黒田如水48

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 名馬書写山

 
 三木城の城主別所長治はまだ二十五歳の青年だった。はるかに新興織田勢力の赫々《かつかく》たるものを眺め、中国の毛利にも飽き足らないものを覚えていたところへ、昨年、黒田官兵衛の説破《せつぱ》に会って、断然、織田へ款《かん》を通じたものであった。
「詐術《さじゆつ》じゃよ、それは悉《ことごと》く」
 と、いま彼の前に在る叔父の賀相《よしすけ》は、口を極めて、その非を鳴らした。
「加古川で秀吉と会うて来たが、その暴慢《ぼうまん》無礼には、身が震えたわ」
 と、さも大仰《おおぎよう》に、その時のもようを告げて、
「別所長治以下、御身らはみな、筑前の先手に過ぎぬ、帷幕《いばく》の事、戦略などに、容喙《ようかい》はゆるさんといいおる。それも満座の中で。——まるで播磨の国人を視《み》ること下人《げにん》の如しじゃ」
 と、充分に長治の気色をうごかしてから、その最も戒心《かいしん》するところを衝《つ》いた。
「畢竟《ひつきよう》、信長の真意は、まずわれら一族の勢力を当初に利用し、中国征伐の成る日は、個々自滅を与えて、三木城なども、秀吉の賞として与える肚ではなかろうかと存ぜられる。——古今奸雄《かんゆう》の計ることは、おおよそ揆《き》を一にしておりまするて」
 叔父人からこうまで説かれては、長治も信念を持ちきれなかった。俄然《がぜん》、三木城は官兵衛を裏切った。いや全面的に、織田との離反を「交渉手切れ」と称《とな》えて、叛旗《はんき》をひるがえし、城内の毛利加担勢力の急激な擡頭《たいとう》に委《まか》せて、ふたたび協力を芸州吉田の毛利輝元へ申し送った。
 ひとたび三木城の反転がつたわると、神吉、梶原、淡河《おうご》、衣笠、長井などの小城小城に拠る諸豪も、踵《きびす》を継いで、これに呼応して、
「羽柴軍を中国から一掃せよ」
 の大旆《たいはい》に拠《よ》ってしまった。ここにおいてか、官兵衛が舌頭の無血攻略も、苦心の地盤《じばん》工作も、一朝のまに、すべてが画餅《がべい》のすがたに帰ってしまった。
 官兵衛は、正直、哭《な》きたいような気がした。秀吉をとらえて心からこぼした。
「あなたは、兵略のみならず、外交にかけても、人を反《そ》らさぬ達人だと思っていましたが、別所賀相を怒らせて帰したなどは、言語道断なご失敗です。ほかとちがい三木城は、勇兵も多く且《か》つ天嶮《てんけん》です。この始末はだいぶ手間どりますぞ」
「仕方がないではないか」と、秀吉も自分の一場の感情に遺憾《いかん》のあったことは認めたが、決して、これが悪い結果であるとはいわなかった。
「かえって、よかったともいえるな。何となれば、すでにいつか離反の火を噴く危険を孕《はら》んでいる三木城なのだ。お汝《こと》が上手に口舌で彼等を服させた功はおろそかに思わんが、中国経営の大業が、砂上の楼閣《ろうかく》であってはならぬ。そのためにはむしろよいことじゃったよ」
 負け惜しみは充分にある。しかし、そう考えるべきが不屈不撓《ふくつふとう》の精神といえるかもしれない。官兵衛も二度とそれに触れないようにした。そしてだんだんに秀吉なる人の長所と共にあらも見えて来るほど、秀吉が自分へ宛てた手紙の内にも書いている、「——お汝《こと》はわが弟の小一郎も同様に思うぞ」ということばの真実が身に沁みて来るここちがした。
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