点と線(八)北海道と九州02

 
 三原は、昨日の応接間にまた通された。いま電話で話しているから、少しお待ちくださいと茶を運んだ女の子が言ったが、その言葉のとおりに、安田辰郎は容易に姿を現わさなかった。三原は、ぼんやり壁にかかっている静物の油絵を眺めていた。商用の電話というものは、ずいぶん長くかかるものだと思っていると、
「やあ、お待たせしました」
 と安田辰郎が、にこにこしながらはいってきた。昨日と同じに、三原は彼の態度に気圧(けお)されるのを感じた。
「おいそがしいところを、たびたびお邪魔します」
 三原は腰を浮かせた。
「いや、いや、どうも。あいにくと電話をかけていたものですから、お待たせしました」
 安田は目もとに微笑を見せて、悠然(ゆうぜん)と言った。
「ご繁忙で結構です」
「どうも。しかし、今の長い電話は商売じゃないんですよ。鎌倉の家(うち)と話していたんです」
「ああ、奥さんですか?」
 三原は、昨日きいた、安田の妻が鎌倉で療養している話を思いだした。
「いや、女房の付添の者です。ここんとこ女房の病状があまり思わしくありませんのでね。私が毎日鎌倉に行けないので、電話で容体(ようだい)をきいているわけです」
 あいかわらず安田は、微笑を消さずに言った。
「それはご心配ですね」
「ありがとうございます」
「ところで、安田さん。今日はちょっとおうかがいにあがったのですよ」
 三原は、できるだけ気軽に切りだした。
「はあ、なんでしょうか?」
 安田の表情には、不安げなものはなかった。
「少し古いことですが、今年の一月二十日から二十二日まで、あなたは東京にいらしたでしょうか? これは参考程度におたずねしたいのですが」
 三原が言うと、安田は笑いだした。
「ははあ、私に何か嫌疑でもかかっているのでしょうか?」
「いや、そういうわけではないのです。参考までです」
 三原は、安田が佐山の情死のことに結びつけて言いだすかと思ったら何も言わなかった。二十日から二十二日の三日間の意味を、安田がどんなふうにとっているのか、彼の表情だけではわからなかった。
「ええと、一月二十日ですね」
 安田は目をつむっていたが、引出しの中から小型の手帳を出すと、ばらばらとめくって見た。
「わかりました。その日は北海道に出張しています」
「え、北海道に?」
「札幌に双葉(ふたば)商会といって私の方の大口の取引先があるのです。そこに行ったのです。北海道には二日ばかり滞在して二十五日に東京に帰ってきていますね」
 安田は手帳を見ながら言った。
 北海道。──三原は茫乎(ぼうこ)とした目をした。九州とは、まるで正反対ではないか。
「くわしく申しあげましょうか」
 安田は、三原の顔を眺めながら、目尻に皺をよせて言った。
「そうですな。うかがわせていただきましょうか」
 三原は、ともかくも、手帳と鉛筆とをとり出した。
「二十日の十九時十五分の急行で上野を発っています。これは《十和田》号です」
「ちょっと。そのご旅行は、お一人でしたか?」
「一人です。仕事で出張の時は、今までたいてい一人です」
「わかりました。どうぞおつづけください」
「青森には翌朝の九時九分に着いています。これは九時五十分発の青函連絡船に接続がありますから、それに乗船しました」
 安田は手帳に書きつけた字を拾いながら言った。
「連絡船は十四時二十分に函館に着きます。これも根室行の急行に接続があります。十四時五十分発の《まりも》です。札幌には二十時三十四分に到着しました。駅まで出迎えてくれた双葉商会の河西(かわにし)さんという人の案内で市内の丸惣(まるそう)という旅館にはいりました。これが二十一日の夜です。二十二、二十三日はそこに滞在して、二十四日に北海道を発ち、二十五日に帰京しています」
 三原は、そのとおりを手帳に写した。
「どうですか、こんなことでお役に立ちますか?」
 安田は手帳を置いて、やはり笑いながら言った。
「よくわかりました。ありがとうございました」
 三原も応えて唇をほころばせた。
「あなたのお仕事も楽ではありませんね。いろいろと調べなければならないわけですね」
 平静な言い方だったが、三原の耳には多少皮肉に聞こえた。
「お気を悪くしないでください。ただ、われわれの気やすめに、うけたまわっただけですから」
「いやいや、そんな気持は少しもありませんよ。また、どうぞなんでも聞きに来てください」
「おいそがしいところを失礼しました」
 三原が帰るのを、安田は出口まで送ってくれた。あいかわらず、落ちついた、不安のない態度であった。
 三原は、本庁に帰る前に、いつも行きつけの銀座の喫茶店にはいってコーヒーを注文し、手帳を見ながら、安田の言ったことを紙に表に書いて整理した。
1月20日。上野発19:15─(十和田)→青森着21日,9:09。
青森発9:50─(青函連絡船)→函館着14:20。
函館発14:50─(まりも)→札幌着20:34(駅に出迎え人あり)
21日─(旅館丸惣滞在)─24日。同日発,25日帰京。
 三原がこれを眺めていると、注文のコーヒーを持ってきた女の子が、
「あら、三原さん。北海道に旅行なさるの?」
 と、紙を上からのぞきこんできいた。
「うん。まあね」
 三原が苦笑すると、女の子は、
「いいわね。このあいだ、九州にいらしたばかりで、こんどは北海道なの? 西のはてから北のはてまで飛びまわるのね」
 と、うらやましそうだった。
 そうだ。確かに舞台は、日本の両端にひろがったといえそうだった。
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