黒田如水50

 友の情け

 
 三木城の嶮とその抵抗力は、歯肉に頑強な根を持っている齲歯《むしば》にも似ている。
 しかもその一本の悩みを抜き去るためには、それに連なる志方、神吉《かんき》、高砂、野口、淡河《おうご》、端谷《はたや》などの衛星的な小城をまず一塁一塁陥し入れてからでなければ、敵の本拠たる歯根《しこん》を揺がすことは出来ないからである。
 書写山《しよしやざん》を本営とする秀吉の戦法は、いわゆる定石どおりにその外郭《がいかく》の敵を一城ずつ攻めて行った。野口城を陥し、端谷城を奪《と》り、順次、神吉の神吉長則《かんきながのり》や、志方の櫛橋治家などの塁も衝き、別所一族の領土とする広汎《こうはん》な地域にわたって、放火、掃蕩《そうとう》、迫撃の手を強めていた。
 が、いかに秀吉の左右に、軍師竹中半兵衛と智嚢黒田官兵衛がともに扶《たす》けていても、一万に足らない小勢では、彼の地の利に対して、短兵急に効を挙げることは覚《おぼ》つかない。
(事態は重大、急遽、ご援軍の西下を仰ぐ)
 秀吉は疾《と》く、安土の信長へ向って、こう早飛脚を立てていた。そして一面には、士気を疲らせないために、時折、軍馬を休め、浩然《こうぜん》の気を養わせて、長期戦を期していた。
 そうした休戦日のある折だった。黒田官兵衛の陣所へ、半兵衛が遊びに来た。陣羽織に竹の杖を持ち、瀟洒《しようしや》たる姿で、
「お在《い》でか」
 と、陣屋の内を覗いた。
 書写山の上には僧房が多い。官兵衛の陣所もその一院にあった。折ふし彼は武装のまま論語を読んでいたが、思わぬ友の訪れに、歓んで迎え上げ、まず挨拶を終るとすぐ、
「お体はいかがです。陣中生活では敢《あえ》て無理もしますし、食物もままならないので、ご病気がすすみはせぬかと、筑前様にも常にお案じなされておるが」
 と、友の健康をたずねた。
 竹中半兵衛に会うと、まず何より先にそれを問うのが、官兵衛始め幕僚《ばくりよう》たちの通例になっていた。事実、半兵衛の容体は、戦場へ来てから決して快《よ》くない容子なのである。鋼鉄《こうてつ》の如く日に焦《や》けた皮膚と髯武者の揃っている中にあって、彼の顔だけが際立《きわだ》って白かった。軍議の時など、藪の中に一輪の白椿が咲いているように、いつも口少なく秀吉の側にいた。
 けれど彼のことばを聞けば、聞く者の方が爽《さわ》やかになるのが常であった。彼自身はまぎれもない病体だが、彼は決してその苦痛や憂鬱《ゆううつ》を人には頒《わ》けない。きょうも変らない微笑を静かに見せていた。
「いや、ありがとう。持病というものは、ご推察をいただくほど、当人はさして苦痛でもありません。それが常態《じようたい》になっておりますから」
「時に、安土のご援軍は、急速に参るでしょうか」
「いま殿のお手許へ御状が着きました。それに依れば、滝川、明智、丹羽の諸将に、荒木村重の一軍をも加え、すでに当所へ向けて、立たれておるようです。——信長公のご嫡男信忠様をも加えられて」
「それで、やや安堵《あんど》です。安土の評議、いかがあろうかと案じていたが」
「いや、安堵とはまいりますまい。困難はむしろこれからのように思われる」
「……と、仰せられるは?」
「丹羽殿といい、明智、滝川、佐久間などの諸将といい、みな一方の大将として自負するところ強く、わが殿の指図をうけ、その指揮下に動くは、内心快《こころよ》しとせぬ方々ばかりではないか。そこに統率《とうそつ》のご困難が生じて来るのではないかと思われる」
 四月である。山中の春は遅く、いまが鶯《うぐいす》のさかりであった。
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