キャンパスは深夜営業21

21 屋根裏の居候

 
「あれま」
 と、良二は言った。
 この場には、ややふさわしくない言葉だったかもしれない。
 しかし、刑事が血を流して倒れてるっていうのは、少なくとも状況としてはあまり普通でない。
 刑事というのは、血を流して倒れてる人間を見下ろして、首をかしげたり、手帳に何か書いたりしているものなのに。
 知香は、倒れた米田警部の方へ駆け寄ると、手首の脈を取った。
「——死んでる?」
 と、良二はこわごわ訊《き》いた。
「生きてるわ。相当な石頭ね」
 と、知香は妙なことに感心している。
「そうか。でも良かったね」
「それにしても——ただごとじゃないわ」
 居間の中の、ひどく荒らされた様子を見て、知香は言った。「中を調べましょう」
 良二としては、あまり気は進まなかったのだが、ここで帰ろうとも言えず、知香について行った。
「——何もないね」
 良二はホッとしながら言った。
「そうね。でも、金山先生はどこに行ったのかしら?」
「出かけてんじゃないの」
「こんなに周囲を刑事が固めてるのに?」
 と、知香は首を振って、「どこかおかしいわ——その戸は?」
「物置か何かだろ」
 良二は、ガラッと戸を開けた。「別に何も——」
 目の前に、金山教授がぶら下っていた。
 首を吊《つ》っているのだ。
「わ……」
 と言ったきり、良二はヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「やっぱりね」
 と、知香が肯《うなず》く。「こんなことじゃないかと思ったのよ」
「そ、そう?」
「今さら、どうしようもないわ」
 と、知香は首を振って、「さ、行きましょう」
「う、うん……。ちょっと待って」
 良二は、やっとこ立ち上った。
「大丈夫?」
「うん……」
 知香の手前、何とか頑張ったものの、そうでなきゃ、気絶していたかもしれない。
「——米田さんも可《か》哀《わい》そうに」
 と、知香は、米田を見下ろして、「どうしようかしら」
「救急車でも呼んであげれば?」
「そうねえ……」
 知香は、しばらく考えてから、「——いいわ。良二君、表の宍戸さんを呼んでくれない?」
「ここへ? どうすんの」
「ちょっと荷物を運んでもらうのよ」
 と、知香は言った。
 
「うーん……」
 と、米田が唸《うな》った。
「こりゃなかなかいい声だ」
 と、聞いていた宍戸が言った。「浪花《なにわ》節《ぶし》にゃ、向いてますぜ」
「呑《のん》気《き》なこと言って。——傷は?」
「大したことありませんよ」
 他《ひ》人《と》のことだと思って、宍戸は呑気なものである。「命にゃ別状ないだろうし、頭の中身の方はもともと大したことないだろうし」
 ドッと笑い声が上った。
 ん? ——何だか、えらくにぎやかだな。
 米田は、うっすらと目をあけて……。
「天国か、ここは?」
 と、呟《つぶや》いた。
 また周囲がドッとわく。
「——どう、ご気分は?」
 と、知香が顔を出すと、米田はやっと目が完全に覚めたようで、
「お前か? ——何をしてるんだ!」
 と、怒鳴って、あわてて顔をしかめ、「イテテ……」
「しばらく動かない方がいいわよ」
 と、知香は言った。「頭の傷、結構ひどいみたいだから」
「ああ……」
 米田はそっと頭に手をやって、包帯が巻いてあるのを知った。
「どう? なかなか慣れたもんでしょ」
「誰が……やったんだ?」
「宍戸さん」
「任せときな」
 と、宍戸がニヤリと笑って、「俺《おれ》は、麻酔なしでけがの手当をするのが得意なんだ」
「お前か……」
 米田は、情ない顔で、「わざとひどくやったんじゃないだろうな」
「それはないわよ」
 と、知香がムッとしたように、「気に入らなきゃ、窓から放り出すわよ」
「わ、分った。やめてくれ」
 米田はあわてて言った。「いや——手当してくれたことは礼を言う」
 しかし……。米田は周囲を見回して、
「どこだ、ここは?」
「ペントハウス」
「何?」
「特別マンション、ってとこかな。ま、病院の前に放り投げといても良かったんだけどね。それじゃ、ちょっと可哀そうかな、と思って。長い付合いだし」
 米田は、
「ともかく俺は、捜査本部へ行かなければ……」
 と、起き上ろうとして、「いてっ!」
 と、悲鳴を上げた。
「静かにしてよ」
 と、知香は顔をしかめた。「このマンションはね、絶対に騒音をたてちゃいけないの!」
「俺がいつ騒音をたてた!」
「あなたは、普通にしてても騒音なの」
 二人のやりとりを聞いていた良二は、思わず吹き出してしまった。
「——ともかく、今動くと、傷口が開くよ」
 と、宍戸が言った。「しばらくおとなしくしてるんだな」
 米田は、渋々という様子だったが、ムスッとしたまま、腕を組んだ。
「——はい、熱いスープ」
 と、知香が持って行くと、
「いらん!」
 プイとそっぽを向く。とたんにお腹がグーッと鳴った……。
「——あの家で何があったの?」
 と、知香は、米田がスープをきれいに飲み、買って来た弁当を二つも平らげるのを見て呆《あき》れながら言った。
「うむ……。金山の所へ我々は出向いて行った。例の平田千代子殺しの件で、事情を聞きに行ったのだ」
「外に刑事を置いて?」
「逃走する心配があった」
「金山先生が?」
「情報が入っていたのだ。金山が、ブラジル行きの航空券を手配しているとな」
「へえ。その情報はどこから?」
「そりゃ知らん。ともかくこっちは逃げられちゃいかんというので、あの家へ急行した」
「それで部下を外に待たせて?」
「私は一人だけ部下を連れて、入って行った……。もちろんチャイムも鳴らしたが、返事がなかったのだ」
「それで?」
「上り込んで、中を手分けして捜し始めた。すると、銃声がして——」
「銃声?」
「そうだ。いや——たぶん銃声だと思う」
「頼りないのね」
「仕方ないだろう。家の中だ。違う部屋にいたから、よく分らんのだ」
「ま、いいわよ。それで?」
「急いで、もう一人の刑事を捜した。だが返事もなく、どこにいるのかも分らん。そして表の部下にも、銃声は聞こえたはずなのに、誰もやって来ん。こりゃ何かあるな、と思って——」
「逃げ出した?」
「何を言うか! 逃げようと思ったことは思ったが、やはり思い止まったのだ」
 正直な男である。
「誰に殴られたの?」
「分ってりゃ、苦労はせん」
 と、米田は渋い顔で言った。「居間の方で物音がしたのだ。それで覗《のぞ》いてみようと近付いて行くと、後ろからいきなり——」
「ポカン、ね。じゃ、犯人の姿は全然見てないんだ」
「金山だろう。追いつめられて、やみくもに暴れて逃げたのだ」
 知香と良二は顔を見合わせた。——なるほど、今の話の通りなら、米田は何も知らないことになる。
「あのね、金山先生は死んだのよ」
「何だと?」
 米田は目をむいた。——知香の話を聞くと、
「——そうか。俺を殴って、殺したと思い、罪の深さにおののいて、死を選んだ。どうだ、これで?」
「こじつけよ。外の部下まで殴られてたのが説明できないじゃないの」
「うむ、そうか……」
「金山先生は殺されたのよ」
「誰に?」
 知香は、ちょっと間を置いて、
「たぶん——笠間の手の男に」
 と、言った。
 
「知香」
 と、良二は言った。
「——うん?」
「いいのかい、米田警部をこんな所に置いといてさ」
「そうねえ……。いびきがあんなにうるさいとは思わなかったわ」
「いや……。まあそれもあるけど」
 夜。——みんな寝静まっている。
 二人きりの〈愛の巣〉だったこの天井裏も、何だかどこかのクラブの合宿所みたいになってしまった。
「——ね」
 と、知香が言った。「ちょっと散歩でもしましょうか」
「いいね」
 良二は早速起き上った。
 こうツーカーと来るところが、良二のいいところなのである。
 二人して、そっと天井裏から下りると、下の廊下に、宍戸が立っていた。
「何してるの?」
 と、知香が言った。
「見張りです」
「まあ。他の人にやらせればいいじゃないの」
「いえ、自分でやった方が、気が楽ですからね」
 と、宍戸は笑って言った。「どちらへお出かけで?」
「夫と散歩」
 と、知香は良二の腕を取った。
「お気を付けて」
 と、宍戸はニヤリと笑って、頭を下げた。
 ——夜の大学構内は、もちろん相変らず静かである。
「どうなっちゃうのかなあ」
 と、良二は言った。
「何が?」
「もちろん殺人事件さ。それに、君の方の、例の笠間とかって奴《やつ》……」
「よく分らないけど……。何だかぼんやりと形が見えて来たような気がするのよね」
「形って?」
「事件の。安部先生がどう絡んでるのか、とかいったことも……」
「そう」
 良二には、さっぱり見当もつかない。
「——誰か来るわ」
 と、知香が言った。
 例によって、良二には全然足音は聞こえないのである。知香は緊張して耳をすましていたのだが……。
 やがて、ホッと息をついて、
「何だ。小泉君だわ」
 その時になっても、良二には足音が聞こえない!
 しかし、実際、やがて和也が息を切らしながら、やって来るのが見えた。
「——良かった! ここにいたのか」
「何だ、どうしたんだよ?」
 と、良二は訊《き》いた。
「いや、大変なんだ……」
 和也は息を切らして、「ホテルでラジオをつけてたら——」
「ホテルで?」
「あ……あの、つまりだ、そりゃ別だけど、この話とは」
「紀子と一緒ね? まあ」
 と、知香が笑って言った。
「と、ともかくニュースを聞いたんだ」
「金山先生のこと?」
「そりゃ知ってたけどさ。——警察じゃ、あの米田って警部が姿をくらましていて、怪しいって発表してるぜ」
 良二と知香は思わず同時に、
「まさか!」
 と、言っていた。
 実によく気が合うのである。
「本当だ。あの警部が、金山とグルだったとか、そんなこと言ってた」
 知香は首を振って、
「警察って、お互いに信頼してないのね」
 と、呟《つぶや》いたのだった。「泥棒の方がましだわ」
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