上杉謙信68

 血中行《けつちゆうこう》

 
 
 鉄砲の火が枯れ葉に燃えついたのか、蹴ちらされた営内の火の気が野火《のび》となったものか、川中島一帯の空は、墨を流したような煙である。
 その煙の中に、もう未《ひつじ》の刻《こく》(午後二時)に近いかと思われる太陽が、一粒の珊瑚《さんご》のように燻《いぶ》されていた。
 甲斐の勇士初鹿野源五郎をはじめ、名ある猛者《もさ》の討死は続々聞え、信玄の弟典厩信繁のほか、諸角、山本、内藤などの侍大将も相次いで打果たされた為、甲軍の陣営はいまや全く消滅直前のすがたに見えた。
 謙信はこのとき鞍つぼを打って、
「年来の望み、遂げるはいまぞ」
 と、まわりの旗本を顧《かえり》みた。
 もちろん今朝からの彼は、一定の場所に陣を定めていたのではない。
 彼自身、怒濤を作り、彼自身も、縦横無碍《じゆうおうむげ》に、駆けまわっていたものだった。
 その馬前馬後に従《つ》いて、たえず主君のすがたから離れまいとしていたのは、いうまでもなく、夜来、妻女山を下りる初めから選ばれていた十二名の旗本だった。
 千坂内膳、市川主膳、大国平馬など——そのときまだ七、八名の顔は見えたが、あとの数名は傷《て》を負ったか討死したか、早くも謙信の前後に見えなかった。
「行くぞ。遅るるな」
 謙信はそれへいい捨てた。
 放生月毛《ほうじようつきげ》の駿馬に一鞭加えると、彼のすがたはまるで流星のように、眼のまえの武田太郎義信の隊へ奔《はし》りこんでいた。
「おうっ。御主君には」
「さてこそ。かねて期《ご》したるお望みを、いま果たさんのお覚悟とみゆる」
 旗本たちも、続いて駈けた。——が、先にゆく謙信も、徒歩の彼らも、もちろん無人の野を行くのではない。前から塞《ふさ》がれる。横から襲われる。うしろから包まれる。それを蹴ちらし、突き伏せ、踏みこえ、奮迅《ふんじん》また奮迅の果てなき血中行《けつちゆうこう》であった。
 当然——謙信、旗本勢に続いて、ほかの散隊も、どっと後から駆け合せ、ここに一筋、激浪中の奔流《ほんりゆう》をもりあげた。
——敵味方、三千六、七百人、入リ乱レテ、突キツ突カレツ、伐《ウ》チツ伐タレツ、互ヒニ具足ノ綿噛《ワタガミ》ヲ取合ヒ、組ンデ転ブモアリ、首ヲ取ツテ起チ上レバ、其首ハ我主ナリ、返セ渡セト鑓《ヤリ》ヲツケ、斫《キ》リ伏セニ躍リ行クナド、十六、七歳ノ小姓、草履取ノ末ニイタルマデ、組々トナツテ働キ、手ト手ヲ取ツテ戦ヒ、果《ハテ》ハ刺シ交ヘ、髻《モトドリ》ヲ掴ミ合ヒ、敵味方一人トシテ、空シク果テ申シタルハ無之候
 とは「甲陽軍鑑」の記しているところであるが、激突の状もさこそと思われる。
 いずれにせよ、武田太郎義信の一隊は、またたくまに突破されてしまった。いわゆる七花八裂の惨状を浴び、あれよというまに、謙信はすでに、今暁《こんぎよう》から偵知していた信玄の中軍へ向って驀《まつ》しぐらに駆け込んでいた。
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