今日からマ王11-10

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 船員達は|舳先《へさき》を目指し、間に合わない者はその場から海面に身を躍《おど》らせた。
 手を引き合って傾いたデッキを登り、|船縁《ふなべり》の手摺りにしがみつく。すぐ隣《となり》に停泊《ていはく》していた貨物船は、巻き込まれるのを避《き》けようと大急ぎで離《はな》れてゆく。最初に跳《と》び移った数名だけが、向こうの甲板で息をついていた。
 |誰《だれ》かが「|沈《しず》むぞ」と叫んだ。
「船が沈むぞ、飛び込めっ!」
 ヴォルフラムの腰《こし》に腕を回し、おれはダイビングに備えて息を詰《つ》める。
「陛下!」
「ギュンター、早く逃《に》げないと|沈没《ちんぼつ》する」
 全権特使は下着一丁で髪《かみ》を振り乱し、|鬼気《きき》迫《せま》る表情でおれの肩《かた》を揺さぶった。干涸《ひか》らびた脳味噌がカラカラと転がる気がする。
「陛下、このような状態の陛下に無理を申し上げるのをどうかお許しくださいませ。私は鬼《おに》です、悪魔です、血盟城は伏魔殿《ふくまでん》でございます! 本来なら私はここで陛下をお諌《いさ》めし、お引き留めすべきなのです。ですが、後で罵《ののし》られてもいい、罰《ばつ》を受けてもかまいません……ですから」
「なななな何を言いたいのぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ」
 頼《たの》むから揺《ゆ》さぶるのをやめてくれ。力の入らない首に堪《こた》える。
「……どうか陛下の望むとおりになさってください」
 スミレ色の|瞳《ひとみ》が苦悶《くもん》で翳《かげ》る。だがギュンターはすぐに思い直し、離れようとしている貨物船を指差した。
 示す先には小シマロン船員に混じって、身を乗りだすウェラー|卿《きょう》とマストにしがみつくサラレギーがいた。
「お行きになってください陛下、今を逃《のが》せば聖砂国に渡《わた》る好機はございません!」
「でも船が……あんたたちが……」
「すぐにサイズモア艦《かん》が参ります。私達は|大丈夫《だいじょうぶ》です!」
 ヴォルフラムがおれの手首を乱暴に引いて、単純明快な言葉を告げた。
「いいから行け。そして必ず無事に還《かえ》ってこい……グリエ!」
 駆け寄ってきたヨザックはバケツを投げ捨て、ロープを掴《つか》んだ。
 念のために手にした物を数回|扱《しご》き、強度を確かめながら応《こた》える。
「はいよっ」
「ユーリを」
「承知しやした。じゃあ陛下、ちょーっと失礼しますよ」
 何をするのか|訊《き》く|余裕《よゆう》も与《あた》えず、ヨザックはおれの身体を軽々と横《よこ》抱《だ》きにした。傾いたデッキから踵《かかと》が持ち上がり、次の|瞬間《しゅんかん》には海の上にいた。
「わーっ何スル……落ちるーっ!」
 しかし波は青い筋になり、足の下を横切ってゆく。貨物船のマストにロープを絡《から》げ、船から船へと渡ろうというのだ。子供の頃《ころ》遊んだフィールドアスレチックの要領で、あっという間のリアル・ターザン体験。
「あーあーあーうわーっ!」
「……まずいな、角度が」
 今さら耳元で舌打ちされてもッ。
「ヨザック!」
 斜《なな》め下にウェラー卿が駆《か》け込んできた。余裕のない表情で、両腕を広げる。
「早く!」
 昔馴染《むかしなじ》みが一瞬視線を交《か》わす。
「すみませんね|坊《ぼっ》ちゃん」
 言い終わるよりも先に眞魔国|凄腕《すごうで》諜報《ちょうほう》員はおれを宙に投げていた。
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 ご無体なー、と尾を引く悲鳴を残しながら、おれは貨物船の甲板に落下する。叩《たた》きつけられるのを予想して|身体《からだ》を丸めたが、|衝撃《しょうげき》は一向に|襲《おそ》ってこなかった。
「あれ」
 真下に移動したコンラッドが、うまいことキャッチしてくれたのだ。
「……コ……」
 彼はおれを|素早《すばや》く地面に降ろし、服に付着した煤《すす》をぞんざいに払《はら》った。
「お|怪我《けが》は」
「……ないよ」
「それは良かった」
 ようやく辿《たど》り着いたサイズモア艦が、波間に浮《う》かぶ人々を次々と救助している。その中にはおれの仲間達もいて、ほっと胸を撫で下ろした。
 マストに|激突《げきとつ》したらしいヨザックが、柱を抱えて息も絶え絶えで下りてきた。鼻と額が赤くなり、オレンジ色の髪が炎のように乱れていた。
「痛たた、誰かオレも助けろよ」
「ヨザック!」
 部下の負傷を口実に、おれは息苦しい空間から逃げ出した。
「ああ陛下、ご無事で何よりです。ところでグリ江はツェリ様に、鞭《むち》の稽古《けいこ》をつけ直して貰《もら》わなきゃだわん」
 軽口を叩くヨザックの肩ごしに、美しい船が真っ二つに折れるのが見えた。
 小シマロンの旗艦、金鮭号が沈む。空と海に赤い炎《ほのお》と黒煙《こくえん》を巻き上げて。
 
 サラレギーは頽《くずお》れるように|甲板《かんぱん》に座り込み、細く|繊細《せんさい》な指で顔を覆《おお》っていた。
「わ……わたしは」
 |掌《てのひら》でくぐもった声が、不安に震《ふる》える。
「反対勢力はすぐに鎮圧《ちんあつ》されるだろう、それは判《わか》っている。ストローブは|優秀《ゆうしゅう》な軍人だし、眞魔国艦の助力もある。奇襲《きしゅう》を受けて大きな|被害《ひがい》を出したとはいえ、兵力には圧倒《あっとう》的な差もある。だが」
 全速力で軍港を後にする貨物船を、二|隻《せき》の中型艦だけが追ってきていた。小シマロン王の|遠征《えんせい》にしては、些《いささ》かお|粗末《そまつ》な護衛だ。
「だが、わたし自身はこの貨物船で、しかも信頼《しんらい》する部下も連れずに初めての地へ向かう結果となってしまった。この先いったいどうしたら……」
「大丈夫だよ」
 子供の頃から王族として育てられた人だ。民《たみ》を治める術《すべ》は身につけていても、自分の世話をすることには慣れていないのかもしれない。でもおれだって、肩を叩き、手を|握《にぎ》ってやるくらいしかできない。
「大丈夫だよ、サラ。きっと何とかなる」
「ユーリ、それ以上にもっと恐《おそ》ろしいことがある!」
 重い物なんか持ったこともないような指が、おれの胼胝《たこ》だらけの手を握り締《し》める。悲壮《ひそう》感に満ちた顔を上げると、薄《うす》いレンズ越《ご》しの瞳からは、今にも|涙《なみだ》がこぼれ落ちそうだ。
「わたしはあなたを死なせるところだった」
「どういうこと?」
「あなたが……いや、あなたのご友人が射手に狙《ねら》われたのは、恐らくわたしのマントを身に着けていたからだと思う」
「ああ!」
 そう言われれば|全《すべ》ての辻褄《つじつま》が合う。帆柱《ほほしら》の中程《なかほど》に身をくくりつけ、ヴォルフラムを射貫《いぬ》いた男だって、あの高さからフードの中まで|確認《かくにん》はできなかったはずだ。だがあの射手は躊躇《ためら》わず、おれではなくてヴォルフラムヘと矢を放った。誰だっけ、ヴォルフは何と言っていたっけ。
『……キー…ナ……』
 キーナン? 確かキーナンと呼んでいた。
 おれの知らない名前だが、あの男はフォンビーレフェルト卿の命を狙ったのではなく、薄水色のマントを狙ったんだ。
 小シマロン王サラレギーが|普段《ふだん》から身に着けている、光沢《こうたく》のあるマントを狙ったんだ。
「あなたのご友人はわたしの代わりに胸を……もしも、もしもあれを着ていたのがユーリ、あなただったらと思うと……わたしは……。わたしがストローブに呼ばれたとき、彼を船に呼び寄せていたら良かったんだ。わたしが地上に戻《もど》ったりせず、あのまま金鮭号に留《とど》まっていれば。それともわたしがもっと時間に正確で、旗艦に乗り|遅《おく》れたりしなければ……外洋に出てから移ればいいだろうなどと考えず、きちんと金鮭号に乗船していればよかった!」
「……そうしたらきみが撃《う》たれてたんだよサラレギー」
 堪《こら》えきれず泣き|崩《くず》れるサラレギーの肩《かた》に、おれはそっと腕《うで》を回した。
「きみには毒女の守護がないから、下手をすれば命を失っていたかもしれない」
 何を言われたのか解らずに、彼は一瞬きょとんとした。だがその揺れる瞳からは、抑えきれなかった涙がこぼれ落ちた。
 細く薄い、女の子みたいな両肩が、慚愧《ざんき》の念で震えている。
 駄目だ。おれは思った。この子は自分を守る|技《わざ》に欠けている。王として民を導き、国を治める一方で、自分自身を護《まも》る術《すべ》を身につけていないんだ。
「大丈夫だ、サラ。ヴォルフラムは元気だし、深い傷も残らない。大丈夫なんだよ」
「|後悔《こうかい》している、後悔しているんだ。わたしは|何故《なぜ》あなたに服など渡したのだろう」
「おれが寒そうだったからだろ? 海を渡る風と日差しは厳しいから、親切心で貸してくれたんだ。ありがとう、嬉《うれ》しかった」
「ユーリ。あなたは本当に|優《やさ》しい。わたしは、あなたのご友人に……どう詫《わ》びたら……」
 サラレギーは右掌で顔を覆い、しばらくの間、鳴咽《おえつ》を繰《く》り返した。握り締められたおれの手が冷えて爪《つめ》の先が冷たくなった頃、彼の涙はようやく乾《かわ》き、海原《うなばら》を見据《みす》える瞳にも|輝《かがや》きが戻ってきた。淡《あわ》い色の柔《やわ》らかい|金髪《きんぱつ》を、濡《ぬ》れたままの指で耳に掛《か》ける。
「わたしにできる償《つぐな》いはひとつだけだ」
 彼は長い溜《た》め息にのせて、低く小さいけれど決意に満ちた口調で言った。
「わたしが、ユーリ、あなたとあなたのご友人に対してできる償いは、わたしがこの船をよく指揮し、あなたを無事に聖砂国へ送り届けることだと思う。それしかないと」
「サラレギー」
「向こうに着いてからの|交渉《こうしょう》は、眞魔国と聖砂国両者の問題だ。わたしには何の力添《ちからぞ》えもできない。けれど、潮の流れに気を配り、海図や星を読んで海を越《こ》えることなら……波の果ての聖砂国の港まで、あなたを送り届けることならわたしにもできる」
 手を放し、正面に立つおれの腰《こし》を抱《だ》いて、サラレギーは興奮気味に|訊《き》いてきた。
「どうだろうユーリ、これでは償いにならないだろうか」
「そんなに……思い詰《つ》めなくてもいいんだよ」
 部下を失い|孤独《こどく》な身となった少年王は、乾きかけた涙ごと頬《ほお》を|擦《こす》ると、おれの肩ごしに後ろへと視線を投げた。|縋《すが》るような眼差《まなざ》しだった。
「ウェラー卿」
「はい」
 すぐ後ろから声がして、おれは思わず飛ぴ上がりそうになる。
「きみも言っていたように、小シマロンにとって大シマロンは親のような存在だ。ベラールニ世|殿下《でんか》から使者として遣《つか》わされたきみは、現状を報告し、行き過ぎないよう監督《かんとく》する役割を担《にな》っている。そうだね?」
「ええ」
「同時に小シマロンの利権が侵害《しんがい》されないよう、力を貸す義務もある」
 頷《うなず》きだけを返事の代わりにして、大シマロンからの使者は続きを待った。
「わたしは自分自身とユーリを聖砂国へ運ぶ。そのためには慣れない船を指揮し、海の苦難とも戦わなければならないだろう。この身に危険の降りかかる場合もある」
 次の言葉を予測して、ウェラー卿が薄茶の|瞳《ひとみ》を|眇《すが》めた。銀の星が光を潜《ひそ》める。
 サラレギーは力強く、|挑戦《ちょうせん》的に言った。崖《がけ》っぷちで絶望から引き返し、立ち直れる彼の強さが、言葉の端々《はしばし》に滲《にじ》みでているようだ。
「わたしを、護《まも》ってくれる?」
 大シマロンの使者は、海風で|前髪《まえがみ》を揺《ゆ》らし、
「お護りいたしましょう。私の力の及《およ》ぶ限り」
 数拍《すうはく》間をおいてから頷いた。
 
 ホテルの非常口を探す要領で、おれは他国船の甲板を歩き回っていた。忙《いそが》しく立ち働くシマロン船員を横目に、太い帆柱を回り込む。置かれていた木箱に腰をおろすと、湿《しめ》った潮風が髪を嬲《なぶ》った。
 両膝《りょうひざ》の間に頭が届きそうなほど|身体《からだ》を折る。木目の床《ゆか》しか見えなかった。
「水臭いなぁ|坊《ぼっ》ちゃん、散歩ならグリ江も誘《さそ》ってくださいよう」
 ふざけた口調と借り物らしき軍靴《ぐんか》が近付いてきて、腿《もも》が触《ふ》れるくらい傍《そば》に座った。|厨房《ちゅうぼう》服の白い背中に、覆い|被《かぶ》さるように腕を置く。
「ところで、まさかとは思いますが」
 彼にしては|真面目《まじめ》な声を作り、耳に心地《ここち》よい|距離《きょり》で言う。
「自分の|面倒《めんどう》は自分でみられるなんて、|寂《さび》しいことを考えちゃいないでしょうね」
「違う」
 おれは首を横に振《ふ》った。ゆっくりと。
 その自信と、それに伴《ともな》う実力があれば、|誰《だれ》にも迷惑《めいわく》をかけずに済むのに。
「……腹が減ったんだ。空腹でもう動けない。昨日の朝から|殆《ほとん》ど食ってないんだ」
 高らかな笑い声をあげて、ヨザックが隣《となり》で身体を揺すった。
「そりゃ大変だ! どんなときでも人間は腹が減る。|結婚《けっこん》式《しき》でも|葬式《そうしき》でも」
 彼は、もちろん|魔族《まぞく》もねと付け加えるのを忘れなかった。
 だからこそ生きていけるんだ。
 
 救いは、海の上にいることだ。
 どんな感情も、波だったら消し去ってくれるだろう。
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