた。 
 
 1644年に清王朝が出来た後、チベットでの中央政府の主権行使を更に制度化し法律化させるため、清王朝はチベットに対する管理を強めた。そして1727年にチベットの地方行政を監督するチベット駐在大臣を置いた。 
 
 1949年に中華人民共和国が成立すると中央人民政府は、チベットの歴史と現状に基づきチベットの平和解放を決めた。またチベット人民の希望に基づき民主改革を行い、封建的な農奴制度を廃除した。こうして100万に上る農奴と奴隷は解放され、彼らが売買、譲渡、交換、債務返済に利用されることは無くなり、人身の自由を得た新しい社会の主人公に生まれ変わった。その後数年間の安定した発展を経て、1965年9月にチベット自治区が正式に成立した。
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