黒田如水52

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 将座の辛さ

 
 牙城《がじよう》、三木城の攻略は、まだ半途でしかない。折も折、
「毛利の大軍が、上月《こうづき》城を取りつつんだ」との飛報が、書写山へ入った。
 上月城は、敵地へもっとも近く接近している味方の一突角である。そこを占領したのちは、尼子勝久、山中鹿之介などのいわゆる尼子一族をして守らせてある要地だ。当然、捨ててはおけない。
 安土の援軍が着いたので、秀吉は直《ただ》ちに、荒木村重《むらしげ》の一軍をあわせて約二万を率い、そこの急援に馳《は》せ向って、上月城の東方、高倉山に陣した。
「ここにおいて、秀吉が後詰《ごづめ》をなすぞ。城中との連絡のとれるまで、怺《こら》えていよ」
 秀吉は、諜者《ちようじや》を放って、城中の尼子一族を、こう励ました。——けれど高倉山と上月城との間の谷々には、柵を植え、鹿柴《ろくさい》を連《つら》ね、塹壕《ざんごう》や堀など、あらゆる防禦線が造られていて、それは一歩たりと向うの峰へ取りつく術《すべ》もないまでに構築《こうちく》されていた。
 加うるに、敵の数は、秀吉軍に倍しているのである。ほとんど、毛利の国力を傾けて来たかの如き大軍で、その旗頭をかぞえて見ただけでも——小早川隆景の軍約二万、吉川元春の軍約一万五千、浮田直家《うきたなおいえ》の隊約一万四、五千はある。秀吉もそれを俯瞰《ふかん》しては、とうてい無謀な戦にも出られなかった。
 やむなく、夜毎に、全山に大篝火《おおかがりび》を焚きつらねて、彼方の味方の孤塁《こるい》に、遠く、士気を添えている程度にとどまった。
 一面、毛利軍は、海上でも堂々とその勢威を示し出した。播摂一円の沿海に、旗のぼりを翻《ひるがえ》して遊戈《ゆうよく》している七百余艘の兵船は、一艘も余さず皆、毛利家の水軍だった。
 
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