不夜城(76)

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 フローリングの上であぐらをかいたまま、テレビを見ていた。画面の中、小蓮のニュース。長い髪をポニィテイルにした若いリポーターが突っ立っている。
 晴海《はるみ》で見つかったのは顔を潰された若い女の腐乱死体だ。指も切り落とされていることをリポーターは伝えなかった。
 小蓮の死体を処理したのは、助手席に座っていた男。ハンマーで小蓮の顔を叩き潰し、肉切り包丁で指を落としてから晴海の運河に捨てた。崔虎からおれはそう聞いていた。おれだけじゃない。崔虎は、楊偉民にもそう説明していた。
 テレビは画面が切り替わって、歌舞伎町の流氓たちの特集にかわっていた。歌舞伎町の影を支配する上海マフィア、という仰々しいテロップが画面いっぱいを占めている。
 テレビは相変わらずでたらめを垂れ流している。いまじゃ、歌舞伎町は上海のやつらと北京のやつらが上手に縄張りを分けあって共存している。すべては、楊偉民がお膳立てをしたのだ。
 
 煙草に火をつけ、寝転がった。小蓮のマンション——空っぽ。おれが持ち込んだテレビと電話があるだけだ。いずれ、このマンションは売り払う。やり方はいくらだってある。手元には一千万ほどの金が残るだろう。一週間の稼ぎとしては上々だ。結局、小蓮はおれにカモられたってことになる。
 電話。香港から来た窃盗グループからだった。ロレックスをしこたま仕入れたという。おれは本物が手に入ったらいくらでも買ってやるといった。相手が電話を切った。
 あと一、二時間もすれば、このマンションは盗品でいっぱいになる。どこかの倉庫が襲われ、そこに眠っていたものをおれが買い取ったのだ。おれはそれを仕入れ値の二、三倍で転売する。楽な商売。危険を冒して盗みをするよりはよっぽど旨味《うまみ》がある。売り払うまでは、このマンションはせいぜい倉庫として活用させてもらうことになるだろう。小蓮——文句はいわないはずだ。
 電話。大手ディスカウント・ショップの部長からだった。たった五分間のやりとりで、数時間後にこのマンションに運びこまれるブツの引き取り先が決まった。おれの儲けは三百万。悪くはない。
 煙が目にしみた。煙草は根元まで灰になっていた。おれは烏竜茶の空き缶に吸い殻を捨てた。
 小蓮を殺した次の日、おれは熱海《あたみ》へいった。楊偉民がごたごたの後始末をする間、新宿を離れていなきゃならなかった。熱海を選んだのに理由はない。束京から一番簡単に行ける温泉街が熱海だったのだ。
 一週間、うそ寒い温泉宿を一歩も出ずに過ごした。温泉にはひとりで浸かった。電話が一本入り、新宿に戻ってきた。新宿は顔ぶれが多少変わっただけで、なにも変わっちゃいなかった。そして、おれも——。
 なにも変わらない。小蓮がおれのまえに現れて、消えても、おれの毎日はこれっぽっちも変わったりはしないのだ。
 いや、ひとつだけ確実に変わったことがある。熱海から戻って以来、おれはこのマンションで寝泊まりしていた。その間、一度として白天の夢を見なかった。長い間おれに取り憑いていたナイフ使いの変態の夢。すっかり消えうせた。代わりに見たのは小蓮の夢だ。真っ黒な闇の中、小蓮がおれの傍らで眠っている。おれが見るのはそんな夢に変わっていた。黒い夢の中、おれはいつまでも小蓮の寝顔を見つめているのだ。
 だが、その夢だっていつまでも見続けるわけじゃない。歌舞伎町へ、あの狭く薄汚れたねぐらへ戻れば、夢のない眠りを貪るだけの現実の世界がおれを待っている。
 目を閉じた。小蓮の顔を思い浮かべようとした。うまくいかなかった。小蓮の写真すら持っていないのだ。夢の中でしか、おれは小蓮の顔を思い出すことができない。それだって、日がたつうちに薄れていく。
 目を開けて電話に手を伸ばした。脳味噌に刻まれた番号をプッシュした。すぐに、聞き覚えのある声が出た。
「はい」
「おれだ」
「どうした?」
「これから歌舞伎町に戻る。もう、おれを殺そうなんて馬鹿はいないだろう?」
「なにも問題はない」
「問題があるとしたら、あんただけだな」
 楊偉民は答えなかった。電話を切った。荷物を運びこむ手筈は整えてある。おれがここにいなければならない理由はない。
 黒い夢に別れを告げて、小蓮のマンションを後にした。
 いつか、楊偉民を殺すために。
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