トットチャンネル(15)

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 担任の先生

 
 NHKの第一次養成が始まった。
 六千人の中から、やっと二十八人が残り、やれやれ、と思ったのも、つかのま、あと三ヶ月間の第一次養成が終ったところで、本当の採用者……トットが知りたがってる「若干名《じやつかんめい》」が決定するのだ、と、わかった。トットは落ち着かない気分と同時に、この、テレビのための養成という、思ってもみなかった新らしい事態に、ワクワクしていた。また、このとき、NHKも、テレビの放送開始を目の前にして、活気に溢《あふ》れていた。
 養成は、夕方から始まった。これは、NHKの配慮《はいりよ》で、もし昼間からやるとなると、いま行ってる学校とか会社を、やめなければならない人も出てくるだろうし、また、もし、やめても、三ヶ月後に採用されるとは限らない。いまの生活を変えずに、養成を受けられるように、ということで、音楽学校に行ってるトットにも、有難《ありがた》いことだった。
 時間は、毎日、夕方の六時に始まり、終るのが九時だった。土曜日が休みで、そのかわり、日曜日は、朝十時から、午後三時まで、たっぷりだった。NHKの中の本読室や会議室が、教室になった。交通費が、それぞれの住居《すまい》の駅から、新橋まで支払《しはら》われた。
 始業式の日、庶務《しよむ》の人が、お爺《じい》さんを連れて来た。その人は、毛のない頭に、茶色の毛糸の正《しよう》ちゃん帽《ぼう》をかぶり、ベッコウの丸い眼鏡をかけ、焦茶色《こげちやいろ》のカーディガンを着ていた。顔の色は白く、ピンクの頬《ほお》をしていた。それまで見ていた、ネクタイに黒っぽいスーツという、NHKの人とは、違《ちが》っていた。歩きかたや、動作に、とても特徴《とくちよう》がある、と、トットは、思った。その人は、腰《こし》をかがめて、部屋に入って来た。そして、トット達《たち》をチラリと見ると、はにかんだように、入口の近くに立ち止まった。もっと進むのかと思ったら、急に止まったので、ひどく中途半端《ちゆうとはんぱ》な感じだった。庶務の人が、みんなに、いった。
「このかたが、みなさんに、朗読や物語を教えて下さる、大岡龍男《おおおかたつお》さんです。そして、まあ、みなさんの、担任の先生というか、面倒《めんどう》を見て下さるかたです」
 その、大岡さんというお爺さんは、紹介《しようかい》されると、体を半身《はんみ》にした不思議な歩きかたをして、みんなの前に進み、また、中途半端な場所に止まった。それから、手の甲《こう》で口をかくすようにして、少し、照れたみたいな笑いをしてから、こういった。トットが、これまで聞いたことのない、丁寧《ていねい》な言葉だった。
「担任の先生なんて、そんなんじゃ、ございません。みなさまの、小使い……とでも思って頂けば、よろしいんで。それにしても、みなさま、ここまでお残りになるの、大変でございましたねえ。ほほほゝゝゝ」
 ふっくらとした、やわらかそうな手の甲で、口をかくしたまま、しゃべる、そんな風だった。トットは、今まで逢《あ》った、どの人とも違うタイプの、この老人が、おかしくもあり、どんな人なのだろうか、と知りたくもあった。この人が、高浜虚子《たかはまきよし》の門下であり、「ホトトギス派」の写生文では、一家をなしている大変な作家である、と、トットにわかったのは、何十年も経《た》った、ずーっと後《あと》になってからのことだった。そんなことは、全く、わかっていないトットだけど、この最初の挨拶《あいさつ》のときの印象を、いつまでも忘れなかった。そして、このあと直面する大人の社会の中で、トットが七転八倒を始めたとき、最初に、やさしく口をきいてくれ、トットを理解してくれようとしたのが、この大岡老人だった。
 養成の内容は、「演劇・放送劇を中心とする」という約束《やくそく》通りだった。
 大岡先生のほかに、セリフは、当時、演劇課長であり、ラジオの演出家でもあった中川|忠彦《ただひこ》さんが、先生だった。中川さんは、ハンサムで、「海老《えび》さま」という渾名《あだな》だと誰《だれ》かが、トットに教えた。後の団十郎、その頃《ころ》の海老蔵に、よく似ているからということだった。
 動きの基礎《きそ》演技の先生は、あとでテレビの美術部長になった佐久間|茂高《しげたか》さん——モコウさんと他《ほか》の先生方は呼んでいた。楽しい教えかたの先生だった。トットがうれしかったのは、タップ・ダンスと、バレエのレッスンもあったことだった。バレエは、小さいとき、すでに習い、そして、バレリーナになる夢《ゆめ》は捨てていたけど、タップ・ダンスは、新らしい経験だった。日本のタップ・ダンスの草わけといわれ、日劇のスターだった荻野《おぎの》幸久先生が、手をとって教えてくれた。でも、トットは、うれしかったけど、すでに会社員だった男の人や、ふとった女の人は、タイツ姿になるのをいやがって、しばしば、もめた。声楽の時間もあった。先生は、栗本正さん。芸能についての講義は、のちにNHKの会長になった坂本|朝一《ともかず》さんで、その頃は、演芸課長だった。頭がよくて、�カミソリ�という渾名がある、と、トットは知らされた。
 そして、発声と音声生理の時間は、颯田琴次《さつたことじ》さんが先生だった。この先生は、東大の医学部の教授、芸大の教授で、また、音楽評論家でもあった。そして、東大に音声障害科というのを作って、声楽家の治療《ちりよう》というのを日本で最初に始めた大先生だった。品のいい静かな先生だったけど、当時七十|歳《さい》近くのお年にもかかわらず、毎回、熱心な授業だった。まだ、NHKに採用されるとも、俳優になるとも決まっていない人達を相手に、先生は、声とか、発声とか、それによる口の動きかた、などということを、熱をこめて話し、また、ある時は、質問もした。
「いい声を出そうとするために、変な顔になるのと、顔を奇麗《きれい》に見せるために、声を少し犠牲《ぎせい》にするのと、あなたなら、どちらを選びます?」いきなり聞かれて、トットは困った。これは、音楽学校で、散々、見て来たことだった。いい声を出そうとして、アゴがはずれそうになって大騒《おおさわ》ぎをした先輩《せんぱい》を見たことが、あったくらいだったから。
「どっちもよくないと、ダメです!」と、トットが答えると、
「そうね。でも難かしいことよ。お嬢《じよう》さん」と先生は、いった。
 そう。お嬢さん、と呼ばれるくらい、全くの素人《しろうと》だったトット達に、このプロの先生方は、本当に、一生懸命《いつしようけんめい》、教えてくれた。骨惜《ほねお》しみをしないで、教えてくれた。さじを投げないで、教えてくれた。
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