眠りを殺した少女15

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 15 消えない罪

 
「じゃ、またね」
 
 と、こずえが手を振る。
 
「バイバイ」
 
 智子は、こずえを駅まで送って来たのである。
 
 友だちたる者、別に用事はなくても、玄関で「さよなら」というわけにはなかなかいかないものだ。
 
 ついつい、こうして出て来てしまうのだ。
 
 駅前で別れて、智子は、真直ぐ帰るのもしゃくで、マーケットに入ってみた。
 
 何か欲しい物があるというわけじゃないのだが、文房具とか、キャラクターグッズの棚は、見ているだけでも楽しい。
 
 歩いている内に、何か買いたい物に出くわすかもしれないし……。
 
 智子は、棚の間をぶらぶらと歩いて行った。
 
 ——春休みというせいもあるだろう。小学生、中学生らしい子が多い。
 
 何人かずつ連れ立って、買物をしている。
 
 ——楽しそうだ、と思った。
 
 私にもあんなころがあったんだわ、などと考えて、自分で笑っている。
 
 棚の端を回ると、少し奥まった所に、小学生の女の子が立っていた。たぶん——四年生か五年生。可愛いメモ帳を手にとって見ていたが、棚へヒョイと返して——いや返したように見せて、そのメモ帳は手の中におさまっていた。その手を後ろへ回すと、持っていたバッグの中へストンと落とす。
 
 その鮮やかさに、一瞬、智子は目を疑った。
 
 万引きか。——それにしても、見るからに真面目そうな、ごく普通の女の子である。
 
 その女の子は、歩き出そうとして、目の前の智子に気付いてハッとした。
 
「だめよ」
 
 と、智子は言った。「棚に戻しなさい」
 
 女の子は、ジロッと智子をにらんだ。
 
「何のこと」
 
 とぼけている。——智子は呆《あき》れた。
 
「見てたのよ。お店の人には言わないから、返しなさい。早く」
 
「関係ないでしょ」
 
 と、言い返して来る。「何の証拠があるのよ」
 
「何ですって?」
 
 智子もムッとした。
 
 しかし、騒ぎを起こしたくはない。少し厳しい目で女の子を見つめて、
 
「いい? 騒ぎになれば、お宅にも連絡が行くのよ。そのメモ帳は値札がついてて、お店の人が見れば、お金を払ってないことはすぐ分るわ。じゃ、お店の人を呼ぶ?」
 
 女の子はじっと智子をにらんでいる。
 
 それは、智子がたじろくほどに、憎しみを感じさせる視線だった。
 
「いらないや、こんなもの」
 
 バッグから、メモ帳を取り出すと、女の子は、智子に向ってそれを叩《たた》きつけると、タタッと足早に行ってしまった。
 
 智子は、重苦しい気持で、その場にしばらく立っていた。あれが小学生の目だろうか。
 
 怒りよりも、悲しくなってくる。
 
 メモ帳を拾い上げると、智子は棚へ戻そうとして、少し汚れてしまっているのを見た。
 
 ためらったが、自分で買うことにした。そうせずにはいられなかったのである。
 
 レジで、そのメモ帳を出すと、
 
「あ、少し汚れてますから」
 
 と、レジを打つ女の子が気付いた。
 
「いいんです」
 
「でも——」
 
「それがいいんです。汚れてても、構いません」
 
 と、智子は言った。
 
「そうですか?」
 
 レジの子が、不思議そうに智子を見て、レジを打った——。
 
 マーケットを出ると、智子はゆっくり歩き出した。
 
 少し曇っていたが、まずは穏やかな日《ひ》和《より》である。時間が中途半端なのか、道を行く人は多くない。
 
 ——突然、誰かがすぐそばに立ったのに気付く。
 
「見ていたよ。真面目じゃないか」
 
 と、その男は言った。「真面目な優等生、小西智子君か」
 
 智子は、目の前のその男を幻かと思った。
 
 山神が立っていたのである。
 
 
 
 長い時間だったか。それとも、ほんの数秒か。
 
 ともかく二人は、道に立って向き合っていたのである。
 
「ゆうべ会ったね」
 
 と、山神は言った。「もっとも、あのとき、僕はまともな状態じゃなかったけど」
 
「山神先生——」
 
「怖がるなよ」
 
 と、山神は笑った。
 
 その笑いが、いつもと変らないのが、不気味である。
 
「警察が——」
 
「知ってる。歩こう」
 
 山神は、智子の腕をとって歩き出した。
 
 智子はまだこれが現実なのかどうか、と疑っていた。
 
「立派なもんだ」
 
 と、山神は足早に歩きながら言った。
 
 逃亡犯という感じではない。服も変えているし、ひげもきれいにそってある。
 
「万引きの子の投げつけたノートを買ってやる、か。——罪滅ぼしかね」
 
「何のことですか」
 
 と、智子は言った。
 
「決ってるだろ。片倉先生を殺したことの、さ」
 
 山神の言葉に、智子の顔からサッと血の気がひいた。
 
「知ってるんだよ」
 
 と、山神は言った。「君があのマンションから駆け出して行くのも見た。雨の中をね」
 
 智子は、否定しなかった。頭から否定してしまえばすむことだ。
 
 しかし——言葉が出て来なかった。山神がしっかり腕をつかんでいる。その恐怖もあったが、事実を否定するのは、辛《つら》いことだった。
 
「君は真面目だな」
 
 と、山神は言った。「分ってる。自分のしたことで苦しんでるね」
 
「私……あのときは……」
 
「知ってるとも」
 
 と、山神は肯《うなず》いた。「——まあ、かけて話そうじゃないか」
 
 山神は、人のいない小さな公園の中へ智子を連れて来ると、ベンチに座らせ、自分もぴったりと身を寄せて座る。智子は反射的によけようとした。
 
「心配するな」
 
 と、山神は言った。「僕は片倉じゃない。君のような子に手は出さないよ」
 
「じゃあ……知ってたんですか」
 
「期待してたってとこかね、正確には」
 
 と、山神は言った。「君のことを片倉が誘ったのを知ってね。僕には分っていた。君がどうなるか。片倉があの手で、女の子を何人もものにしているのも、知っていた」
 
 智子は、黙って山神の話を聞いていた。
 
「——僕はね、あの雨の日、片倉のマンションの表で、車を停めて待っていた。君が入って行くのが見えた。赤い傘を、ロビーの隅の傘立てへ入れてね」
 
 赤い傘……。山神だったのか、あのFAXを送ってよこしたのは。
 
「君が、片倉の部屋に入る。——たぶん三十分もすりゃ、片倉は君を手ごめにしているだろうと思った。カメラを用意してね、待ってたんだ」
 
「じゃあ……私が先生に——」
 
「暴行されている現場写真をとる。これで、片倉の首根っこをにぎってやれる。そうだろ?」
 
「ひどい人ですね」
 
 と、智子は山神を見た。
 
「片倉ほどひどくない。違うかね?」
 
 と、山神は笑って、「ともかく、カメラを手に、ころあいを見はからってると、君が突然飛び出して来た。傘も忘れて飛び出して行く。——やられたか、と思った。遅すぎたかな、とね。しかし、こんなに早く君を帰すだろうか、と思ったんだ」
 
「じゃ——」
 
「そう。僕は中へ入った」
 
「でも、鍵が……」
 
「ちゃんと合鍵は作ってあったさ。健康診断で、片倉が上着を脱いで、そのポケットにキーホルダーを入れていたのでね。そのとき、そっと型をとった」
 
 山神は、むしろ愉《たの》しげにしゃべっている。
 
 なぜだろう? 智子には分らなかった。山神は自分が手配されていることを、知っているはずなのに。
 
「片倉の部屋へ入って、びっくりしたよ」
 
 と、山神は言った。「片倉が死んでるじゃないか! あの図々しく生きていて、とても死にそうもなかった男が」
 
「あれは……事故だったんです」
 
 と、智子は言った。
 
「灰皿で殴りつけたのも?」
 
 山神は、ちょっと笑った。「まあいい。ともかく、君は奴《やつ》を殺してくれた。しかも、片倉にしてみりゃ自業自得だ。同情することもない」
 
 智子は、ふと気付いて、
 
「じゃあ……指紋を拭いたのは——」
 
「そう。君だって、あんな奴のために少年院なんていやだろ? だから、ていねいに指紋を拭き取ってあげた」
 
 智子は、大きく息をついて、
 
「山神先生。何のために私をこんな風につけて来たんですか?」
 
 と、言った。
 
「簡単さ」
 
 と、山神は言った。「しばらく身を隠さなきゃいけない。金がいるんでね。君から都合してもらおうと思ったんだ」
 
「お金なんて——」
 
「君の家は金持だ。ないことはないだろ?」
 
 智子は、じっと山神を見つめて、
 
「山神先生。ゆうべのあの——田代さんって女子大生。先生が殺したんですか」
 
「違う違う」
 
 と、山神は首を振った。「そんな真似はしないよ。僕ははめられたんだ」
 
「はめられた?」
 
「そう。——片倉はね、自分が女子学生に手が早かっただけじゃない。女子学生にアルバイトをさせて、方々にコネを作っていた」
 
「どういうことですか?」
 
「つまり、コネをつけたい政財界の大物に、女の子を紹介するのさ。もちろん金にはならない。女の子はこづかいを稼いだろうがね」
 
「売春ですか」
 
「まあ、古い言葉でいえばそうだ」
 
 と、山神は肯いて、「一方で片倉は、そのコネで方々の役員をやり、甘い汁を吸っていた。ところが片倉が死んで、そのお偉方はあわてた」
 
「自分の名前が出ると……」
 
「そう。社会的地位のある名士ばかりだ。女子大生を金で買っていたと分れば、命とりになる」
 
「片倉先生の所に、そんな証拠があったんですか」
 
「どうかね。それほどうかつな男じゃないと思うが。——ともかく、それに絡《から》んでいたのがあの田代って子だ。僕はあの子に呼ばれていた。部屋へ行くと、飲物をすすめられて……。それに何か薬が入っていたんだ。カーッとして、何も分らなくなった。そして、やっと我に返ると、あの子が血まみれで倒れていて、若い男が、ホテルの奴を電話で呼んでいた。自分の両手に血がついているし、これは俺がやったと思われるな、と……。それで逃げ出したのさ」
 
 智子は、どうしたものか迷っていた。
 
「とりあえず、今持ってる金をくれるか」
 
 と、山神は言った。
 
 拒むわけにはいかない。智子は財布ごと山神へ渡した。
 
「中身だけもらおう。——一万円札があるじゃないか。これで一日二日は安ホテルでも泊れる」
 
 山神は財布を智子へ返すと、「いいかい。君が片倉を殺した。僕はそれを黙っているんだ。その代りに君が僕を助けてくれてもいいと思うがね」
 
「じゃ、あの田代さんを殺したのは、誰なんですか」
 
 山神は肩をすくめ、
 
「見当はつくが……。まあ言わずにおこう」
 
 と、言った。「さあ、君は家へ帰って、何とか金をつくってくれ」
 
「いやだと言ったら?」
 
「言わないさ」
 
 山神はギュッと智子の肩をつかんだ。「君は真面目な子だ。片倉を殺したと言われるのはいやだろ? 日本は、正当防衛が認められにくい。しかも、君はすぐに届け出ず、隠していた。言い逃れはできないよ」
 
 智子は、何も言わなかった。
 
 山神は立ち上って、
 
「じゃ、こっちから連絡するよ、明日にでもね」
 
 と言うと、公園から足早に出て行き、素早く左右を見回して立ち去った。
 
 智子は、しばし、ベンチから動けなかった。
 
 山神の逃亡を助ける? とんでもない話だ!
 
 しかし……だからといって、山神を告発できるだろうか。あの〈赤い傘〉は、まだあのマンションの子が持っているのだ……。
 
 智子は、ため息と共に立ち上り、ゆっくりと歩き出していた。
 
 
 
「——田代百合子は、どうして殺されたの?」
 
 と、由布子は訊いた。
 
「知らんよ」
 
「でも、誰かがやったわけでしょ」
 
「山神さ。それでいいじゃないか」
 
「気になるじゃない」
 
 小野由布子は、ベッドで裸の体にシーツを巻きつけて、伸びをした。
 
「——ともかく、これでけりがつく」
 
「そうかしら」
 
「どうしてだ?」
 
「あの手紙で、山神が犯人と思われたとしても、もし、山神にアリバイがあったら? あり得ることでしょ」
 
「まあ、そうだな」
 
 男はワイシャツを着て、ネクタイをしめている。
 
「でも——まあいいか。そこまで心配しても仕方ないものね」
 
 ——ホテルの部屋は、薄暗かった。
 
 窓がないので、昼も夜もない。ただ、愛し合うために来るだけだ。それで充分なのである。
 
「もう行くの」
 
 と、由布子が言った。
 
「仕事がある」
 
「いつ、発つの?」
 
「まだ分らん。飛行機の予約もあるしな」
 
 と、小西邦和は言った。
 
「出発までに、また会ってね」
 
 と、由布子が身をのり出すと、
 
「そうしよう」
 
 小西は素早く由布子にキスして、「じゃ、行くよ」
 
 と、上着を着た。
 
「どうぞ。私、もう少しのんびりしてから行くわ」
 
「こづかいだ」
 
 小西が一万円札を何枚か、灰皿の下へ置く。「じゃあ」
 
 小西が出て行くと、由布子は欠伸《あくび》をして、それからベッドのわきの電話へ手を伸したのだった。
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