本日もセンチメンタル25

 25 食い止める隆《たか》志《し》

 
 
「——疲《つか》れた」
 
 と、詩《し》織《おり》は言った。
 
「俺《おれ》だって……」
 
 隆志が言った。
 
 二人は、成《なる》屋《や》家の居間に入ってから、それぞれその一言ずつを発しただけだった。
 
「——二人とも、今日《きよう》はずいぶんおとなしいのねえ」
 
 と、母親の智《とも》子《こ》が紅《こう》茶《ちや》などいれてくれる。
 
「ママ……」
 
「なあに? 何かくれるの?」
 
「どうして私がママに何かあげるの? その前に出してくれるものがあるんじゃない?」
 
「そうだった? 年賀状とか暑中見《み》舞《まい》?」
 
 全く、どこまで本気なのか……。
 
「夕ご飯よ! お腹《なか》ペコペコなの!」
 
「あ、なんだ、そうならそうと言えばいいじゃないの」
 
 と、智子は笑って、「じゃ、隆志さんも?」
 
「ええ……。もしよろしければ」
 
 隆志としては精《せい》一《いつ》杯《ぱい》の遠《えん》慮《りよ》である。
 
「そう。それじゃ、困《こま》ったわね」
 
 と、智子は言った。
 
「困った、って——ママ、何かあるんでしょ、食べるものくらい」
 
「それが今日は、残りものを全部きれいに平らげちゃったもんだから……。パンの耳ならあるけど」
 
「私、ウサギじゃないのよ!」
 
 と、詩織は言った。
 
 まあ、何とか、お寿《す》司《し》の出前を取る、ということになって、詩織と隆志は、辛《かろ》うじてあと二十分ほどの空《くう》腹《ふく》を堪《た》えることができたのだった。
 
 お寿司が来ると、智子はお茶をいれて来たが、その間に、もう二人とも、三分の二は食べ終っていた。
 
「——しかし」
 
 と、隆志が、やっと生き返った様子で、「あの三《み》船《ふね》も殺されて、何だか着々とやられてくって感じだなあ」
 
「うん……。まあ、やられて惜《お》しいってほどの人じゃないけど、でも、やっぱり殺すのは感心しない」
 
「そりゃそうだ。本当にあの啓《けい》子《こ》って子がやったのかな」
 
「分《わか》んないわよ。私はあの子じゃないんだから」
 
 詩織は、しごくもっともなことを言った。
 
「もしかすると、これもあの子の計略なのかもしれないな」
 
 隆志は考え込《こ》みながら言った。
 
「計略って……お寿《す》司《し》のこと?」
 
「何でお寿司が出て来るんだよ」
 
「だって、私の、あなたのと比べて、鉄《てつ》火《か》巻《まき》が一つ少ないわ」
 
「そうじゃないよ! 三船がやられて、手下たちは、あの緑《みどり》小《こう》路《じ》ってのがやったと思ってるわけだろう? これで二つのグループがやり合って、お互《たが》いに弱くなる……」
 
 詩織は肯《うなず》いた。
 
「なるほどね。——何となく分るわ。でも、それじゃ、あの啓子さんって、とんでもない人ってことになる」
 
「ヤクザとかギャングとかが憎《にく》かったんだよ、きっと。だから自分の手で根絶やしにしてやろう、と……。その心根、俺《おれ》にもよく分るぜ」
 
 と、隆志は涙《なみだ》ぐんでいる。
 
 どうやら、詩織の性格に影《えい》響《きよう》されているらしい……。
 
 電話が鳴った。智子が受話器を取ると、
 
「はい。——はあ、成屋でございます。うちの娘《むすめ》ですか? 詩織? そんな名前じゃなかったと思いましたが……」
 
「ママ!」
 
 と、詩織が飛び上った。
 
「あ、ちょっとお待ちを。——あ、詩織だったわね、お前」
 
 自分の娘の名を忘れるというのは、全く珍《めずら》しい母親である。
 
「代るわ。——誰《だれ》から?」
 
「女の人よ。ちょっと年《ねん》輩《ぱい》の。あなたのお母さんかしら」
 
「ママはここにいるじゃないの」
 
「あ、私がそうだったわね」
 
 詩織は、母の相手をするのをやめて、受話器を受け取った。
 
「もしもし」
 
「あ、詩織さんていったわね。竜《りゆう》崎《ざき》幸《さち》子《こ》よ!」
 
「ああ! 女社長さん」
 
 桜《さくら》木《ぎ》に、かつて世話になったという、ビルのオーナーだ。
 
「どう? 隆志は元気?」
 
「ええ。何とか。何かあったんですか?」
 
「ニュースで聞いてさ。三船とかってのがやられたじゃない」
 
「ええ」
 
「桜木さんも、あの男を知ってたと思うのよね」
 
 桜木!——そうか、と詩織は思った。
 
 あの啓子には人殺しなどできないかもしれないが、桜木が実際の犯行を受け持っているとすれば、分《わか》らないでもない。
 
「そうそう、桜木さんからも連絡があったのよ」
 
 と、竜崎幸子が言った。
 
「まあ、あの人、どこにいるんですか?」
 
「たぶん、お宅《たく》の近く」
 
「え?」
 
 詩織は、キョロキョロと周囲を見回して、「見当りませんけど」
 
「あんたの所の電話って、外にあるの?」
 
「いいえ、居間です」
 
「じゃ、見えないでしょ。今、お宅《たく》の方へ向ってると思うわ」
 
「そうですか!」
 
 これで、色々な謎《なぞ》も一挙に解けて、大団円となるかもしれない。そうなると、小説も早く終って作者も楽だし……。
 
「私も今からそっちへ行くわ」
 
 と、竜崎幸子は言った。
 
「そうですか、じゃ、お待ちしています」
 
「そうね。十分ぐらいで着くと思うわ」
 
 十分?——じゃ、竜崎幸子も近くにいるらしい。
 
 詩織が電話を切ると、玄《げん》関《かん》のチャイムが鳴った。きっと桜木だ。
 
 詩織は玄関へと出て行って、ドアを開《あ》けると——がっかりした。
 
「花《はな》八《や》木《ぎ》さん!」
 
「何だ? 他《ほか》に誰《だれ》か来る予定だったのか?」
 
 花八木刑事は、あたかも我《わ》が家の如《ごと》く、さっさと上り込《こ》むと、お寿《す》司《し》の器を見付け、
 
「ほう、寿司か」
 
 と、言った。「全く、刑事ってのは、大変な商売だ。世の善良な人々を守るため、腹《はら》を空《す》かして頑《がん》張《ば》っても、誰一人として、寿司など取ってはくれんのだ」
 
 何とも当てつけがましい言い方だが、これがこの家で通用すると思ったら、大《おお》間《ま》違《ちが》いなのである。
 
「まあ、お気の毒に」
 
 と、智子が言った。
 
「分ってくれるか」
 
「ええ。——じゃ、お茶でもお飲みになります?」
 
 花八木はガクッと来たのか、座《すわ》ったソファから、落っこちそうになった。
 
 と、その時、表の方で、ドタドタと足音がしたと思うと、
 
「逃《に》がすな!」
 
 という声。
 
「殺すなよ! 生《い》け捕《ど》りだ!」
 
 と、怒《ど》鳴《な》る声。
 
 誰《だれ》かが、詩織の家の中へ飛び込《こ》んで来た。
 
「—— 失礼します」
 
 と、居間へ、顔を出したのは……。
 
「あ! おじさん!」
 
 と、詩織は言った。
 
 桜木だった。詩織を人質にしてたてこもった時と、同じ格好をしているので、すぐに分る。
 
「あんたか! 頼《たの》む! すまんが追われていて——」
 
 と、ハアハア息を切らしている。
 
「隆志! あんた、連中を食い止めて」
 
 と、詩織は、桜木の手を取って、「裏《うら》へ出ましょう!」
 
「食い止めるって——おい」
 
 隆志は、オロオロするばかり。その間に、詩織は桜木の手を引いて、居間からガラス戸を開《あ》けて、庭へ飛び出した。
 
 花八木は、ポカンとしていたが、
 
「おい! 待て! 俺《おれ》も話がある!」
 
 と、立ち上る。
 
「それより、こっちを何とかして下さいよ!」
 
 隆志が花八木の腕《うで》をつかんだ。
 
 と、居間へドタドタと入り込んで来たのは——あの、三船の手下たちだった……。
 
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