上杉謙信45

 重 陽

 
 
 朝のうちはあんなにからりとしていた秋の日が、午頃から曇り出して来た。妙高も黒姫も遠い山はみな霧にかくれた。ここ数日来、高原地方の天候は定まらないとみえて、真下の千曲川も彼方の犀川《さいがわ》も、甚だしく水かさが増したかに見える。
「もうよろしい。——みなに来いといえ」
 謙信の声であった。時雨《しぐれ》もよいな雨気を帯びた風に、四囲の陣幕《とばり》がしきりにはたはたと鳴る中からの命であった。
 侍臣が、答えるとすぐ、どこやらへ駆けた。
 山の諸所に分れている各部隊の陣所へであるらしい。ほどなく招かれた諸将が前後してここへ入って来た。——直江大和守、柿崎和泉、甘糟近江守、長尾遠江など、いわゆる帷幕の重臣のみだった。
「ほう。これは」
 入って来るなり諸将はみな眼をみはった。広やかに筵《むしろ》が敷きのべてあったからだ。しかも各の坐るべきところには、白木の折敷《おしき》と杯とが備えてある。膳部の折敷には、ちょうど出陣か勝軍《かちいくさ》を祝《ことほ》ぐ時のように、昆布《こんぶ》と栗などが乗っていた。柿の酢《す》あえだの、干魚を煮びたした肴なども見える。ほんのわずかずつではあったが、自然《やまの》薯《いも》も磨《す》り卸《おろ》してあった。
「何事のお召かと存じましてまいりましたが……これはまたいかなるお歓《よろこ》びの祝宴にござりますか」
 甘糟近江守がたずねた。
 十名からの宿将たちが、のこらずそれへ着席したのを見てから、謙信はにこやかに、
「山中暦日無しというが、去月十四日、春日山の城を立ってから今日《こんにち》でちょうど二十五日目、月もこえて、九月九日。……思わず久しい長陣とはなった。各も、昼夜、戦のほかに他念なく、疲れもしつらん。旁《かたがた》きょうは祝うべく楽しむべき日だ。粮米《ろうまい》すらに事欠く中、何もないが一盞酌《さんく》み交わそうぞ。さあ、くつろいで杯を挙げよ」
 といった。
 謙信のことばの中の情味をまず酌んで、諸将は杯へ唇を触れないうちに胸を熱くした。
 直江大和守が、なお訊いた。
「きょうは、楽しむべき日だとの御意にござりましたが、何ぞ、お心祝いの御事でも? ……」
「否、否」
 謙信は面《おもて》を振って、
「そちたちも忘れたか。九月九日、重陽《ちようよう》の佳節。きょうは古《いにしえ》から菊見る日とされてある」
「おう! ……」みな膝を叩いて、
「左様左様。何さま今日は、菊の節句でござりましたな」
 初めて、人々の眼は、筵《むしろ》の中央にある一脚の経机にそそがれた。小さい鶴首《つるくび》の銅花瓶に、一枝の黄な野菊が挿してあった。それが単なる意味の菊でないことに漸く気がついたのである。
「九月九日、九は陽数という。重陽とは陽気重なるという旨であろう。また、菊は延寿の象徴ともいう。漢土にも伝《つた》えがある。汝南《じよなん》の恒景《こうけい》というものの家に、或る日、一仙人がのぞいて曰《い》うには、この秋、災厄あり、それを遁れんと思えば、紅絹《も み》の嚢《ふくろ》に茱萸《ぐ み》を入れて臂《ひじ》にかけ高き山に登れと。恒景、教えられた如くすれば、果たしてその年、疫病諸村に充ち、家畜鶏犬までもみな斃《たお》れ、ひとり恒景の家のみ難なく寿を全《まつと》うしたという。——わが朝でも、平安の頃よりは、禁裡《きんり》殿上といわず、四民の家々でも、菊を見て心を楽しませ、菊酒を酌んで体を養う。またこの日、高きに登れば、幸いありといい慣《なら》わしておる。……謙信いま、求めずして、妻女山の地に在り、しかも一日の寿、なお天日に恵まれ、かくの如く健《けん》。楽しむべきではないか。祝わずしてどうしよう」
 謙信はよく語った。
 またよく杯を啣《ふく》んだ。
 努めて、諸将の神心を、長陣の鬱気《うつき》を、散ぜんとするもののように。
 菊を見ながら、諸将もみなよく杯を挙げた。歓語は沸き、鬱気は飛んだ。だが——しかもなおどこやらに、去りやらぬ一抹《いちまつ》の愁《うれ》いがともすれば沈みかけるのは、どうしようもないことだった。
「殿っ……。愚存を申しのべたく思いますが、おゆるし給わりましょうや」
 ついに、怺《こら》えかねたものの如く、直江大和守が口をきった。よくぞ、いい出してくれたといいたげに、右側の長尾遠江守は、眼の隅から大和守を励ました。そして斉《ひと》しく、残らずの者の眼が、謙信の面へあつめられていた。
 謙信の鳳眼《ほうがん》は、ぽっと紅をふくんでいた。一同の容子に、彼も、やおら杯を下において、
「実綱《さねつな》か。——何が述べたい?」
 と、敢て耳を傾けた。
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