日本人の笑い38

   老《お》いの嘆き

 
 
 かくして倦怠期がすぎ、忍耐期もすぎるころになると、
 
  三つのうち目も歯もよくて哀れなり
 
という哀愁の季節をむかえることになる。
 かつて『四十八歳の抵抗』の作者|石川達三《いしかわたつぞう》と、某所で会談した時、最近では抵抗年齢を五十八歳ぐらいに引きあげないと話が合わなくなった、と彼は慨嘆《がいたん》していた。まことにおめでたい話だ。近ごろ後輩の還暦《かんれき》祝いに出席したが、数え年で六十一歳だというのに、目と歯どころか、三つそろってご壮健のご様子と拝見した。明治・大正以前の日本人は、「人生五十年」と観念し、七十まで生きると「古来|稀《まれ》なり」と感嘆したもんだ。西鶴は五十二歳で死ぬ時、「人生五十年のきわまり、それさえ我にはあまりたるに」という前書で、「浮世の月見すごしにけり末二年」と、あきらめきった辞世の句を残しているし、芭蕉も三十代から翁《おきな》と呼ばれ、五十一歳で死んでいる。
 それが戦後のびにのびて、今では男七十四歳、女八十歳という平均寿命がまだとまらないというのだから、めでたいには違いない。しかし喜んでばかりもおられないというのは、セックス・ライフが男・女とも二十年近くのびたのに、人生五十年時代の老人の性に対する偏見が根強く残っていることだ。
 今年の正月の�お達者文芸�の川柳に、
  余生とはいつからなりや姫始め
という七十歳の男性の句があった。姫始めは第一章で述べたように正月二日の夫婦事始め。今、余生と言えば六十歳か六十五歳以後だろう。世間の皆さんはもう私どもの性生活は終ったものと思っておられるだろうが、私どもは今でも姫始めのしきたりを守ってますョ、というわけだ。だがこの句のあるじは二人暮らしだから出来るわけで、核家族時代になって、六十歳以上のセックス能力のある人々の一人暮らしが、五十七年度で百二十六万余という。偏見を恐れず、堂々と結婚するなり同棲するなりなさるとよい。
  茶のみ友達で薬鑵《やかん》の水が減り
 江戸時代ではそういう二人を�茶のみ友達�と言った。あんまり茶を呑んだので、やかん頭の腎水《ザーメン》は減る一方。いずれにせよおそかれ早かれ、歯、目、魔羅《まら》の順序で物の役に立たなくなるとご承知ありたい。ところがかんじんかなめのモノはすっかりイカレてしまっているのに、皮肉にも、それより早くイカレるはずの目と歯だけが、しごく丈夫というのだから、哀れが深いというわけだ。だから、
  歯は入歯目は眼鏡にて事たれど
というなげきもある。なるほど、歯は入歯で、目は老眼鏡でカバーできるが、アレだけはいかんともしがたい。まさか靴ベラを使うわけにもいくまい。故六代目三遊亭円生さんが、七十歳近くなっても御盛んであったのに、
  今はただしょんべんだけの道具かな
と川柳を披露して、仲間をしらけさせた頃がなつかしい。
 さて、その男性の象徴であるいとしき陽物《ようぶつ》を、なぜ魔羅などと、いまわしい名をもって呼ぶのであろうか。その幼名は「おちんこ」という。『摂陽奇観《せつようきかん》』という大阪の出来事を何くれとなく書きとめた江戸時代の書物に、「歌舞伎役者の子ども十歳前後をあつめ、堀江此太夫《ほりえこのだゆう》芝居にて興行なし、大当たり。大阪にてチンコ芝居という。」とある。今でも子ども芝居のことを、上方筋ではチンコ芝居といっている。チンコは大阪方言でいう「ちんこい」また「ちっこい」で、東京の「ちっちゃい」である。その上に親愛の接頭語の「お」をくっつけたのが、すなわち「おちんこ」である。排水という、その一つの用途しか知らない清純無垢《せいじゆんむく》なる「おちんこ」が、長ずるにおよんで、親の意見もうわの空の凶状持ちとなった時、魔羅という醜名《しこな》があたえられるのである。
 魔羅とは、古代印度サンスクリットのマラ Mara の漢訳である。その意味は誘惑の神、善行をさまたげる神で、すなわち悪魔という意味だから、もとは彼《アレ》をさしていったわけではない。それをとって、わがいとしき悪漢の名としたのは、日本の坊主どもであった。すでに平安時代から用いている。つまり女人《によにん》禁制の比叡山《ひえいざん》や高野山《こうやさん》の坊主どもが、歯をくいしばって悟りをひらこうとするのだが、なにしろ煩悩《ぼんのう》の根源をぶら下げているので、どうも気が散ってうまくいかない。そこで、コイツはおれたちの仏道修行をさまたげる悪魔だ、魔羅だ、と言い出したのである。鎌倉時代の『古今著聞《ここんちよもん》集』に、「口舌《くぜつ》のたえぬもこれゆえにこそとて、刀をぬいて、おのれがまらを切るよしをして」とあるように、わが子を手討ちにするような短気者も出る始末だから、悪魔よばわりしたのも無理はない。しかしその悪漢も、歳月には勝てず、額とともに、これまたしわだらけのブラブラとなり、自立の精神は薬にしたくもなくなるので、庶民はこれを提灯《ちようちん》という。
  提灯をさげて宝の山をおり
 せっかく豊満な宝の山にのぼりながら、おぼつかない足もとをぶら下げた提灯で照らしながら、トボトボおりて来るなんてのは、味気ないもんだろうと思う。また、そうなるといよいよあせりが出てくるから、
  提灯の骨つぎをする生卵
  うなぎの油提灯がよくとぼり
 生卵、うなぎ、ごぼう、山の芋《いも》と手当たりしだいに補給することになる。それでもなおかつ言うことをきかない場合は、
  美しい手で提灯のしわをのし
  新造は干《ほ》し大根によりをかけ
と、若く美しい人手をかりることになる。新造というのは、まだハイティーンの若い女郎のことで、川柳における新造買いは隠居ときまったもんだ。
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