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 さっきの問題、考えてた?
 いや、すごいの。工業高校ったって、男だけじゃなかったのね。彼女見たときには、俺、マジで震えちゃった。
 腹ばいになってマッサージ受けてるときだった。陸上部って、男どうしでからだこすりあう。はじめのうちは、こんな気色悪いもん効くのかよって思ってたけど、ふくらはぎなんか下から上へ手のひらでぐっと押されると、筋肉がウウッとなるわね。
 それで、あんまり気持ちいいんでボーッとしてたら、横のテントのはじからね、お尻《しり》が突き出た。黄色のユニフォームがレオタードみたいに張りついてて、下には何もはいてないんじゃないかって感じ。日に焼けた脚の色にぴったりなの。
 ちょうど着替えてるとこだったみたい。テントから出てきたらガーンよ。
 テレビ見てると、ジャマイカとかなんとか、アメリカの南のほうの国の選手っているじゃない、あれ。
 からだが、もう、全然違う。脚は長いは、顔は小さいは。髪も短いんだけどパーマあてちゃって片側に流してて、もろ、レゲェ。あれ、絶対、意識してるね。ジャマイカ。
 こんなやつ、高校生にいるのかよ、って思った。
 俺がみとれてたら、うちの学校のやつが教えてくれた。伊田《いだ》っていう名前で、一〇〇メートル・ハードルで去年、一年のときに県で優勝してるんだって。
 申し分ないね。あれだけきれいで、しかも一番速いなんて、ねえ、俺にぴったりじゃないの。
 八〇〇の予選が終わってから決勝まで、俺は何も雑用なしの一年としては特別待遇。だから、伊田のことばっか、追いかけてた。
 サブ・トラックにもついてった。
 あれ、ハードルの準備体操なんだろうね、片脚を振り上げたりするのが、メチャクチャかっこいい。
 それだけ、じっと見てたでしょ。ときどき目が合うから、何回目かに、俺のとっておきの笑顔で合図した。
 そしたら、無視すんのよ。
 いいねえ、強気の女の子って。小川の和美も広美もめじゃないね、足もとにもおよばないってやつ。
 一〇〇メートル・ハードルの決勝は、ゴールで待ってた。スタンドじゃなくてトラックの隅のほう。
 ハードルって、ちゃんと見たことある?
 俺だって、まともに見んのは初めてよ。
 位置について、用意、っで、バンでしょ。そうすると、八人の女の子がバッと一列でとびだしてきて、最初は同じような、でも、ちょっと微妙にズレたタイミングで、ひとつめのハードルを越える。
 それで、タッタッタ、バシ、タッタッタ、バシって感じでハードル越えて、どこかで何台か倒れる音がガシャッていって、気がつくとグングン伊田だけ前に出て来てるの。
 すごい迫力。
 で、そこから、みるみる差がついて、伊田の圧勝。
「ナイス・ラン」
 俺、でかい声で叫んで、タオル持って伊田のところに走ってった。ちゃんと、きれいなやつよ。誰のかわかんないけど、いちばん良さそうなの、テントから取ってきちゃった。
 伊田は、両手を両|膝《ひざ》に当てて、下を向いて息を整えてたんだけど、俺のこと見て、あきれたって顔してた。
 いい顔なのよ。彫りが深くて、ちょっと斜めに俺のこと見るの。視線にパワーがある。
 俺から受けとったタオルでゆっくりと顔ふいて、そのあと交互に両方の腕をおさえながら、
「あんた、種目は?」
 って言った。
 低い声でね。ゾクッとした。
「八〇〇。決勝のときは、ここで待っててよ。優勝するから」
 伊田は何も答えないで、フッと笑うと、俺の首にタオルをかけた。そのまま、見つめあっちゃった。伊田はタオルの両はじを持ったまま。
 一七〇センチはあるのかなあ。
 決まってたね、俺たち。
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