世界の指揮者31

  周知のように、ムラヴィンスキーは、一九三八年の全ソ連指揮者コンクールに優勝して以来、その年から今にいたるまで、ずっとレニングラード・フィルハーモニーの常任指揮者をつとめていたのだから、ある見方からいえば、私たちが一九五八年と一九七〇年と、二回にわたる来演に接したこのオーケストラからも、ムラヴィンスキーの特徴のあるものは、間接ながら、わかるはずだろう。

 そこから推理される最初のことは、ムラヴィンスキーが仮借のない、そうして厳格な訓練家らしいということである。事実、レニングラード・フィルハーモニーの性能の良さといったら、世界中を見渡しても、そのトップの五つに数え入れなければならぬほどの高さなのだから。性能がよいといっても、彼らの演奏をよくきいていると、その基礎は、一つは、楽員の一人一人の粒がものすごく精選された、非常に高いものであること、それから、もう一つは、技術的に一点の非もないところまで訓練に訓練を重ねた——というより、筋金入りの鍛練に耐えぬいてきたという事実にあるのだろう。私はそこから、ことにこの後の点から、ムラヴィンスキーの指揮者としての一つの特徴に想いいたるわけで、この人は偶然と霊感を信ぜず、何事も訓練によって、一つ一つ手に入れていこうという鉄の意志と合理精神に貫かれた芸術家であるのではなかろうか。彼の音楽は、いってみれば、ヴァルターとは逆のものである。いわゆる《雰囲気《ふんいき》の音楽》でもなければ、その結果がどうであるというよりも、むしろ自発的な音楽をする喜び、いわゆるmusizierenの喜びから生まれてくるというものではない。セルに近く、しかももっと徹底的に族長的権威的なのかもしれない。
 まあ、現代の世界には、そういう音楽家は珍しくなく、むしろヴァルターのような人のほうがどんどん姿を消しつつあるといってもよいのかもしれないが、ムラヴィンスキーが大指揮者であるのは、この点ばかりでなく、いや、むしろ、こうである一方で、管弦楽の楽員たちを、熱狂さす何ものかを、一見厳格そのもののような指揮の中に潜めているからではないだろうか? これが、私の、ムラヴィンスキーでぜひ実際に経験したかった興味の一つの焦点である。
 同じレニングラード・フィルハーモニーの演奏といっても、ムラヴィンスキーの指揮によって、たとえば、チャイコフスキーの『第四』から『第六番』の交響曲のレコードをきいてみると、楽員たちが、それこそソロをふくフリュートやオーボエ、あるいはクラリネット、ファゴットたちはもちろん、弦楽器奏者の一人一人にいたるまで、いかに彼らが、自分たちの演奏に全身的にうちこんでやっているかが、それこそ、手にとるようにわかるのである。金管もそうだ。どこをとってもよいが、『第六交響曲』を例にとれば、第一楽章のトランペットのソロも、スケルツォでトロンボーン、ホルンらの入れるリズムのモティーフも、すべてが、まるで、ソリストの集まりであり——というより、一人一人が、曲の肝心要《かなめ》のところを吹いているかのような自負心をもって、生き生きしたリズムと音色で、演奏している。しかも、そこには、自分たちの親方であるところのムラヴィンスキーに、スタンドプレーをして、よく認めてもらおうという——これまた、当然、こういう交響楽団ならありそうな——心の動きではなくてむしろ、熱狂して、我を忘れ、ただもう音楽を、自分の音楽を、めちゃめちゃにうまくやり、強くやり、はっきりやってみたいというだけの気持になりきってやっているようなところがあるのである。他人と合わせようなどという考慮は、最小限にしかない。それで、こんなによく合う音がでる。そのことを、ものすごい訓練があって、もう自分のやりたい通りやるというのと、日ごろ訓練している時に気をつけているのと、その二つが一つにとけこんでしまっているからだ、と私は判断するのである。
 その点では、これはベルリン・フィルハーモニーの楽員たちとカラヤンとの関係に似ていなくもない。ただ、カラヤンとムラヴィンスキーでは《音楽》がちがうのと、西欧の世界で生きている人間と、ソ連人とでは、その間には社会的にも個人としても、生活感覚のうえで、ずいぶん大きな違いがあるから、熱狂の内容や、その現われ方に変化が出てくるのは当然である。
 そのつぎに、レニングラード・フィルハーモニーをきいて、ムラヴィンスキーの《音楽》を考える手がかりになる第二の点は、このオーケストラの立てる響きの性格だ。まず誰がきいてもすぐ耳につくのは、低音の響きの並々ならぬ部厚さと、ダイナミックの幅の異常な広さだろう。この二つは、ヴィーン・フィルやベルリン・フィルの特徴でもあるわけで、その点からもレニングラード・フィルが中欧のドイツ・オーストリア系交響楽団の行き方を継承しながら発展してきた団体であることがわかるのだが、それにしても、この楽団の低音の厚さは、また一段と耳につく。舞台にならんだ彼らの姿をみただけでもわかるが、この交響楽団は、ドミトリエフという人の指揮でチャイコフスキーの『くるみ割り人形』組曲を演奏する時でさえ、チェロが十二挺《ちよう》動員されているのだ! それに対し、コントラバスが九挺。それに、これはある人が私にいったことだが、「あんなにバスが厚いのに、第一ヴァイオリンが、いくら数え直してみても、十二人か十四人なんです。あれじゃ、どうしたって音が重くなりますよね」。私はぼんやりしていたので、ヴァイオリンの数は十五人か十六人じゃないかと思っていたのだが、もしこれが正しいのなら、普通ではない。
 そういうことは、レコードでも耳につく。私のきいたレコードは、『第五』と『第六交響曲』が一九六〇年ヴィーンのムジークフェラインの大ホールで録音したもの、『第四交響曲』がロンドンのウェンブリー・タウン・ホールでとったものと、ジャケットに書いてある。このうちロンドンのほうのホールは、私は知らないが、ヴィーンのは多少は馴染《なじ》んでいる。そうして、あのすばらしいホールでなら、響きが部厚く、残響も豊かになるのは当然なのだが、それにしても、この演奏できくバスの重さ、厚さ、強さは並々のものではない。それにくらべると、『第四』のほうは、音が少し軽いというか風通しがよくなってはいるが、しかし、低音の特徴とダイナミックの対照の強烈さには変わりはない。
 いろいろな原因が重なってこうなるのだろうが、結局、少なくともムラヴィンスキーの好みが、これに逆行するものでないことは、絶対に確実だということになる。
分享到:
赞(0)