長い夜06

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 6 町外れの家

 
 デスクの電話が鳴っても、小西晃介は、すぐには取ろうとしなかった。
 それは珍しいことだ。小西は、決して、こういうことを面倒がらない人間なのである。
「取りましょう」
 見ていた女性秘書が急いで立って来ると、
「いや、いい」
 やっと、小西は受話器を取った。「——もしもし」
「小西さんですか」
 元気な若い娘の声だ。「白浜仁美です」
「やあ。どうかね」
 小西は微《ほほ》笑《え》んで言った。「そろそろ着いたころかな、と思っていたよ」
「今、あの家です」
「そうか。変りはないかね」
「多少は」
「ほう」
 仁美が、金井と名乗った奇妙な老人のことを話すと、小西は、「なるほど。充分に用心してくれよ」
 と、言った。
「はい。——父も母も、荷物を片付けるので手一杯ですから、よろしく、と言ってます」
「こっちこそ」
 と、小西は言った。「無理を言ったが、よろしく頼むよ」
「はい」
 仁美の返事は、爽《さわ》やかなほど元気だった。「また、ご連絡します」
「うん。いつでも——自宅の方でも、構わんよ。夜中だろうが、遠慮することはない」
「分りました。それじゃ」
 電話が切れる前に、仁美が、「ね、その椅《い》子《す》は私のよ!」
 と、叫んでいるのが聞こえて来て、小西は低く笑った。
「——ずいぶん楽しそうなお電話ですね」
 と、秘書が言った。
「うん、若い女の子さ。十五歳の恋人だ」
「まあ、社長さん、捕まりますよ、そんな若い娘に手を出したら」
「恋は年齢に関係ないさ」
 小西は、真《ま》面《じ》目《め》な顔で言った。
 秘書の机の電話が鳴った。
「はい、社長室です。——え?」
 秘書が目をパチクリさせて、小西の方を向いた。「あの……お客様です」
「誰かな。予定はなかったろう」
「刑事さんだそうです」
「刑事?」
「まさか社長さん、本当にその女の子のことを——」
「よしてくれよ」
 と、小西は苦笑した。「分った。応接室へ通してくれ。——会議を二十分遅らせると連絡だ」
「はい」
 小西は、ゆっくりとお茶を飲んだ。
「お茶を出します?」
 と、秘書が訊《き》いた。
「もちろんだ。コーヒーがいいかもしれんな」
 小西は、何本か電話をかけた。それから、特に急ぐでもなく、社長室を出る。
「——お待たせして」
 と、応接室へ入って、小西は言った。
「お忙しいところを、どうも」
 刑事は、ちょっと腰を浮かした。
 四十五、六というところか。少し髪が白くなって、老けた感じではあるが、五十にはなっていないだろう、と小西は思った。
「ご用件は何でしょうか」
 と、小西はソファに腰をおろした。
「色々、大変なことでしたね。お嬢さんはお気の毒なことで」
「恐れ入ります」
 と、小西は言った。「しかし、あの事件はもうすっかり終ったと思っていましたが……」
「確かに」
 と、刑事は肯いて、「ああ、失礼。——私は市村といいます」
「娘の事件の時、お目にかかりましたか?」
「いや、お会いするのは、今日が初めてですな」
 市村という刑事は、出されたコーヒーをゆっくりと飲んで、「——旨《うま》い。刑事部屋で飲む紙コップのコーヒーとはまるで別ものですよ」
 と、笑った。
 小西も、自分の分のコーヒーを飲んだ。
「お嬢さんの事件は——」
 と、市村が言った。「夫の江田洋介の一時的な錯乱によるもの、ということで、結着しています。私も、それが間違いと思っているわけではないのですが」
「何か問題が?」
 小西の問いに、市村はすぐ答えなかった。どう切り出したものか迷っている、という様子である。
「実は、妙な訴えがありましてね」
 と、市村は言った。
「ほう?」
「ある男からです。自分の妹の一家が行方不明になった、というのですが」
「なるほど」
「妹は三十歳。夫がいて、子供は男の子で七つ」
 少し間があった。
「娘の宏子と孫の久弥が、全く同じ年齢でしたね。それはご心配なことだ」
 と、小西は同情するように言った。
「全くです。——ところがその男の話では、小西さん、お宅のお嬢さんとお孫さんが殺された事件で、実《ヽ》際《ヽ》に《ヽ》殺されたのは、自分の妹たちだ、というのです」
「何ですって?」
 小西は目を見開いた。
「びっくりされるのも当然です。しかし、その男が、あまりそう言い張るものですから」
 と、市村は首を振って、「もちろん、単なるその男の思い込みとか妄想ということもあり得ますが」
「そんなことは……。いや、その人の言う通りなら、うちの娘と孫は生きていることになりますからね。私としても、嬉《うれ》しい、と言ってもいいくらいです。しかし——私自身、娘と孫の遺体をこの目で見ているのです」
「分っています」
 と、市村は肯《うなず》いた。「その点を、確かめたくて、うかがったんです。ともかく、その男が、あんまり強く主張するものですからね」
「確かめるというと?」
「お嬢さんは、夫の江田に、かなり何度も刺されて、ひどい状態だったと聞いています」
「ええ」
 小西は目を伏せた。
「もし——万に一つ、ということですが、死体が別の女性のものだったという可能性はありませんか」
「つまり……」
「親ごさんにとって、死体の確認というのは辛《つら》い仕事です。チラッと見ただけで、着ているものなどから、これで間違いない、という——」
「刑事さん」
 と、小西は遮って、「確かに、あの時、私は、大変なショックを受けていました。気も動転して、いつものようには頭も働かなかったかもしれません。しかし、親は、もしかして自分の子ではないのではないか、と祈りながら見るものですよ。——本当に別人なら、こんな言い方をしては何ですが、嬉しいわけですから」
「それは当然でしょう」
「ですから、間違いはありません。あれは娘と孫でした」
「なるほど。——いや、良く分りました」
 市村は、コーヒーを飲み干した。「念のためと思ってうかがったんです。——申し訳ありませんでした」
「いやいや」
 小西は、そう言ってから、「しかし刑事さん」
「何か?」
「その男性は——名前は何というのか知らないが——どうして、妹さんたちが私の娘と入れかわっている、などと考えたんでしょうね」
「その辺のことが、どうもその男にもよく分っていないようなのですがね」
 と、市村は言った。「ただ、妹さんが、あなたのことを話したことがあるようでしてね」
「ほう。妙な話ですな」
「まあ、世の中、色々な人間がいますから。——どうも失礼しました」
 市村は立ち上がった。
 ——小西は、社長室へ戻った。
「お話はおすみになったんですか」
 と、秘書が言った。
「うん。何とか逮捕されずにすんだよ」
 と、小西は笑って言った。「ちょっと頼まれてくれないか」
「はい」
 ——秘書を使いに出すと、小西は内線の電話で、ビルの一階受付を呼んだ。
「——小西だ。今、市村という男が出て、そっちへ行く。すぐに帰るかどうか、見ていてくれないか。——そうだ。五十ぐらいの、コートをはおった男だ」
 小西は、しばらく落ちつかない様子で、社長室の中を歩き回っていた。
 電話が鳴ると、すぐに取って、
「——うむ。どうだ?——すぐ帰った? 確かか?——そうか、それならいい」
 小西は肯いて、受話器を置いた。
 席に戻ると、小西はしばらく考え込んでいたが、やがて引出しを開ける。——直通の私用電話が入っている。
 小西は、その受話器を取ると、記憶させてある番号のボタンを押した……。
 
 頭がヘッドレストから外れて、ガクッと落ちる。
 その拍子に、広沢は目を覚ました。
「おっと……」
 眠ってしまったのか。やれやれ。
 車の外へ目をやって、目を丸くしてしまった。
 外は真暗だ。
「畜生!」
 時計を見ると、もう九時を回っている。
 たっぷりと寝てしまったものだ。——あの自転車の女、ここを通ったのかな?
 もし通ったとしても、眠っている広沢にわざわざ声をかけては行くまい。
「失敗したな」
 と、首を振って呟《つぶや》く。
 もしかしたら、と思ってエンジンをかけてみたが、むだだった。
 こうなったら……。遠くても、あの町まで行くしかないだろう。まさかこんな所で夜明かしするわけにも……。
 それに、腹も空いていた。
 車を出ると、冷え込みが厳しいので、びっくりした。いくらかモヤモヤしていた頭も、すっきりしてしまう。
 夜の道は、ほとんど見通しのきかないくらい、真暗だった。——車のダッシュボードから、懐中電灯を出して、ともかく歩き出す。
 じっとしていると、寒くてたまらないのである。まだそう風がないから、いいようなものだが……。
 十分ほど歩いた時だろうか、後ろの方で、カタカタという音がした。
 空《そら》耳《みみ》かと思ったが、確かに近付いて来る音だ。
 振り向くと——あの自転車が見えた。
 女が、懐中電灯の中に浮かび上がる。
 一瞬、広沢はギクッとした。女の目が、奇妙な光を放ったように見えたからだ。
 ——たぶん懐中電灯の光の反射だろう。
 すぐに女は広沢に追いついた。
「まあ、さっきの——」
「やあ」
「どうしたんですの?」
「いや、車が動かなくなっちまってね」
「それで今まで?」
 広沢は、肩をすくめて、
「あんたが通りかからないかと思って待ってる内に、眠っちまったんだ」
「まあ」
 女は笑って、「でも良かった。私も、こんなに遅くなると思わなかったの。もしよろしかったら、ご一緒に?」
「そう願いたいね。俺《おれ》がこぐよ。後ろに乗ったらいい」
「え? でも重いですよ」
 と、女は笑った。
「自転車が潰《つぶ》れなきゃ平気さ」
 と、広沢は言った。「——さ、降りて」
 幸い、自転車は二人の体重に、充分堪《た》えられた。
「こんなこと、久しぶり」
 女が、広沢に後ろから抱きつくようにして、言った。
「そうかい」
「だって——子供の時ぐらいでしょ。こんな風に」
 子供だったら、そんなに胸が大きくないだろうな、と広沢は思った。
 背中に押しつけて来る胸のふくらみは、広沢の冷えた体を、中から暖めるのに充分だった……。
「どこへ行くんです?」
 と、女が訊《き》く。
「どこでも。——電話を借りたい」
「じゃ、うちへ来て」
「いいのかい?」
「ええ。どうせ子供と二人ですもの」
「旦《だん》那《な》は?」
 少し間があって、
「今夜は留守なの」
 と、返事がある。
 微妙なニュアンスを含んだ言い方だった。
 広沢は、もしかすると、結構面白い夜になるかもしれないな、と思った……。
「——どうぞ」
 女は、玄関の戸をガラッと開けた。
「じゃ、お邪魔するよ」
 広沢は、中へ入った。
 町をぐるっと迂《う》回《かい》するように回って、反対側へ出た町外れの家。
 どうしてこんな所にポツンと家があるんだろう、と思うような一軒家だった。
 家そのものは、そう古くない。狭いが、小ぎれいに片付いていた。
「不動産屋の口にうまくのせられたの」
 と、女は言った。「まだこの辺に何軒もできる、ってことだったのに……」
「そうか。不運だな」
「——ママ」
 男の子が出て来た。そして、広沢を見ると、ちょっと用心するように後ずさった。
「お腹《なか》空《す》いたでしょ。ごめんね」
 女はそう言って、広沢へ、「そちらも、何か召し上がるでしょ?」
「そう願いたいね」
「じゃ、何か簡単なものを作るわ。休んでらして」
「すまないな」
 小さな居間へ入ると、広沢は少し固めのソファに腰をおろした。
 ——電話しなきゃ、と思った。
 しかし、今かけたところで、どうにもなるまい。明日でもいい。
 ともかく、今は何か食べるものだ。
 男の子が入って来て、まじまじと広沢をみつめる。
「やあ」
 と、広沢は言った。
「お巡《まわ》りさん?」
「俺が? そう見えるかい」
「でなきゃ、探偵かな」
 広沢は笑って、
「そうだな、似たようなもんだ」
 と、言った。「パパは、どこへ行ってるんだ?」
「あっち」
 と、男の子が言った。
「あっち?」
「うん。僕らとは違う所だよ。だから、会えないんだ」
 会《ヽ》え《ヽ》な《ヽ》い《ヽ》、というのは妙だった。しかし——まあ、子供の言うことだ。
「だめよ、邪魔しちゃ」
 女が顔を出した。「さ、ご飯だから」
 広沢も立ち上がった。
「——今夜は泊って行って下さい」
 と、女は言った。
「悪いね、そこまで」
「いいえ」
 女は微《ほほ》笑《え》んだ。「一向に構いません」
「旦那が帰ると——」
「帰りません」
 女は即座に答えて、「当分は」
 と、付け加えた。
「そうか。布団の余分がなきゃ、ここで寝るよ」
「ベッドがありますわ」
 女が微笑む。
 もう、はっきりしていた。——広沢も、ニヤリと笑う。
 今夜は長い夜になるかもしれない、と思った。
 しかし、それが本当に、どんなに長いものになるか、広沢には分っていなかったのだ……。
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