黒パン俘虜記1-4

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 食事はみち足り、作業は無く、居住区は広々と快適で、労働者たちとは全く違う生活をしている三人の大幹部は、生涯で初めてなった、エリート貴族の地位にふさわしい態度や貫禄を自然に身につけていった。しかもこの身分は、祖国へ帰ってもそのまま通用し、皇室を中心とする貴族の集団の中に、すんなり迎えられるような錯覚さえ持ち始めていた。
 それには自称であるが、加藤男爵という、召集の中年の二等兵の存在が大いに関係があった。この加藤男爵は、演芸で定量以上のパンを必死に稼いでいたぼくにとっては、強力なライバルでもあった。
 昼間遊んで飽食している三人の独裁者にとっては、長い夜は退屈極まりないものであった。酒と女だけは、調達できないからだ。
 作業後、何か芸がある者は、毛布で囲った幹部団の一画に参上して披露《ひろう》すれば、一回二分の一の黒パンが褒美《ほうび》で出された。規定以外は、匙《さじ》一杯の薄い粥も舐められない人々にとってはこれは魅力ある制度であった。かつての大隊長が追分を唱い、鬼曹長が浪曲を唸《うな》ってパンにありついた。
 ただ同じ芸の再演は許されなかったので、何回も伺候《しこう》できる者は殆どいなかった。
 旅回りをやっていた本職の浪曲師でも、持ちネタはせいぜいが十五本で、一月《ひとつき》は続けられなかった。
 ぼくはたまに通訳として、報酬のパンを稼いだが、実際には演芸から得る定期的な余得で、この苛烈な境遇を何とか生き抜いてきたといってよい。
 ぼくは、戦争が終って平和な時代が来たら、シナリオ・ライターになろうと思っていたので、かなりの数の映画を見ていた。別にシナリオが書きたかったわけではない。短足で、必ずしもハンサムとはいえない自分が、憧《あこが》れの原節子のような美しい映画女優と結婚するためには、それしか道がないと早くから目標を決めていた。
 幸いぼくの中学校は東京一の盛り場の新宿の真中にあり、放課後、校門わきの物置小屋に鞄《かばん》をかくして目の前のビルの四階にあった、二線級の洋画館を主に、その周辺に沢山あった映画館を、毎日のように丹念に見て回った。少しぐらい帰宅がおそくなっても、毎日補習の授業を受けているのだと強弁して、両親の方は卒業までついにごま化し通した。
 かなり真剣に映画を見ていた証拠に、それまで見た映画の筋を、タイトルからエンドマークまで、シーンを追って逐一話すことができた。
 映画講談と称してお座敷に伺うと、これが、小政以下親衛隊員の間で評判がよかった。特に彼らが日本で見たことのある映画の場合は、一場面ごとに実際の俳優の演技が、瞼《まぶた》の裏に重なるので人気が湧《わ》いた。
 持ちネタは二百本近くあったが、決して毎日は伺候しなかった。ぼくだけは、クールに俘虜の期間は三年と見ていた。パンは一ぺんにもらっても無駄になる。帰還の日まで切れないように按分《あんぶん》すると、五日に一度ぐらいの臨時収入が丁度良い。二分の一のパンを更に五つに割る。二百グラムだ。本来の昼食四百グラムに毎日これだけ足せば、何とか生命は維持できそうだ。
 加藤男爵は、ぼくの寝ている棚のすぐ近くに居住していて、ぼくの臨時収入をいつも羨んでいたが、ある日
「思い出話を語りたいので、幹部に話をつけてくれないかね」
 と仲介を申しこんできた。ぼくは別に伺候の予定日ではなかったが、毛布囲いの中に入って行って、男爵のことを推薦した。どうせ退屈しているのだから、試しにやらせてみろと許可が出たので、男爵を連れて再び毛布囲いの中に伺候した。
 最初の日に男爵は、現天皇の御成婚にまつわる話をしたが、それまで神の如く尊敬していた陛下にも意外なロマンスの相手があったことを知って、皆面白がった。男爵は二分の一のパンを報酬にもらい、即座にその日の中に喰べてしまったようだ。
 翌日は、幹部側からお座敷がかかった。紹介者のよしみで二日目の話もまた、一緒に聞くことを許された。
 二日目の話は、外国の若い大使と日本の皇族の姫君の実らぬ恋の話で、それに、五・一五事件や、浜口首相の暗殺の秘話が交ってまた無類に面白かった。大成功で、その日も二分の一のパンをもらって帰るとき
「明日は私自身の婚約にまつわるエピソードを御披露します」
 と男爵は予告を述べて辞去した。男爵は二日つづきの二分の一のパンの増収で、すっかり良い気分でいたが、それよりもっと良い気分になったのは、幹部たちで、この二日間で皆甘い酒に酔ったようになっていた。雲の上の皇室が急に身近なものになった気分で、声高に今聞いたばかりの何人かの美しい内親王殿下の噂話を始めだした。勿論|卑猥《ひわい》な想像でたっぷり汚しながらである。
 三日目はもう待ちきれずに、夕食後すぐ小政の呼び出しが、男爵をせきたてた。ぼくもそれに便乗してついていった。
 ぼくにとっては定例の五日目にあたり備蓄したパンも切れたので、男爵の前座に、片岡千恵蔵主演『人生劇場・残侠編』を一席やるつもりだった。だが、一緒に入って行くと小政に
「あっ乙幹がやる日だったな。だが今日はいいで。パンはやれんが、そのへんで寝転がって聞いて行け」
 と、あっさり断わられてしまった。男爵にはもう昂奮《こうふん》してせきたてた。
「一つうんと甘いところを聞かせてくれい。華族様のお姫様も好きな男には裸にされて抱かれると思うとぞくぞくしてくるぞい」
 虚構は真実の面白さには勝てない。
 小さい机を講釈台にして正座した加藤男爵は、寝そべったり、パンをちぎって口に入れたりしている連中に向って語りだした。
「さて今日のお話は遠く八十年前の明治御一新直前にまでさかのぼるのであります。どなた様もよく御存知の七卿落《しちきようお》ちのお話が、私たちのローマンスのそもそもの発端になります」
 皆は一応うなずいたが七卿落ちなどといわれても分る人間はいなかったろう。
「……後に明治になって太政大臣になられた三条|実美《さねとみ》公も、長州の武士たちと、険しい山路を越えて落ちのびられたのですが、それがどのくらいの御苦労であったか、拝察するのも畏《おそ》れ多い極みであります。三条公には幸い、忠義|一途《いちず》の富田某なる家令がおりまして、陰になり日向《ひなた》になりして道中をお助け申し上げました。この方が後に維新の大業が成就されたとき、子爵の位を授けられました、富田幸次郎閣下でございます。……さて話はずんと飛びまして、昭和六年から九年まで民政党の総務をやっておられた政界の黒幕富田仲次郎閣下は、この方のお孫様に当られます」
 今に何か色っぽい話が出てくるに違いないという期待があるから、皆おとなしく聞き入っている。
「この仲次郎閣下には一人もお子さんがお出来にならなかったので、御主家に三女のみどり様を御養女にいただきたいとお願い申しました。何事によらず富田家の面倒を見よという実美公の御遺訓がありますので、やがて可愛らしい姫君が富田家へお出でになりました。だが沢山の御姉妹がおられる家から、他にはお子さんの居られない家へ移られたのですから、実家が恋しくてなりません。だんだん成長して美しいお姫様になられたが、ついぞ声を出して笑うことのないお方でした」
 聞き入るやくざ集団は、話の中で早速この笑わぬ姫君を裸にして、それまで自分たちがまだ見たことのないような滑らかな高貴な素肌や、洋装の絹の下着などに思いをはせ、絶対権力を握る小政などは、もう想像の中で自分の女として扱いだしたようだった。
「お姫様はやがて御養子を迎える年頃になられましたが、どんな御縁談もお断わりになる。実は他の御姉妹は、皇族を初め、公侯爵など家格も高い方と御縁が決るのですが、みどり様は、実家より低い家で御養子をお迎えになる立場ですから、相手がどうしても小物になる。それがお断わりの表面の理由でした。実は心|秘《ひそ》かに慕う方がいらっしゃったのです。それがこの私めでございます」
 とたんに一斉に声が上った。
「よう待ってました」
「白子《しらこ》吹かせてヒーヒー泣かせるところ、ぐっとねっちょり聞かせてくれ」
 沸きたつような弥次を、小政は一喝《いつかつ》した。
「てめえら、黙って聞け。気分が出んぞい」
 皆は静まりかえって男爵を見つめた。
「私ら華族の子弟は学習院へ行かなくてはならないのですが、乃木大将以来の堅苦しい学風は合わないし、それに野球が好きなものですから、早稲田へ入った。同級に投手の伊達君と相撲の笠置山君がいました。親のすすめる縁談などどこ吹く風、ただ遊び暮していました。思い出せば昭和七年の正月になります。初めてみどり様とお会いしたのは……」
 皆は身をのりだした。
「アメリカでの音楽勉強を終えてお帰りになられた近衛公の弟様の秀麿様が、お土産にハリウッドから音楽映画のフィルムを買って帰られました。それをお邸《やしき》で映写することになり、親しい友人たちが招かれましたが、そのとき偶然、私とみどり様は並んで坐り、ついお話などしました。ところが若い男の人と話したことなどこれまで全く無かったみどり様は忽《たちま》ち私に熱い恋の炎を燃え上らせてしまったのです。当時、みどり様十九歳、私は二十二歳でした」
 そこで彼の話は急に甘美なものに展開して行く。一年近い恋の日が描写されて、年の暮が来る。二人は帝国ホテルの夜会へ行く。サンタクロースのまいたチョコレートを拾ったりしているうち、テーブルに置いてあった青い酒を飲んだら鼻の下が青く染まった。それを知らずに、結婚されたばかりの高松宮妃が近くへいらしたので、御|挨拶《あいさつ》したら、妃殿下は小声で注意してくださった。
 あわてて二人で洗面所へ行き、大笑いしながら、ハンカチで拭《ふ》いているうちに、いつ人が来るかもしれぬこの場所で、アメリカ映画で見たようなキスを、大胆にもやってみたくなった。ついでに、乳房の上に手をのばしたら、正式なドレスの下には乳バンドという物をしていて、固い|から《ヽヽ》でおおわれているから、いつものように手が中に届かず苦労した。
 ところが一方では男爵には、町のミルクホールの女給でずっと肉体関係のあった娘がいて、既に妊娠していた。もう五カ月の身で、彼の家に両親共どもやってきて、結婚してくれと迫っていた。それが富田家が念のため雇った私立探偵の耳に入り、折角の恋も破れてしまった。
 失恋の痛手に姫君はしばらく胸の苦しみを忘れるため、一人でフランスに旅だって行く。横浜の埠頭《ふとう》まで見送りに行った男爵は、お姫様が投げたテープのはしをいつまでも持って、涙の中に消えて行く船を見送っていた。
 ……その哀切極まりないクライマックスに至るまでの間に、野球の宮武、伊達の一騎討ち、陛下の弟君と銀座娘との叶《かな》わぬ恋などがたくみにない交《ま》ぜられて、長講一席が終ったときは、全員が自分もその宮廷貴族の一員になった気分にひたっていた。最高権力者の大幹部たちは、特に身につまされるのか、目にうっすら涙さえ浮べていた。
「ごくろうじゃった。明日もまた、ぐっと色っぽいところを頼むぞい」
 目頭を指で拭いた小政は、よほど感激したのだろう。その日は四本のパンを一ぺんに奮発して持たせた。これは普通の芸人の八回分、労働者の昼食の二十日分だ。昨日までの二日間のように一日に半分を平常食に加えても、一週間は満腹が保証される。男爵は嬉しそうに押しいただいた。上衣に包み、自分の寝床に戻った。
 同行したぼくには大いに羨ましかったが、それ以上に、その四本を男爵がどう処理するかが気になった。二人がそれぞれの棚に戻ると、既に皆は昼間の疲れで死んだように眠っている。こんな大量のパンを持っているところを仲間にみつかったら穏やかでない。幸い男爵は誰にも気がつかれずに、枕もとの毛布の中に包みこむことができた。
 ぼくは体を右向きにして、三人離れた男爵の方をじっと見つめた。五日目に予定していた報酬が吹っとんだため、急に空腹がひどくなってきた。
 しばらく考えていた男爵は、やがて、今夜一晩は思いきり満腹感を味わいたいと思ったようだ。二キロ一本を丸のまま出すと、寝そべりながら、はしからちぎって喰べだした。
 黒パンは一本二十五センチの長さで、切口は七センチ四方の箱型枕の形をしている。はじから一本丸かじりは、たしかに誰でも一度は夢みた理想だった。だが普通はどんな大食の人でも、一本の二キロを一ぺんに喰べるのは容易でない。隙間《すきま》なく内容が詰まっている。
 ところが男爵は途中で手がとまらなくなったらしい。この帝国にいる限り、明日も明後日も無限に飢える日が続くという恐怖感がある。ついに、一本がやせた体に入ってしまった。ズボンのボタンを外したところを見ると腹がふくらんで苦しくなったのだろう。
 夜中の睡眠中に向い合せの男から盗まれることのないように、毛布に固く縛って別にしておいた残りの三本のうちもう一本を取り出した。苦しいほどの満腹も、食道を食物が通過して行く快美な感触には勝てない。
 本来は、燕麦《えんばく》のふすま、もみがらまで一緒に練りこんで作ったパンだから、満腹したらもううまいはずはないのだが、このさい味は論外だ。手と口は機械のように動きをやめない。苦しいのか、息が荒い。回りの二、三の人間が気配を知って目をさましたが、事はパンの問題だから誰も口を出さずに、見守っている。腹は異様なほどふくらんでシャツからむき出しになり、青白く静脈が浮き出して見えた。とうとう二つ、もう四キロの物質が入ってしまった。
 手は先ほど厳重に包んだパンをまた取り出していた。どうも胃が激しく痛んできたようだ。片手でそのあたりを撫《な》で、苦しそうにしている。しかしそこにパンがある限り手は止まらないようだ。初めは羨望《せんぼう》の目で見ていた周囲の人も、今は鬼気迫る思いで黙って顔を見合せている。男爵は体をくねらせ、荒い息をつき、顔を苦痛に歪《ゆが》めながら喰べている。痛みは下腹の方まで及んできたらしい。三本目も入ってしまった。合せて六キロ分だ。
 さっききっと自分ではもう絶対に手を出すまいと誓ったのだろう、毛布の中に一旦固く包みこんだはずの、最後の一本をまたとりだした。いも虫のようにもがきながら喰べている。激しい苦痛の中での無意識の動作だったが、もう続かなかった。
 突然の呻《うめ》き声と共に、全身が痙攣《けいれん》し、口から吐瀉《としや》物を吐き出したので、回りは一斉に飛びのいた。仰向けに倒れたその目は白目になり、四肢が虫のように蠢《うごめ》いた。
 片手には四分の三以上も喰い残した四本目のパンを、指が喰いこむほどに握りしめていた。やがて息が絶え手足の動きは止まった。
 人間が死んだかどうかはすぐ分る。こんな派手な死に方でなく、誰も気がつかぬうちに夜ひっそり死んでる者がよく出るが、すぐ分った。どんな場合でも、それまで体中にびっしりとまつわりついていた虱《しらみ》が一斉に逃げ出す白い列が見えて確認された。
 この死にはぼくも責任がある。途中で止めてやるべきだったかもしれない。だがあの凄《すさ》まじいばかりの食物への執念を、果して阻止できたろうか。胃が破れても尚《なお》喰べ続けている男爵を止めることはできなかったろう。むしろ思い残りなく喰わせてやれただけ、功徳《くどく》を施したのではなかろうか。殆どの人は腹をすかせきって、灯火が尽きるように死んで行くのだから。
 死体は裏山にまとめて埋めに行く日まで、よく乾燥するように、中庭の一隅に、風呂屋の薪《まき》のように井桁《いげた》にくんでしばらく置いておく。
 四人の男が中庭に運ぶ使役をすすんで名のり出たのは、昼の労働に疲れきっている人々にとって珍しいことだったが、指が喰いこむほどに握りしめている、残りの四分の三の黒パンを分け捕りする思惑がす早く走ったからである。
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