黒田如水46

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 名馬書写山

 
 秀吉はいちど安土へ凱旋《がいせん》した。戦捷《せんしよう》報告をかねて、なお次の作戦段階に就いて、親しく信長の指示を仰ぐためであった。
「序戦の功としては申し分のないことだ。大儀大儀。安土で悠々《ゆうゆう》と正月を迎えてゆけ」
 年の暮であったので信長はそういった。そして鍾愛《しようあい》の乙御前《おとごぜ》の釜を与えた。
 茶入れ、茶わん、茶の湯釜などを賜わることは、当時にあっては最高な勲章《くんしよう》を授与されるのと同じであった。その名誉たる、重宝的価値ばかりでなく、信長からそれをもらうことは、
 ——汝もまたこれくらいな物は持って、忙中の小閑、茶などして心を養え。
 という資格を付与されたことにもなるからであった。茶は流行を極めていたが、主君からそういう公認を得ているものはたくさんない。
 明けて天正六年の二月。秀吉はふたたび播磨へ下った。整備陣容はさらに堂々強化されていた。
 現地の与党、織田方の一群は、加古川まで出迎えに出ていた。こういう事も元より黒田官兵衛の才覚で、秀吉の中国入りを光輝《こうき》あらしめようとする彼の誠実にほかならない。
 わけてもこの出迎人の中には、三木城の城主別所長治の叔父にあたる別所賀相《よしすけ》が家中の三宅治忠と共に加わっていた。
 別所一族といえば、ともあれ東播磨八郡の四十三万石の地域を領して、ここでの大勢力である。ひとたびは毛利家へ款《かん》を通じていたものだが、官兵衛が三寸不爛《ふらん》の舌を以て、それを説き、遂に一兵も用いず織田の陣営へ引き入れたことは、どれほどこの播州において、形勢を有利にし、また、秀吉の軍隊を光輝あらしめているか分らない。
「やあやあ。これは」
 秀吉は誰へもまずこうである。大藩の親族へも、小城の臣下へも、特にどういう風はない。
 しかし、第一回出征の時とは、格段な精彩《せいさい》を以て、任地へ着いたので、欣《よろこ》びは正直に顔から溢《あふ》れている。
 加古川の陣屋で、その夜、播州お味方の大宴が開かれた。宴が終ると、席を更《か》えて、軍議に移った。既定方針《きていほうしん》の大本と、織田家の不敗必勝の態勢《たいせい》だけを宣《の》べておけば、今夜のところはまずよかろうくらいに、秀吉は、宴後の議席でもあるので軽く考えて臨んでいたのである。
 ところが、その席上で非常によくしゃべる男がいた。別所長治の叔父の賀相《よしすけ》と三宅治忠のふたりである。
 秀吉は、時々じろりと眼を与えていた。彼も稀には虫を起すこともあるのだ。
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