今日からマ王13-4

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 ノックもせず乱暴に扉《とびら》を開けると、船の主は弾《はじ》かれたように顔を上げた。光に透《す》けるほど淡《あわ》い金色の髪《かみ》が、白い頬《ほお》にかかっている。
「ユーリ?」
「サラレギー、自分のしてることが判ってるか!?」
 僅《わず》かに顎《あご》を傾《かたむ》けて、薄いレンズ越《ご》しにおれを見詰《みつ》める。指をいっぱいに広げた華奢《きゃしゃ》な手を、膝《ひざ》の上に載《の》せている。椅子《いす》の脇《わき》には飾《かざ》りのない小瓶《こびん》が置かれていた。
「爪《つめ》に艶《つや》だし液を塗《ぬ》っていたところだよ。わたしの物で良ければあなたも使って。小さな怪我《けが》は旅に付き物でしょう。城の中でゆっくり過ごすのとは違うから、爪のひび割れにも気をつけないと」
「爪補強のマニキュア? いやおれはピッチャーじゃないから……じゃねーだろサラ!」
「何を怒《おこ》っているのユーリ、わたしは何かあなたの気に障《さわ》ることをしたかな」
「神族の人達を!」
 後ろについていたヨザックかウェラー卿が、いいタイミングで扉を閉めた。
「神族の人々を、あんな酷《ひど》い目に」
 先ほどの様子をまざまざと思い出す。
 船倉から降りてきたおれたちを、黄金の瞳《ひとみ》は一斉《いっせい》に見上げた。頼《たよ》りない灯《あか》りでざっと数えただけでも、大人が百人はいただろう。隅《すみ》の方には甲板《かんぱん》で会った女の子が、調達した食糧《しょくりょう》を細かく切って配っていた。我も我もと次々に手がだされるが、胸に隠《かく》し持ってきた分だけでは到底《とうてい》皆《みな》には行き渡《わた》らない。それでも彼等は特に騒《さわ》ぐわけでもなく、貰《もら》えなかった者は悲しそうな顔で諦《あきら》めた。慣れているのだ。食べ物の足りない状態に。
 小さい子供がいなかったのは幸いだが、成人だからって逃《に》げ出した国に連れ戻していいはずはない。しかもあんな、冷えて湿気《しけ》った船底という、旅をするには劣悪《れつあく》な環境《かんきょう》下で。
 理由《わけ》あって難民になった人々を、保護もしないで強制送還なんて酷《ひど》すぎる。
「何考えてんだサラレギー、せっかく小シマロンにまで辿《たど》り着いた神族達を、匿《かくま》いもせずに聖砂国に突《つ》き返すなんて!」
 小シマロンの少年王サラレギーは、おれの怒《いか》りの理由がさっぱり判《わか》らない様子だ。
「だって彼等は聖砂国の者だよ。自分達の生まれ育った国に帰してあげるのが一番幸せでしょう?」
「けどあの人達は、国から逃げてきたんじゃないか! 小さな船にぎっしり乗って。救助を求めて手を振ってたけど、普通の遭難者じゃない。難民だろ? おれも見たぞ、あのとき港にいたからなっ」
 偶然にも神族の子供二人を保護したのは内緒《ないしょ》だ。更《さら》にその男女の双子《ふたご》ゼタとズーシャが、おれ宛《あて》の手紙を持っていたのは極秘事項《ごくひじこう》だ。
「難民……そうか。そうかもしれないね」
 あまりにのんびりとした反応に焦れて、おれは拳《こぶし》で壁《かべ》を叩いた。
「だったら!だったら国に戻《もど》しちゃマズイだろう。迫害《はくがい》されたり、生命の危機を感じたりして亡命するんだからさ。それを助けもせずに聖砂国に帰しちゃったら、あの人達どんな目に遭《あ》うか判らないんだぞ!?」
「そうなの?」
 サラレギーは眼鏡《めがね》の中央に人差し指を当てて、羽根でも扱《あつか》うみたいに軽く押し上げた。薄紅色の唇《くちびる》は邪気《じゃき》なく微笑《ほほえ》んでいる。
「彼等は迫害されてるの?知らなかった。ユーリは誰《だれ》からそう聞いたの?」
「……や」
問い返されて、言葉に詰まる。誰に聞かされたわけではない。港で救助を求める人々を眺《なが》め、保護した二人の様子を見て、おれが推測しただけだ。特に説明は受けなかった。だって、言葉が通じないのだから、詳《くわ》しい事情を聴《き》くのは不可能に近い。
「いや、別に、確かめたわけじゃないけど」
 やろうとしても無理だったはずだ。
「それくらい、見れば判るだろ」
 既《すで》に言い訳だ。急に自信がなくなる。彼等は生き延びるために故国を離《はな》れた難民で、小シマロンに保護を求めていたのだと思っていた。当たり前のようにそう信じていた。彼等について殆《ほとん》ど何も知らないのに、当事者達に事実を確かめもせずに、勝手に決めつけていたのだ。
 けれどサラレギーは違う。
 彼は統治者としての教育を十七年間みっちり受けてきた人間だし、おれなんかよりもずっとこの世界の情勢に明るい。聖砂国の内情に関しても、おれたちよりずっと詳しいだろう。その彼を前にして、新前魔王《しんまいまおう》の自分が説教をしようとしているなんて。
「ユーリは凄《すご》いな」
 だが、弱冠《じゃっかん》十七歳にして小シマロンを統率《とうそつ》する少年は、長い睫毛《まつげ》を数回瞬《またた》かせて溜息《ためいき》をついた。右掌《みぎてのひら》を胸に当て、左手をそっと上に重ねる。
「あなたは本当に凄いな。あなたの眼《め》はほんの小さな欠片《かけら》から、物事の深層を見抜《みぬ》いてしまう。ユーリは本当に、王になるために生まれてきたような人だ」
 いきり立った揚句《あげく》、一方的に責めた相手に誉《ほ》められて、膝まで床《ゆか》に埋まったような気分だ。
「……そんな、奴《やつ》、いるわけない」
 色の見分けられない瞳を細め、優雅《ゆうが》に首を振る。
「わたしがそう決めたんだ」
確かに、ゼタとズーシャが携《たずさ》えてきたおれ宛の手紙には、自分達を助けてくれ等《など》とはどこにも書かれていなかった。ただ、べネラという地名か人名を救って欲しいと、それが彼等の希望であるからとしか、知性の人フォンクライスト卿《きょう》ギュンターの頭脳を以《もっ》てしても解読できなかったのに。おれは勝手に想像を膨《ふく》らませて、神族の人々を難民だと決めつけてしまった。
 褒められる資格なんかない。
 そんなことも知らずにサラレギーはおれの手を握《にぎ》り、熱っぽく語りかけてくる。
「彼等《かれら》は救命艇《てい》に乗った状態で発見されて、わたしの部下がいくら事情を訊《き》いても、話さなかったらしいんだ。心を許してくれなかったんだね。だからわたしは……きっと大陸近くの海で遭難して、救助を求めているのだろうと判断して、一刻も早く祖国に還《かえ》らせてあげようと思ったのだけど。憶測《おくそく》で物事を運んではいけないね。ユーリ、教えて欲しい。わたしは彼等をどうすべきだと思う? 彼等にとって最善の方法は何なのだろう」
「それは」
 喉の奥に苦いものがこみ上げてきた。心の底を覗《のぞ》かれているようで、段々呼吸がしつらくなる。まだ手は握られたままだ。
「……考えよう、一緒に」
 そう答えるしかない。
「こういうとき、あなたの国ではどう対処しているの?」
突然《とつぜん》サラレギーが、顔をぐっと近づけてきた。レンズ越しなので色は定かではないが、瞳はキラキラと輝《かがや》いている。
「対処?」
「難民だよ。周辺諸国から難を逃《のが》れて来る民《たみ》が、眞魔国にもたくさんいるのでしょう?ユーリ、あなたたちの国ではどういう制度があるのか、よければわたしに教えてほしいんだ」
「制度って……」
 そういう方面はフォンクライスト卿に任せっきりですなんて、とても言える雰囲気《ふんいき》ではなかった。実のところギュンターは更にフォンヴォルテール卿に丸投げですなんて、益々《ますます》もって言えやしない。眞魔国の場合の実情は、おれより周りの皆さんのほうが詳しい。
 何てことだ、王を名乗る人物が自国について何も知らないなんて。おれのへなちょこぶりときたら、百万回罵《ののし》られても反論できないくらいだ。
「考えてみりゃあ、オレ自身が生きた見本ですかねぇ」
 お庭番の存在意義は身辺警護ばかりではないとばかりに、ヨザックが援護《えんご》してくれた。
「ほら、魔族と人間、両方の血を引いているオレは、どっかの人間至上主義国家で、這《は》いつくばってるのを拾ってもらったわけだし。ね?」
 最後の「ね」が誰に向けて発せられたものなのかは判らない。
「それに坊《ぼっ》ちゃ……陛下は、某国《ぼうこく》への留学期間がとても長かったから、眞魔国の慣例を手っ取り早く説明するのは苦手なんですよね。留学先ではどうだったんです? そちらのいい部分をうちに導入するために、なっがいこと向こうで過ごしたんでしょ?」
「うーん、あっちでは」
 あっち、つまり地球ではどうしているのだろう。おれが彼等の立場を断定したのは、鮨詰《すしづ》めになった小舟《こぶね》で助けを求める光景を目にしたせいだった。よく似た映像をテレビで何度も見ている。砂漠《さばく》を横断してキャンプに辿り着く人達や、壊《こわ》れかけた船で命懸《いのちが》けの旅をする人達だ。彼等はあの後、どうなるのだろう。どんな運命が待ち受けているのだろうか。
「海外では、受け入れてそうな気がするなぁ。でも制度としてどうかって言われると」
 アメリカは人種の坩堝《るつぼ》とか移民の国なんて呼び方をするけれど、移民と難民では立場も違《ちが》うだろうし。日本では……。
 足元を見詰《みつ》めたくなった。座り込んで床板《ゆかいた》の木目に沿って、人差し指でただただ、のの字でも書いていたい。
「……あまり、建設的な話を聞かないよ」
 ヨザック、親切心を生かせなくて本当にすまない。
「でっ、でも、事情が判らなかったから聖砂国に連れ戻すったって、あんな環境での長旅は許されないと思うぞ。磯臭《いそくさ》い船底に乗車率オーバーで詰め込むなんて。ああ船だから乗船率か。女の子なんかこんな寒いのに上着もなかったし。服くらい貸してやれよ。それと朝晩たっぷり食わせてやれよ! 食糧《しょくりょう》と毛布は全員分渡せ、基本的人権とかに関《かか》わるだろ!?」
「基本的、人権……?」
 サラレギーはたどたどしく繰り返した。初めて聞く用語だと言わんばかりに。
「だってユーリ、彼等は奴隷《どれい》だよ」
「ど……」
 もう駄目《だめ》だ、文化的ギャップについていけない。血液が急に動いて立ち眩《くら》みがした。
 おれの貧困な脳内アーカイブにおける奴隷制度知識は、歴史の資料止まりだ。大航海時代にヨーロッパ諸国がアフリカ大陸から人々を無理やり遅れてきて人にあらざる扱いをして労働力に……。
「奴隷って……今、何年よ。奴隷制度が廃止《はいし》されてどれだけ経《た》ってるよ。イヤ待テ、発展途上《とじょう》中の紛争《ふんそう》地域では未《いま》だに公然と人身売買が……まずい、段々ごっちゃになってきた」
 脳味噌《のうみそ》の回転率を上げすぎて、オーバーヒートしそうになった。背後にぐらりと倒《たお》れかかる。ヨザックの胸に後頭部がぶつかった。
「坊ちゃん頑張《がんば》れー、ガンバレ坊ちゃーん」
 頑張っては、います。全力で頑張ろうとはしているが、次々と新たな困難が立ち塞《ふさ》がるものだから、瞬間《しゅんかん》的にちょっとへこたれ気味だ。まったく異世界というのはどうしてこう、解決の難しい問題ばかりが持ち上がるのだろう。
「悪イ、サラ、おれの住んでる国にそういう制度ないし、今まで奴隷のいる国に行ったことないんだけど。だからちょっと説得力に欠けるかもしんないけど。でも奴隷だからって酷《ひど》い待遇《たいぐう》におくのは、どう考えても間違《まちが》ってる気がするぞ」
「奴隷がいないって、本当に!?」
 サラレギーが心底驚いた声で言った。綺麗《きれい》な指先《くちびる》を唇に当てている。
「汚水《おすい》処理なんかは誰《だれ》がやるの?」
「あー、それはですねェ」
 振《ふ》り向くとヨザックが遠い目をしていた。
「下《した》っ端《ぱ》兵士が」
「では危険を伴《ともな》う灌漑《かんがい》工事や、過酷《かこく》な環境《かんきょう》下での開拓《かいたく》作業は?」
「それも下っ端兵士が。なーんだ、眞魔《しんま》国における下っ端兵士って、人間以下の扱《あつか》いだったんだなぁ」
 ずっと黙《だま》り込んでいたウェラー卿が、苦々しい口調でヨザックを遮《さえぎ》った。
「嘆《なげ》くな。訓練も出世もさせていただろう」
「そりゃそーだけど」
 当時の上下関係を匂《にお》わせる会話だ。
「とにかくね、サラレギー、奴隷だからとか貧乏《びんぼう》だからとか、身分や貧富の差は関係なく、人間には平等に人間らしく生活する権利ってものが……いきなり言っても通じないかー。手っ取り早くいえば、腹減って食べるパンにも事欠いて、台所から盗《ぬす》ませるような生活させちゃ駄目ってことさ」
「え、どうして? 麺麭《パン》がないの? だったら」
 十六年間に亘《わた》る人生において、まさかこの有名な台詞《せりふ》を生で聞く羽目になろうとは思いもしなかった。サラはそれこそサラリと言ってのけた。
「お菓子を食べればいいじゃない」
 おれはがっくりと床に這った。両掌《りょうてのひら》にささくれ立った木が触《ふ》れる。周囲が真っ暗になり、天井《てんじょう》から落ちてくる淋《さび》しい色のスポットライトが、自分だけを照らしているような気分だった。
 おれがへなちょこ魔王なら、サラレギーは超《ちょう》・王様だ。パンがないならケーキを食べればいいじゃない主義。まさしく生きたマリー・アントワネット。
「ま……マリー様」
「陛下、よかったら使って」
 腰《こし》を折ったヨザックがレースのハンカチを渡してくれる。
「ありがとうグリ江《え》、ボクもう疲《つか》れたよ……なんだかとっても眠《ねむ》……いや待て。この揺《ゆ》れは何だ?」
床板についている両手と膝頭《ひざがしら》から、波の仕業《しわざ》ではない細かい震動《しんどう》が伝わってきた。すっかり慣れた海の旅の緩《ゆる》やかな揺れではない。もっと強く、電動モーターにも似た「ぶれ」だ。
「海流だ」
「巨大《きょだい》タコだ!」
 船の主である小シマロン王サラレギーと、ベテラン兵士のヨザックが同時に予想した。
 サラが表情を硬くして語りはじめる。
「聖砂国の近海には季節ごとに形態を変える海流があるんだ。だから一年を通して決まった時期にしか海を越《こ》えられない。今年は残り数日の予想だったから、ギリギリ通過できるかと踏《ふ》んだのだけど。海原《うなばら》という自然界のことだからね、もしかしたら潮流の進行が早まったのかもしれない」
 よく解《わか》らないけど鳴門《なると》の渦潮《うずしお》みたいなものか。最初は手と足にしか感じられなかった震動が、徐々《じょじょ》に大きくなってきた。潜水艦《せんすいかん》でも接近して来るような揺れだ。テーブルの上に置かれた瓶《びん》が、カタカタと音をたてて中身を零《こぼ》す。
「最悪の場合、どうなるんだ」
「確かなことは言えないよ。わたしだって赤ん坊《ぼう》の頃《ころ》に体験したきりだ。ただ、流れにまともに巻き込まれたが最後、熟練した船乗り達でも無事に脱出《だっしゅつ》するのは至難の業だと聞いている。経験のない貨物船の操舵手《そうだしゅ》では、どう足掻《あが》いても聖砂国には辿《たど》り着けない。それどころか難破する可能性も……」
「まだ大ダコの線も残ってますよ! 白くてデカくて足が十本ある、皮は固いけど肉は軟《やわ》らかい奴《やつ》だ」
 それ既《すで》にタコではないのでは? お庭番はイカにも嬉《うれ》しげに唇を舐《な》め、腰に帯びた剣《けん》に指をかけた。
「ちょうど良かった、今食べたいもの第一位がタコテンです。創作料理に挑戦《ちょうせん》したいお年頃の若奥様になりきって、足を一本二本ぶった斬《ぎ》ってきますから。レッツゴー血に飢《う》えた若奥様」
「割烹着《かっぽうぎ》で言われると迫力《はくりょく》が違うなぁ」
 船室の外が俄《にわか》に騒《さわ》がしくなる。扉《とびら》を開け放つと、初めての緊急《きんきゅう》事態に慌《あわ》てふためいた船員達が、広いデッキを右往左往していた。
「……日数的には、まだ遭遇《そうぐう》しないはずだったんだ」
 らしくない憎々《にくにく》しげな声に驚いて隣《となり》を見ると、サラレギーが花びら色の薄《うす》い唇を噛《か》んでいた。自分の計算が少しだけずれたのが、余程《よほど》悔《くや》しかったのだろう。
「思いどおりにならないときもあるよ、サラ。相手は自然なんだからさ」
「何であろうと……ッ」
 細く美しい指を握《にぎ》り締《し》める。先程手入れをしたばかりの艶《つや》めく爪《つめ》が、白い肌《はだ》に食い込んだ。
「思いどおりにならないものは許せない」
 挫折《ざせつ》ばかり味わってきたおれには、とても持てない怒《いか》りの感情だ。
 
 汚《よご》れた毛布でぐるぐる巻きにした長い物を、アーダルベルトは床に放りだした。芋虫《いもむし》状に転がった荷物から、か細い呻《うめ》き声が漏《も》れる。
「ほらよ、ご希望の品だ」
「礼を言います、義父《ちち》に成り代わって」
「存分にやれや。どうせ死にやしねえから」
 広々とした艦長《かんちょう》室では、フォンクライスト卿《きょう》・子世代・ギーゼラが腰に手を当てて、冷たい視線で毛布巻きを見下ろしていた。血の気がなくとても顔色が悪いが、ここにいる人々の中で最も体調がいいのは彼女だ。長期に渡りカロリア復興に尽《つ》くした後だったので、場所柄、魔力は使えなくても、身心共に充実《じゅうじつ》している。
 その義父であるフォンクライスト卿ギュンターはというと、一瞬《いっしゅん》とはいえ燃やされかけ、しかも海に落ち、そのうえ法術酔《よ》いという三連発ですっかり体調を崩《くず》し、隣室《りんしつ》のベッドで撃沈《げきちん》していた。同じ目に遭《あ》ったフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムはそれなりに回復し、日常生活に支障がない。八十二歳、若さの勝利だ。
 眞魔国要人の一部が集まっているのは、鮮烈《せんれつ》の海坊主《うみぼうず》ことサイズモア艦長の「うみのおともだち号」だ。サラレギー軍港で軍事政変が勃発《ぼっぱつ》した際には反対側の港に停泊《ていはく》していたが、第一報と同時に現場に駆《か》けつけたのだ。うみのおともだち号とその仲間達の迅速《じんそく》な行動のお陰《かげ》で、巻き添《ぞ》えを食って海に投げだされたギュンターも、胸に矢が突《つ》き刺《さ》さったヴォルフラムも事なきを得た。緊急時に的確な判断を下したサイズモア艦長をいくら褒《ほ》めても褒め足りない。少ない頭髪《とうはつ》が減るほど撫《な》でても撫で足りない。
 そのヴォルフラムと、カロリアから急遽《きゅうきょ》駆けつけたギーゼラの他《ほか》に、戸口に寄り掛《か》かるようにして、芋虫状の荷物を運んできたアーダルベルトがいる。最悪の組み合わせに近かった。
 魔族似てるといっても過言ではない三兄弟の三男坊であるヴォルフラムと、彼等を、ひいては国を裏切ったフォングランツ・アーダルベルトは、顔を合わせた途端《とたん》に一悶着《ひともんちゃく》あった。冷めた態度のアーダルベルトはまだしも、ヴォルフラムに至っては抜《ぬ》き身《み》の剣で襲《おそ》いかかる始末だ。肉体の魔術師《まじゅつし》ギーゼラが「おとなしくしないと両者とも全身を麻痺《まひ》させる」と断言しなければ、血を見る事態になっていたはずだ。
 ちなみにその間、「いつでもどこでもダカスコス」は、部屋の隅《すみ》っこでただただ怯《おび》えていた。
 開きっ放しだった扉の外には、少し距離《きょり》を置いて人だかりができている。うみのおともだち号の乗員達だ。小鳥の雛《ひな》みたいなぽやっとした頭頂部も、参加したそうに人垣《ひとがき》の向こうで飛び跳《は》ねている。あれがサイズモア艦長だろう。
「んぷは」
 毛布巻きの中から酸素を求めて顔を出したのは、かつては優秀《ゆうしゅう》な小シマロン軍人であり、サラレギーの忠実な犬とまで呼ばれた人物だった。ナイジェル・ワイズ・マキシーン。小シマロン軍に刈《か》り上げポニーテールを流行《はや》らせた男だ。
 ユーリの杖《つえ》だった喉笛《のどぶえ》一号に寄りかかったままで、ヴォルフラムが転がった男を指差す。
「こいつだ! こいつがぼくとユーリを撃《う》たせたんじゃり!」
 病《や》み上がりで声も嗄《しわが》れ、語尾《ごび》もジャリってて痛々しい。
「うっ、キサマ、あの時の魔族の……一体何故、魔族がサラレギー様のマントを身に着け、いつもあの御方が立たれる位置に陣取《じんど》っていたのだ!?」
「それはこっちが訊《き》きたいじゃり! 正式な特使団として渡《と》シマしていたぼくらを狙《ねら》えば、どんな大事になるか考えなかったのか」
「違《ちが》うぞ私は……」
「どちらにしろ」
 膝《ひざ》をつき身を屈めたギーゼラが、彼女特有の青白い手でマキシーンの顔を持ち上げる。普段《ふだん》なら傷を癒《いや》すための優《やさ》しい指が、無精髭《ぶしょうひげ》の生え始めた頬《ほお》に食い込んだ。
「キーナンに逃《に》げられた今、この野郎の身体《からだ》に訊くしかありません。あら失礼、この男のお口にでしたね。確かマキシーンさんといいましたね。あなたがた小シマロン軍内部の異端《いたん》分子は、何故わたしたちの陛下に矢を放ったのですか? もし陛下ではなく、少年王サラレギーを亡《な》き者にしようと企《たくら》んだのなら、その目的はどこにあったのですか。さああまり手間を取らせずに、ツルッと喋《しゃベ》っておしまいなさい」
 口元が不敵に歪《ゆが》んでいる。良くない兆候《ちょうこう》だ。普段から愛の怒声《どせい》に揉《も》まれ慣れている兵士達は、背筋を伸《の》ばして受け身の体勢に入った。くる。きっとくる、きっとくる、覚悟《かくご》をしろ。
「ふん、聞きだせるものならやってみるがいい。拷問《ごうもん》など既にされ尽くした後だわ」
「……拷問だとー?」
 癒しの人、ギーゼラの眦《まなじり》が吊《つ》り上がった。腹から発する声が野太くなる。これが我等の眞魔国軍医療《いりょう》従事者名物、軍曹《ぐんそう》モードだ。
「よく聴《き》け、人間! 虐待《ぎゃくたい》を始めとする古典的で野蛮《やばん》な尋問《じんもん》方法には、我々魔族の医療部隊は否定的だ! もっとも人間は未《いま》だに情報収集の有効な手段として、しばしば拷問をするそうだがな! 爪を剥《は》がし目を抉《えぐ》り、股間《こかん》のぶなしめじ切り落とーすッ! どうしたお前等、何を内股《うちまた》になっている? ぶなしめじに心当たりがあるとでも言うのか!?」
 人垣の向こうでひょこひょこしていた小鳥の雛頭と、頭部輝《かがや》く厨房《ちゅうぼう》見習いダカスコスが、右手と首を必死で振《ふ》って否定した。ないない。
「いいか、臆病《おくびょう》者の兵士崩れ。我等眞魔国医療軍団は、そのような原始的な手など使わん! これからの医療は科学と頭脳と気合いだッ!肝《きも》に銘《めい》じておけ、馬の尻尾《しっぽ》頭め」
 ほぼマンツーマン軍曹モードの迫力に、マキシーンの小さい肝っ玉は縮み上がる。
「例えばここに、フォンカーベルニコフ卿アニシナ女史が試作した新薬・マージョルノキケーン、㈵液と㈼液があーる! どうだ愚図《ぐず》ども、フォンカーベルニコフ卿アニシナ女史は恐《おそ》ろしいかっ!?」
 問いかけに部屋の外の兵士達が叫《さけ》ぶ。習慣で全員が直立不動だ。
「恐ろしいであります軍曹殿《どの》ッ」
「では毒女アニシナとお前等の上官ではどちらが恐ろしいかーっ!?」
「もちろん軍曹殿であります軍曹殿ッ!」
「このウズラボンバヘッドのおべっか使いめが! そういうときは敵に花を持たせてやるものだぞ! まったく、四角い顔して味はまろやかな連中揃《ぞろ》いときてやがる」
「はっ、座布団自主返却《へんきゃく》であります軍曹殿ッ!」
 部下に悪態をつきながらも、ギーゼラはすこぶる上機嫌《じょうきげん》だ。
「相変わらずだな、軍曹殿……」
 アーダルベルトが割れ顎《あご》を掻《か》きながら呟《つぶや》いた。ギーゼラの真の姿に接してまだ間がないヴォルフラムも、鬼《おに》軍曹の剣幕《けんまく》に壁《かべ》まで後退《あとじさ》りしている。彼女に逆らわなくて賢明《けんめい》だった。
「さて、そこでだ」
 ギーゼラは縦に細長い茶色の小瓶《こびん》を握った。
「この、毒女アニシナ作の新薬だ」
 製作者の名前を聞いて、マキシーンは早くも顔色を変えている。
「ど、毒なのか? 毒女作というからには毒なんだな!?」
「ふんぬ」
 剛力自慢《ごうりきじまん》っぽい掛け声で、ギーゼラはマキシーンの顎をこじ開けた。
緑色の㈵液を無理やり流し込むと、顎関節《がくかんせつ》を押し上げて口を閉じる。頬骨を固定したままで、鷲掴《わしづか》みにした頭部を猛烈《もうれつ》に振った。
「吐かぬなら、吐かせてしまえ、力ずく。さあ吐いてしまえ、狙撃の目的をな!」
「ふんがくっくふんがっくっく」
 前後左右にポニーテールが揺れる。
 ㈵液がマキシーンの口内で充分《じゅうぶん》にシェイクされ、口から漏れた薄緑《うすみどり》の泡《あわ》が、軍人らしく刈り込んだ髭を伝う。続いてギーゼラは横長の小瓶を摘《つま》み、午後の太陽に掲《かか》げてみせた。
「そしてここに、血かと見紛《みまが》う赤の㈼液がある。㈵液を飲んだ後、一定時間以内に㈼液を飲みさえすれば……」
「の、げふー、飲みさえすればどうなんだ!? げふー。果たしてそれは混ぜると危険なのか、それとも㈼液が解毒剤《ざい》になっているのかどっちなんだげふー!?」
「それを知りたくばとっとと吐いてしまうことだ。因《ちな》みに取扱説明書にはこう明記されているぞ。アニシナの半分は優しさでできています……けっ」
 ギーゼラは説明書を投げ捨てた。
「どう優しいのかなー、どう優しいのかなー」
 緊迫《きんぱく》した空気に耐《た》えかねて、ダカスコスが背後に倒《たお》れた。マージョルノキケーンを服用してもいないのに、口から泡を吹《ふ》いて白目を剥《む》いている。それを横目で眺《なが》めながら、場で唯一《ゆいいつ》の反魔族派であるアーダルベルトまでもが言う。
「なあ、早く楽になっちまえよマキシーン。これ以上の犠牲者《ぎせいしゃ》が出る前にな。義理立てする相手ももういねえんだろ?」
「ばばば馬鹿《ばか》なことを言うな! この程度の脅《おど》しで屈服《くっぷく》するナイジェル・ワイズ・マキシーンでは……なにょっ!?」
 部屋の外の人垣にまで被害者《ひがいしゃ》が出始めた。ギーゼラの気迫と待ち受ける恐ろしそうな結末に耐えきれず、豪快《ごうかい》な音と共に床《ゆか》に倒れてゆく。
「な、マキシーン。お前にも親兄弟がいるんだろ? あんまり悲しませるもんじゃねぇぞ。泣いてくれるお袋《ふくろ》さんのためにも、全部喋っちまってきちんと罪を償《つぐな》え。後でカツ丼《どん》とってやるから」
 マッチョのくせにホロリとさせやがる。落《お》としのアーダルベルトだ。
「我々は構わんぞ。お前のような腐《くさ》れ根性《こんじょう》無しのへタレヒゲがどこまで意地を張っていられるか見ものだ。何だったらカロリアの街中《まちなか》に放置してやってもいい。あそこの連中はお前を憎《にく》んでいるからな。薮蚊《やぶか》の足よりも細い神経を鍛《きた》え直してくれるだろう」
 ……脅《おど》しのギーゼラだった。
「あ、そういえば」
 沈黙《ちんもく》は金とばかりに静かにしていたヴォルフラムが、たった今思いだした様子で顔を上げる。
「最近妙《みょう》に、母上が鞭《むち》の練習に励《はげ》んでいるんだ。美熟女、何だったかな、美熟女戦士ツェツィーリエ、次にまとめてお仕置きよ? とか決め台詞《せりふ》を呟きながら。またあのおヒゲのコと遊びたいわーなんて言って……」
「ひょぃぃー」
 自分が壊滅《かいめつ》させた都市の名前よりも、美熟女戦士の鞭のはうが効果的だったようだ。マキシーンは傷のある頬を引きつらせ、充血した眼《め》に新たな涙《なみだ》を浮《う》かべながら懇願《こんがん》した。
「い、言う。言う言う言う! 何でも話すからあのケバい女だけは勘弁《かんべん》してくれ!」
「ケバ……失礼な男だな! 若作りと言え、若作りと」
 息子《むすこ》って容赦《ようしゃ》ないな、と男達は斜《なな》め下を見た。
「胡乱《うろん》な理由であっても白状する気になったのなら幸いです。さあ、では話してもらいましょうかナイジェル・ワイズ・マキシーン。いったい何故あなたは陛下とヴォオルフラム閣下を射《う》たせたのですか?」
 刈りポニは咳払《せきばら》いをしてから答えた。虚勢《きょせい》を張ってはいるが髭先が震《ふる》えている。
「此度《こたび》に限っては魔族の小僧《こぞう》など狙ってはいない。確かにあの双黒《そうこく》の魔族には何度も煮《に》え湯を飲まされているが、今回は特使団による公式訪問だ。公《おおやけ》に訪ねてきている客人を暗殺すれば、その後の我が国の立場が危《あや》うくなるばかりだ。我等の標的は……」
 元小シマロン軍人は言葉に詰《つ》まり、苦しげに長い息を吐いた。
「……サラレギー陛下とその腹心だった。こちらこそ訊《き》きたいくらいだ。なにゆえサラレギー陛下のお召《め》し物を身に着けた魔族が、旗艦《きかん》のあの場所に立っていたのか」
「薄水色のマントか? あれはあのサラとやらがユーリに渡《わた》した物だと聞いたぞ。日差しや潮風から身を守るようにと。それをぼくが取り上げたんだ」
 フォンビーレフェルト卿《きょう》の整った眉間《みけん》に、皺《しわ》が一本刻まれた。長兄に負けないくらい深くなる。
「操舵手《そうだしゅ》の後ろに居たのだって、出航するまでここで見ていると大迫力《はくりょく》だと、船旅の仕来《しきた》りで醍醐味《だいごみ》だって、ユーリは誰《だれ》かに聞いたみたいで……」
「そいつを吹き込んだのも恐らくサラレギーって奴《やつ》だろうな。その小シマロンの王サマとかいう奴は、自分の服を黒髪《くろかみ》の小僧に着させ、テメェのお気に入りの場所に立たせておいたわけだ……なかなか小賢《こざか》しいガキだな。暗殺を企《くわだ》ててる連中のことを知っていたとしか思えねえだろ。まあつまり、謀叛《むほん》の情報筒抜《つつぬ》けだったってことだマキシーン」
「その上、射手はキーナンだったそうですね」
 どうやら癒《いや》し系女性士官に戻《もど》ったギーゼラが、かつて義父《ちち》の部下だった男の名前を口にした。小シマロンへの旅の途中で出奔《しゅっぽん》したキーナンには、ウェラー卿の左腕盗難の嫌疑《けんぎ》もかかっている。
「彼は眞魔国随一《ずいいち》の弓の名手です。事情があって隊からは外されていましたが、キーナンならばどんな的でも確実に射貫《いぬ》く。彼が小シマロンに渡った理由は察しがつきますが……」
「なんだ、何故ぼくに話さなかった?」
「わたしもフォンクライスト卿に聞いて初めて知ったのです。理由はともかく、キーナンは我が国を裏切り、しかも危険な物を持ち出して小シマロンに亡命した。シマロン軍にとってみればこれ以上の幸運はありません。使える駒《こま》が自分から飛び込んできたのですからね。射手が決まって嬉《うれ》しかったでしょうナイジェル・ワイズ・マキシーン?」
「ああ」
「小躍《こおど》りしましたか?」
「それは別に」
 白状しはじめたマキシーンを覗《のぞ》き込み、アーダルベルトが口を開《ひら》いた。
「だが、公式訪問中に他国の王を暗殺されては、小シマロン王の立場が悪くなるんじゃねーか? 自軍の統制もとれないとあっちゃあ諸国間での評価もガタ落ちだろう。謀叛の情報を握《にぎ》っているのなら、未然に防ぐほうが余程《よほど》簡単だったろうに。何しろ首謀者《しゅぼうしゃ》が」
 水陸両用の頑丈《がんじょう》なブーツの底で、芋虫《いもむし》巻きの身体《からだ》を容赦なく蹴る。
「もきゅ」
「この間抜けな男だぜ? おい、海豹《あざらし》みてーな悲鳴あげるなよ」
「反逆者を一掃《いっそう》するには、実際に事を起こさせてみるのが最も確実です。平時に一斉《いっせい》検挙したとしても、必ず地下に潜《もぐ》った一部は逃《に》げ延びる。けれど軍事的な組織であれば、蜂起《ほうき》する際に残る者は臆病《おくびょう》だと思われるでしょう? それに……確かにキーナンだったのですねヴォルフラム閣下?」
 三男坊《ぼう》は渋《しぶ》い表情で頷《うなず》いた。ギーゼラの弁が自分よりずっと勝《まさ》っていたからだ。医療《いりょう》に専従させておくのが惜《お》しい程だ。
「うまい作戦です。射手が魔族の者であれば、魔王《まおう》陛下が……口にしたくもありませんが……巻き込まれて亡《な》くなられた場合でも、魔族内部での争いだと諸外国に弁明できる。自分の命を守り、同時に我々の陛下の御命《おいのち》を狙《ねら》う。成功しても咎《とが》めは最小限で済むし、失敗すれば国内の反対勢力を掃討《そうとう》できる。どちらに転んでも損にはならない。保険です。保険まで考えるほど、余裕《よゆう》があったということですよ。サラレギーは最初から陛下を」
 誰にともなく、何度も首を振《ふ》っている。敵の謀略《ぼうりゃく》に感心しているのだろう。ヴォルフラムの白い頬《ほお》に、たちまち血が上った。
「あのガキ、あんな取り澄《す》ました顔してユーリに近付いておきながら……っ!」
「お待ちくださいヴォルフラム閣下、どちらへ行かれるおつもりですか」
「助けに行く」
「何処《どこ》へ」
「何処へでもだ! 聖砂国、ぼくも聖砂国に向かうぞ。こんなことしている場合ではない。ユーリを助けに行く。あいつはぼくがいなくちゃ駄目《だめ》なんだからな」
「落ち着いて、閣下」
 無礼と知りながらギーゼラは、先代魔王の三男坊の腕《うで》を掴《つか》んだ。
「お忘れですか、聖砂国は神族の地です。法力の強い者が山程いる。土地自体も眞魔国を有する大陸や、今いる人間の大地とは違《ちが》うのですよ? 魔力の強い者が向かったところで、足手まといになるだけです」
 彼女の言葉どおりだ。自分とギュンターはなまじっか魔力が強いばかりに、シマロン内でさえろくに使いものにならなかった。だからといって安全な場所で、指を銜《くわ》えて待ってはいられない。
「引き留められて黙《だま》るぼくだと思うか?」
 ゆっくりと首を振る。三つ編みにした髪が背中で揺《ゆ》れた。
「いいえ」
「だったらその手を離《はな》せ」
「お一人で部屋を飛び出される前に、なさるべきことがあると思います」
 息を吹き返したダカスコスが体を起こし、毛がない頭部を掌《てのひら》で擦《こす》っていた。戸口の人垣《ひとがき》を掻《か》き分けて、やっとサイズモア艦長《かんちょう》が顔を覗《のぞ》かせた。汚《よご》れた毛布でぐるぐる巻きにされた刈《か》りポニが、縄《なわ》を解こうとやっきになって身を捩《ねじ》る。真面目《まじめ》に持ち場に就《つ》いていた船員達が、小型船の到着《とうちゃく》を大声で告げる。カロリアからの助《すけ》っ人《と》達が着いたようだ。隣室《りんしつ》で派手《はで》な音がして、揃《そろ》った木目の壁《かべ》が軋《きし》んだ。ギュンターがベッドから転げ落ちたらしい。
 ヴォルフラムはずっと尊敬していた人達を思い浮かべ、新しい王の名前を呟《つぶや》いた。強《こわ》ばった指を解《ほぐ》すように、右手を二回、握り直した。それから口を開いた。
「追跡《ついせき》隊を編成する」
 
「陛下を小シマロンの手に渡してはならない」
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