キャンパスは深夜営業23

23 危ないシャワールーム

 
「へえ、それじゃ、学部を建て直すんですか」
 と、知香は言った。
「そう。それで、こちらの柳井さんに、色々とお力になっていただいてるわけさ」
 と、安部は肯《うなず》いて言った。
 ——良二と知香は、ちゃっかり安部たちのテーブルに加わって、コーヒーを飲んでいた。
 食堂はもう大分空《す》き始めていて、紀子たちも先に出てしまっていた。
「いや、これは大きな仕事ですからな」
 柳井は、ゆったりと椅《い》子《す》にかけている。
 かなり太った男で、食堂の安物の椅子では、体重を支えるのが、辛《つら》そうだ。
「じゃ、きれいになるでしょうね。残念だなあ! きれいになってから、また入り直そうかしら」
 と、知香は悔しそうに言った。
「そうしても構わないよ、僕は」
 と、安部が笑って、「それまで留年するかい?」
「いいですね。でも、子連れ学生になりそうだわ」
「いや、若い方ってのは、いいですね」
 と、柳井は微《ほほ》笑《え》んで、「みなさんのご意見も充分にうかがって、設計したいと思っていますのでね」
 ——良二は、ほとんど口を開かずに、話を聞いているだけだったが、しかし、どうも妙だと思っていた。
 確かに、最近の大学の郊外移転の流行には、この大学は大分先がけている。
 だから、建物にしても、そう新しいとは言えない。しかし、建て直すというほど古いとも思えないのである。
 もちろん、新しくてきれいで便利になるのなら、学生は喜ぶだろうが……。
 しかし、建て直すとなれば、莫《ばく》大《だい》な費用がかかることぐらい、良二にだって分る。
 そんなお金、あるのかな。良二は首をかしげた。
 
「そう」
 と、知香は肯いた。「あなたに、ゆすりをやってもらわなくても、いいみたい。はっきりして来たわね、これで」
「何が?」
 良二は、知香の方を見た。
 ——いつもの「屋根裏荘」である。
 夜になって、宍戸を始めとする子分たちは、外へ出ていた。笠間との争いに決着をつけるために、その支度をしているのである。
 二人で残った知香と良二は、はしごを上げて、久しぶりにのんびりと二人で——というわけだ。
「動機よ」
 と、知香は、毛布を引張って、裸の胸を隠しながら、「この学部の建て直し。凄《すご》い大金が動くわ」
「それは僕にも分るけどな」
「当然、うまいことやれば、学部長の懐《ふところ》にも、かなりのこづかいが転がり込む。そう思わない?」
「うん。——じゃ、今度の事件に、それが関わってる、っていうのかい?」
「紀子が当ってくれてるわ。学部の建て直しなんて、大きな問題ですものね。先生たちの間で、かなり話題になってるはずよ」
「すると、金山先生と平田先生が、それに賛成と反対で対立して——」
「反対してたわけじゃないと思うわ。ただ、問題はどっちが学部長になって、建設の主導権を取るか」
「なるほどね」
 と、良二は肯いた。「金が絡《から》んでるのか」
「世の中、たいていのことはそうよ——」
 と、知香は言って、「愛情以外はね」
 と、良二にキスした。
 良二は知香を抱きしめて……。
 ここで映画なら暗くなるところだが、活字ではそうもいかない。まあ「……」で済ませることにして……。
「——あの警部さん、どうしたんだ?」
 と、良二が言った。
「落ち込んじゃってたから、宍戸さんが連れてったみたい。何かしてた方が、気が紛れるでしょ」
 刑事が泥棒に気をつかわれてるってのも、妙なもんだ、と良二はおかしかった。
「ね、シャワーを浴びて来ましょうか」
 と、知香が起き上った。
「OK」
 良二も異議はない。
 ——二人が、外へ出ると、いつもながらに大学の中は静かなものである。
「お先にどうぞ」
 シャワールームの前まで来ると、知香は言った。「私、少し考えごとをしたいの」
「そう? それじゃ」
 良二は先にシャワールームへ入って、熱いシャワーを浴びた。
 出て来ると、知香が階段に腰をおろして、考え込んでいる。
「——君の番だよ」
「うん」
 知香は、立ち上って、「髪を洗うから、少し時間がかかるわよ」
「ああ、分った」
 良二は、知香が入って行くと、ドアを閉めて、大きく伸びをした。
 中から、やがてシャワーの音が聞こえて来る。良二は、知香と同じように、階段に腰をおろして、息をついた。
 静かなもんだ。——誰もいないと、物音も人の声も……。
 良二は、欠伸《あくび》をした。
 後ろで、小石の鳴る音がした。振り向こうとすると、冷たい物が、首筋に押し当てられた。
「動くなよ」
 と、低い声が言った。「一発でお前の頭は吹っ飛ぶぜ」
 銃口だ。——良二はスーッと血の気がひいて行くのを感じた。
「立て。そっとだ」
 ゆっくり立ち上ると、ザワザワと音がして、どこにいたのかと思うほどの男たちが、顔を見せた。
 五人、六人——いや、後ろの男を入れると七人だ。
「こいつが、あの娘の恋人ですよ」
 と、後ろの男が言った。
 声に聞き憶《おぼ》えがある。——あの男だ。知香が、あの細い道でやっつけてしまった男……。
「なるほど。鈍そうな奴だ」
 失礼なことを言って、ゆっくり進み出て来たのは、黒い背広の、五〇がらみの男だった。
「俺のことは、若林の娘から聞いてるだろう。笠間というんだ」
 笠間……。この男が!
「大分捜したぜ」
 と、笠間が言った。「あの娘には、こっちも骨を折らされたからな。ゆっくり礼をしてやらなきゃいけないんだ」
 ——シャワーの音が聞こえている。
 いくら知香でも、シャワーを浴びている所を襲われたら、どうにもならないだろう。
 畜生! 何のために見張ってたんだ!
 良二は歯ぎしりをした。
「こいつを押えとけ」
 と、笠間が言った。
 良二は二人の男に両腕をつかまれ、口の中へハンカチを丸めて押し込まれてしまった。声も上げられない。
「——俺が引きずり出して来ます」
 と、あの男が言った。「この前の礼をしてやらなきゃ」
「いいだろう」
 と、笠間は肯いた。「どうせ裸だ。そいつの前で、可《か》愛《わい》がってやれ」
 良二は、何とかして知香に危険を知らせたかった。しかし——呻《うめ》き声を上げたぐらいで、シャワーを浴びている知香に聞こえるわけがない。
 笠間という男は一見してヤクザ風ではない。
 むしろ実直なビジネスマンという印象で、それが却《かえ》って冷ややかな、気味の悪さを感じさせている。
 あの男が、拳《けん》銃《じゆう》を手に、シャワールームのドアを開け、中へ入って行く……。
 良二は、必死で手を振り離そうとしたがとても不可能だった。
 知香! 危いぞ!
 と、突然。
「ワーッ!」
 と、叫び声が上った。
 だが、それは、知香の声ではなく、入って行った男の声だったのだ。
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