キャンパスは深夜営業08

8 新 居

 
「——どうだ?」
 と、和也は言った。
「悪くないわね」
 知香は気に入った様子で、「間取りはちょっと不便だけど」
 良二は、呆《あき》れたように、
「お前どうしてこんな所を知ってるんだ?」
 と、言った。
「うん。クラブの用事でガラクタを集めに大学中を捜し歩いたことがあるんだ。その時、ここを見付けた。——なかなかのもんだろ?」
 屋根裏——といっても、相当の広さだ。
 建物は木造の古い棟で、今は入口の近くの三つの部屋がクラブ用に使われている。
「化学研究部が入ってるから、電気、ガス完備だ」
 と、和也は言った。「夜中に使えば分りっこなしさ」
「ガードマン、来るかな」
「来たとしても、屋根裏には天窓しかない。何も見えないよ、下からじゃ」
 出入りは、隅の方の上げ戸から。もちろんはしごを使わないと上り下りできない。
「物置から持って来たはしごを、いつも上に上げときゃいいんだ。必要に応じて、それをかけて下りる」
「上げ戸の上に、何か置いた方がいいわね」
 と、知香は言った。「誰かが下から押し上げても、そう簡単に動かないように、戸が開かなきゃ、諦《あきら》めるかもしれないもの」
「食堂までは大分遠いぜ」
「ぜいたく言うな」
 と、和也がつつく。
「冗談だよ。いや、助かった」
「本当。すてきな新居だわ。ねえ、あなた?」
 知香が甘えるように良二の首に手をかける。
「——あれ、何か邪魔みたいだな」
 と、和也が言った。
「そう。邪魔だ」
「それじゃ、また来るよ」
 と、和也が、上げ戸の方へ歩いて行って、「そうだ。——俺《おれ》がここへ来る時は、どうすりゃいいんだ?」
「下から呼べよ。それとも石でも投げてから声をかけるとか」
「分った。じゃ、まあごゆっくり」
「気を付けろよ」
 と、良二は、はしごを下りて行く和也に声をかけた。
「大丈夫。俺はこう見えても身が——」
 ドタドタッ! ——少し間があって、
「いてて……」
 と、呻《うめ》く声が聞こえた。
「おい、大丈夫かよ?」
「うん……。ちょっと飛び下りの運動をしてみただけだ……」
 と、和也の声がした。「じゃあな……」
 良二は、はしごを引き上げ、戸を閉めた。
「——明りを何か工夫しなきゃね」
 と、知香が言った。
 今夜のところは、さし当り、乾電池式のライトがある。しかし、これじゃたちまち切れてしまうだろう。
「でも、こんな生活、面白いと思わない? 私、大好きよ」
 と、知香はすっかりお気に入りの様子だ。
「なかなか風流だね」
 天窓からは、ちょうど月が見えた。
「天井裏って、私もよく仕事で入ったけど、こんなに広いのって初めて」
 実際、頭もつかえないくらい高さがあって、広さも何十畳分あるだろうか。
 ま、いささか埃《ほこり》っぽいのは仕方ないが、想像していたほどひどくはなかった。
「——今、何時?」
「もうすぐ夜中の十二時だよ」
「そう。ガードマンの巡回は何時なのかしらね」
「明日でもゆっくり調べたら?」
「そうね。でも——」
 知香は、二人が寝る場所を、ちゃんと掃除して、運んで来た毛布を重ねて敷いたのだが——。
「少し、汚れちゃったしね。——シャワーでも浴びようかな」
「ここで?」
「まさか。——運動部の部室へ行けば沢山並んでるじゃないの」
「あ、そうか」
「石ケンもシャンプーもあるから、女子用の方には。タオルはちゃんと持って来たからね!」
「しっかりしてら」
 と、良二は笑った。
「じゃ、出かけましょ」
「僕も?」
「私がシャワーを浴びてる間、見張っててよ。いいでしょ?」
「もちろん!」
 二人は、上げ戸を開けて、はしごを下ろし、下へ下りた。——問題は、二人で出ている間、どうするかという点だったが、このまま放っておくわけにはいかない。
 取りあえず、はしごを手近な階段の下へ隠しておくことにした。
「じゃ、行こうか」
 と、知香はタオルを肩にかけて言った。
 まるで銭《せん》湯《とう》へ出かける感じだ。
 夜の大学構内というのが、こんなに静かなものかと、良二はびっくりした。
 当り前のことではあるが、やはりこうして現実にその中に立ってみると、驚かされる。
「——いくつか明りの点《つ》いてる窓もあるじゃないの」
 と、知香が言った。
「研究棟だ。遠いから、見えやしないよ」
「誰が残ってるのかしら?」
「助手とか院生は、研究や実験で、徹夜もするみたいだよ」
「へえ。初めて知ったわ」
 二人は、建物の裏手の道を、辿《たど》って行ったが……。
「待って」
 と、知香が足を止めた。
「どうしたんだい?」
「しっ!」
 知香は、じっと耳を澄ましていた。「——誰か来るわ」
 良二には何も聞こえなかったが、知香に手を引張られて、一緒に建物の角を曲って、暗がりの中に身を潜めた。
 ——やがて、かすかな足音が、良二の耳にも届いて来た。
「本当だ」
 良二は、囁《ささや》くように、「君、凄《すご》い耳、持ってるね」
 と、言った。
「商売柄ね」
 と、知香が答える。「話しながら歩いて来るわ。二人ね」
 確かに、二人だった。
 暗すぎて姿は見えないが、どうやら男と女らしい。ゆったりした重々しい足音と、甲高いハイヒールらしい足音が、入り混って聞こえる。
「——そんなこと!」
 と、女の声が、高くなって、良二にも聞こえた。
 男の方が、何やら低い声でブツブツ言っていた。
 良二には、断片的な、「先生が……」とか、「今だったら……」という言葉しか聞こえて来ない。
 その二人は、すぐに遠ざかって行ってしまった。
「やれやれ」
 と、良二は息をついて、「結構、人がいるものなんだね」
「そうね……」
 知香は、何だか上の空で返事をしている。
 良二たちは、またシャワー室の方へと歩き出した。知香は、何やら考え込んでしまっている。
「——どうかしたの?」
 と、良二は訊いた。
「いえ——今の話」
 知香は、首を振って、「聞き違いだといいんだけど」
 と、言った。
「今の話?」
「ええ。よくは聞こえなかったけど——」
「僕にはまるきりだよ。意味のある言葉は聞こえなかった」
「私も断片。でも、気になったの」
「何が?」
 知香は良二を見て、
「男の方が言ったのよ。『先生を殺そう』って」
 と、言った。
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