眠りを殺した少女20

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 20 告 白

 
 門を開けて中へ入ると、玄関まで行かない内に、母が飛び出して来て、聡子をびっくりさせた。
 
「お母さん、どうしたの?」
 
「聡子! どこに行ってたの、今ごろまで」
 
 母の様子は普通じゃなかった。
 
「今ごろまでって……。そんなに遅い時間じゃないでしょ」
 
 少し酔っていた。それでも、夜っぴて飲み明すとか、見も知らぬ男とどこかへ泊ってしまう、といった無茶はできない。そんな自分が哀れでもあった。
 
「あなた、智子が——」
 
「智子?」
 
 聡子は、玄関の外に父が立っているのを目に止めた。
 
「ともかく、入れ」
 
 と、小西邦和は言った。「中で話そう」
 
 聡子は、上って、居間に入って行った。
 
 両親が、固くこわばった表情で、互いに目をそらしている。——一瞬、聡子は父と小野由布子の関係が母に分ったのか、と思った。しかし、妹のことがどうして出てくるのだろう?
 
「——座れ」
 
 と、小西が言った。
 
「智子がどうかしたの」
 
「さらわれたのよ」
 
 と言うと、母の紀子が口を手で押える。
 
「泣くな。——どうにもならん、そんなにとり乱しても」
 
 聡子が唖《あ》然《ぜん》として、
 
「さらわれたって……。誘拐? 身代金目当て?」
 
「もっと悪い。山神完一が智子をどこかに監禁している」
 
「山神——」
 
 聡子は絶句した。なぜ、智子を山神が?
 
「あの人でなし!」
 
 と、紀子が震える声で、「もし智子に何かしようものなら……」
 
「落ちつけ。向うの要求通りにするんだ。今はそれしかない」
 
 聡子はじっと父を見つめていた。——由布子と寝て来たんでしょ? どうだった?
 
 そう訊いてやりたい。しかし、もちろん智子の身は心配だった。
 
「でも、山神先生——山神は、何人も女の子を殺してるのよ。片倉先生も!」
 
「うむ……。ともかく、任せろ。会えば何とか話をつけられる」
 
 と、小西は自分へ言い聞かせるように言った。
 
「旦那様」
 
 と、やす子が顔を出す。「お出かけになりますか」
 
「ああ。少し早いが、もし道が混んでいるとな。出ようか」
 
「どこへ?」
 
 と聡子が訊く。
 
「金を渡す。山神がそう請求して来ている。大金じゃないが、とりあえずの逃走資金だろう」
 
 と、小西が腰を浮かす。
 
 そのとき、電話が鳴り出した。小西がギクリとする。
 
「——はい。——そうだ。——何だって? しかし……」
 
 小西が聡子の方を見た。「——待ってくれ」
 
 送話口を押えると、
 
「聡子、山神からだ。お前に金を持って来させろと言ってる」
 
 聡子は立ち上った。
 
「行くわ」
 
 紀子が何か言いたげにしたが、結局、口をつぐんだ。
 
「——分った。聡子に行かせる。——いいな、娘を無事に返せ。警察には届けん」
 
 小西の言葉にも、いつものような自信はなかった。聡子はじっと父の背中を見つめていた。
 
「聡子。お前——」
 
「大丈夫よ。どこへ持って行けばいいの?」
 
 と、聡子は訊いた。
 
「お前のよく知ってる場所だ」
 
 と、小西が息をついて、「N女子大の中だそうだ」
 
 
 
 月明りが、聡子のポルシェを照らし出した。
 
 いつも見慣れている場所が、まるで別世界のようで、聡子は車を入れるのに少し迷ったくらいだった。幸い、大学の表にも駐車場があり、そこへ入れた。もちろん、車は学内へ入れないはずだ。
 
 聡子は現金を入れたバッグを手にポルシェから降りた。——山神の指定は、学内の校門近くにある電話ボックスである。
 
 時間に少し余裕があるので、聡子はゆっくりと歩いて行った。
 
 休みとはいえ、通信教育の学生が通ってくるし、教授たちはあれこれ仕事もある。もうこんな夜中には誰も残っていないだろうが……。
 
 聡子は、不思議にあまり緊張を覚えてはいなかった。山神が女子学生を殺したとはとても思えない。——むしろ山神の口から、真実を聞きたい、と思った。
 
〈通用口〉は、思った通り開いていた。たぶん山神が開けておいたのだろう。
 
 電話ボックスはすぐに見付かった。指定の時間には十五分ほどあるが、ともかく何かメモでもないかと扉を開けてみた。
 
 ここへ山神が来るのだろうか? それとも——。突然、電話が鳴り出したので、聡子は飛び上るほど仰天した。
 
「——はい」
 
 と、受話器を取ると、
 
「やあ。ご苦労さん」
 
 山神の、穏やかな声が聞こえて来た。「持って来てくれたか」
 
「はい」
 
「じゃ、第3校舎の視聴覚教室を知ってるね」
 
「ええと……。あ、分ります」
 
「そのはずだ。そこへ来てくれ」
 
 プツッと電話が切れる。
 
 第3校舎か……。外へ出て、聡子は肯いた。第3校舎は、大分離れているものの、ここから真直ぐに見通せる。たぶん、山神はこのボックスに聡子が入るのを、見ていたのだろう。
 
 無人のキャンパスの中を、月明りに照らされて歩いて行くと、やっと心臓が高鳴ってくるのを感じる。——智子の身が心配だった。山神に何かされていないだろうか。
 
 第3校舎へ入ると、常夜灯だけの薄暗い廊下を、静かに歩いて行く。自分の靴音が異様に大きく響いて、聡子を脅《おど》かした。
 
 視聴覚教室は一階の一番奥にある。二百人以上入る、広い部屋で、マイクを使った講義に利用される。ビデオを見たり、テープを聞いたりすることもあって、後方に調整室がある。
 
 ドアの前まで来て、聡子はガラス窓から中を覗《のぞ》き込んだ。——暗い。
 
 ともかく、入るしかない。
 
 聡子はドアを開けて、中へ入った。
 
「来たね」
 
 と、山神の声が空っぽの教室に大きく響いて、聡子は声を上げそうになった。
 
 そうか。スピーカーを通して、しゃべっているのだ。
 
「少しヴォリュームを下げよう」
 
 山神の声はやや落ちついた。「どこでもいい。好きな席へ座ってくれ」
 
「このお金は……」
 
 と、聡子は見回しながら言った。
 
「金か。——そんなものほしくもないさ」
 
 と、山神は笑った。「座って。待とうじゃないか」
 
「待つって……。何をです?」
 
 山神は答えなかった。聡子は、出入口のドアに近い席に腰をおろす。
 
「お姉さん」
 
 智子の声がした。
 
「智子! 大丈夫なの?」
 
「心配しないで。私は何ともないわ」
 
 と、智子の声が教室の中に響く。
 
「智子。あんたどこに——」
 
「聞いて」
 
 と、智子は言った。「片倉先生を殺したのは、私なの」
 
 聡子は、言葉を失って、ただじっと座っていた。智子の説明が聞こえてはいたが、分っているのかどうか、自分でもはっきりしない。
 
「——どうしても、届ける気になれなかったのよ」
 
 と、智子は言った。「分った? 山神先生は、片倉先生を殺しちゃいないわ」
 
「智子……。私——」
 
「お姉さん。話して。お姉さんが何をしたのか。ね。勇気を出して」
 
 聡子は、深々と息をついた。
 
「そのつもりだったの。——山神先生にお詫《わ》びしなきゃいけない、と思って、ここへ来たのよ」
 
 辛《つら》かったが、聡子は小野由布子と二人で山神の家へ忍びこんだことを、告白した。
 
「そこで、家内と片倉の写真を見付けた?」
 
 と、山神の声がした。「僕はそんなものとってない。おかしいよ」
 
「見付けたのは由布子——小野さんです。——待って!」
 
 と、聡子はハッとして、「そうだわ……。きっと由布子、自分で写真を持ち込んだんだ。そして、あそこで見付けたと言って、私に見せたんだわ」
 
「お姉さん……。でも、どうして小野さんがそんなことするの?」
 
「私、聞いたの。——由布子はね、お父さんの愛人なのよ」
 
 少し間があって、
 
「なるほどね」
 
 と、山神が呟《つぶや》くように言った。「そういうことか」
 
「山神先生。何が真実だったんですか? 教えて下さい」
 
 と、聡子が訴えるように、言った。
 
「当人から聞くことだね。ちょうどおいでのようだ」
 
 ドアの外に足音がして、パッと開くと、まぶしい光が聡子を照らした。
 
「聡子! 奴《やつ》はどこだ!」
 
「お父さん——」
 
「明りを点けろ。早くしろ」
 
 と、小西が誰かに言っている。
 
「点きませんわ」
 
 返事の声は——やす子だった。
 
「むだだ」
 
 と、山神の声が言った。「照明の線を切ってあるよ。——小西さん。私はね、この教室の中にはいない」
 
「何だと?」
 
「ワイヤレスのマイクでしゃべっているんだ。そこの装置を通して、お互い、声は聞こえてる。こっちはFMラジオで受信している。捜してもむだだ」
 
 小西が、荒く息をついた。
 
「どうしますか」
 
 と、やす子が言った。
 
「——小西さん。お宅の娘さんは預っている。娘さんに、本当は何が起ったのか、話してあげるべきじゃないかね」
 
「智子に手を出すな!」
 
「出しちゃいない。私はね、あんたや片倉とは違う。女子学生に手を出して、大金を出すような真似はしてないよ」
 
 小西は薄暗い空間をにらみつけていた。
 
「——聞かせてあげよう」
 
 と、山神は言った。「片倉は、自分がこれと目をつけた女子学生を、もちろん小づかい稼ぎにもなる、というので、あちこちのお偉方に世話していた。頭のいい片倉は、手数料なんか取らないから、そういう女子学生は結構いいバイトと喜んでいたし、一方、VIPの秘密を握っている片倉には、何かとうまい話が舞い込んだ。片倉があんな大物になれたのも、そのおかげだ。そして——小西さん。あんたも世話してもらった一人、というわけだ」
 
 小西は、ゆっくりと椅子の一つに無言で座った。
 
「私は、片倉のやっていることを、うすうす気付いてた。しかし、たとえ告発したところで、もみ消されたろうね。——そのまま行けば、大した騒ぎにゃならなかったろう。他の教授連中や、高校、中学の先生たちの中にも、片倉に手を貸しているのがいたらしいしね。しかし、私は関心がなかった。もちろん、片倉のおかげでこっちがいつまでも助教授のままってことには頭に来てたがね……」
 
 と、山神は、ちょっと笑った。「ところが、とんでもないことが起きた。片倉が殺された。あんたたちはあわてた。警察が片倉の〈副業〉を探り当てたら、それにズルズルとつながって、あんたたちの名前が出ないとも限らない。殺人事件となると、もみ消すってわけにゃいかないしね」
 
 小西はじっと身動きせずに座っている。
 
「そこで考えたんだ。ともかく早く犯人が捕まること。それも全く別の事情でね。そうすりゃ、女子学生たちの件はばれずにすむだろう。——そこで白羽の矢が私に立った、ってわけだ。教授になれなかったので、片倉を恨《うら》んでる。それを動機にして、犯人に仕立ててやろう、ってね」
 
「お父さん……」
 
 と、聡子が言った。「お父さんと由布子とのこと、知ってるわ。お父さんがやらせたの?」
 
「違う」
 
 と、小西は首を振った。「確かに——小野由布子とは、そういう仲だ。しかし、山神を犯人に仕立てようとしたのは、私じゃない」
 
 そうだ。父が片倉の死を聞いてびっくりしたのは、由布子の話が出た後のことだ。
 
「——私は海外へ行っていることが多い。その間に、由布子は片倉の紹介で、ある財界の大物と付合っていた。そしてその男に頼まれて、ある政治家と……。もしスキャンダルになれば命とりになってしまう。その男が、由布子に誰か犯人に仕立てられる人間はいないか、と訊いた。そして……」
 
「あんたに責任がないとは言わせない」
 
 と、山神が言った。「女房は、そのせいで死んだんだ!」
 
「それは……悪いことをしたと思ってる」
 
 小西の声はしわがれていた。
 
「お父さん、三井良子を殺したのは誰なの?」
 
 と、智子の声が響いた。「そして田代百合子も。——まさか、お父さんがやらせたんじゃないわよね」
 
「違う。信じてくれ。私はただのビジネスマンだ。そんなことまで……。それは知らない方がいい!」
 
「そうはいかんね」
 
 と、山神が言った。「私はね、人殺しの汚名をきて、一生逃げ回るのはごめんさ、いくら金をもらってもね。はっきりと言ってもらおう」
 
「私には……分るわ」
 
 と、智子が言った。「内田三男。——そうでしょ? お父さんも知ってたんでしょ。田代百合子さんをあのホテルの部屋へ行かせたのは、お父さんだもの」
 
 小西は額の汗を拭った。
 
「智子……。私は——」
 
「言って! そうなんでしょ」
 
 小西は深々と息をついた。そして、
 
「——その政治家が、ある男にもみ消しを依頼したんだ」
 
 と、言葉を押し出すようにして、「三井良子は、父親が片倉の紹介で田代百合子と関係を持っていたことを知っていた。あんな風になったのも無理はない。しかし、三井良子は、別に片倉のことを告発する気じゃなかったろう。ところが、あの男が——内田という若い男だ。暴力団絡みの組織で、もて余し気味だった男らしい。荒っぽい仕事には向いてるというので、もみ消しのためにのり出して来た……」
 
「何も殺さなくても良かったのに!」
 
 と、智子が叫ぶように言った。
 
「三井良子に近付いて話している内に、彼女が父親のことを許さない、と怒るのを聞いて、黙らせた方がいい、と思ったんだ。人を殺すなんてことは、気にもしない男だ」
 
「じゃあ、田代百合子さんも?」
 
「山神を犯人に仕立て上げる決定的なものが必要だったんだ。——しかし、まさかあの子を殺すとは思わなかった。山神をおびき出して、麻薬を射たせ、それで逮捕させる、という話だったんだ。ところが……」
 
 と、小西は絶句した。
 
「——お父さんがやったのも同じよ」
 
 智子の声がした。「そうでしょう。内田がどんな男か知ってて、田代百合子さんを——」
 
「いや、そのときには知らなかったんだ! 信じてくれ、智子」
 
 と、小西は訴えるように言った。
 
 智子の声が——笑い声が、ガランとした教室の中に響く。
 
「智子……」
 
「仲のいい父と子ね……親も娘も、人殺しなんだ!」
 
「智子。何のことだ?」
 
「いけません!」
 
 と、突然やす子が割って入った。「智子さん、言ってはいけません!」
 
 そのときだった。
 
「ワーッ!」
 
 と、山神の叫び声が聞こえた。「畜生! こんな——」
 
「やめて! 何なの?——、ああ、お姉さん! 来て! 早く!」
 
 智子の甲《かん》高い声。
 
「どこなの? 智子! 智子!」
 
「校舎の裏! 窓から出て!」
 
 智子がそう叫んで——ピーッという雑音がすべてを消してしまった。
 
 聡子が窓へと駆け出す。小西も娘の後を追って、机につまずきながら走り出していた。
 
 
 
「——憶えていません」
 
 と、智子は言った。「何だか……。気が付いたら、山神先生が地面に倒れていて、私、そばに立っていて……」
 
「落ちついて。君は人質にされていたんだ。神経が参っても仕方ない」
 
 と、草刈刑事は言った。
 
 キャンパスは、今、パトカーや救急車、そして駆け回る警官たちで、あわただしい雰囲気になっていた。
 
「お母さんがいるよ」
 
 と、草刈刑事は智子の肩を叩《たた》いて言った。
 
「行ってもいいんですか?」
 
「ああ、もちろん。また少し落ちついてから、話を聞かせてもらおう」
 
 パトカーのわきに、父と母、そして姉の聡子も待っていた。
 
「——智子。大丈夫?」
 
 紀子が娘を抱きしめる。「あなたにとんでもない思いをさせて……」
 
「お母さん」
 
 智子は、涙がこぼれるに任せていた。
 
「智子……」
 
 と、聡子が低い声で言った。「誰が山神先生を刺したの?」
 
「分らないの。暗い中だもの。突然刺されて、ナイフがパタッと落ちて、逃げて行く足音がした」
 
 と、智子は言った。「先生——死ぬ?」
 
「とても無理だろうって、救急車の人が言ってたよ」
 
「そう……」
 
 智子は肯《うなず》いた。紀子が娘の肩を抱いた。
 
「智子。——お父さんのことを許してあげて。もし、本当のことが全部明るみに出たら、お父さんだけじゃない。大勢の人が、家庭も何も破壊されてしまう。ね? お父さんだって、会社も辞めて、仕事もできなくなるわ。そうでしょ?」
 
「お母さん……」
 
「山神先生は気の毒だったけど、でも、あの先生のやったことにしておけば、うまく行くわ。——ね、そうしましょう」
 
「良子のことも? 田代百合子のことも? 山神先生の奥さんのことも?」
 
「智子……」
 
 智子は父を見た。小西邦和は、ちょっと目を伏せて言った。
 
「お前がいいと思うようにしなさい」
 
 智子は、姉と目を見交わした。
 
 父が事件に係わっていたと知れたら、母も姉も、人生のすべてが狂ってしまう。しかし、良心をごまかすことはできるだろうか?
 
 他の人にはできても、私は——私は——。
 
 智子は、ゆっくりと、山神が刺された現場へと目をやった。そして、草刈刑事の方へと、しっかりした足どりで歩いて行った。
 
「——どうした? パトカーで家へ送らせようか」
 
 と、草刈が言った。
 
「刑事さん」
 
 と、智子は言った。「私、お話ししなきゃいけないことがあるんです」
 
「何かな?」
 
 智子は、真直ぐに草刈を見て言った。
 
「片倉先生を殺したのは、私です」
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