世界の指揮者12

  サバタは、私が実際に指揮をするのに接したことのない名指揮者の一人である。彼は、私がはじめて外国に出た一九五三年の春のシーズン、《ラ・スカラ》で指揮をしたのを最後に引退してしまい、そのまま十五年の隠棲《いんせい》の末、一九六七年の十二月だったかに死んだ。私がはじめて外国に出たのはその一九五三年の十二月だったし、ミラノに行ったのは翌年の春である。今思ってみると、私はフルトヴェングラー、トスカニーニ、ヴァルター、クナッパーツブッシュ、シェルヒェンといった人びとの指揮をきく幸運をもったわけだけれども、当時はまさか、そのあと間もなく、この人たちがつぎつぎと死んでしまおうとは思ってもみなかった。だが、このほかにも、その後日本にもやってきたミュンシュやモントゥやと数えてくると、前世紀の生まれで今世紀前半に活躍した指揮者たちは、あらかた死んでしまったかのような感じがする。若いところでも、ベイヌム、ライナー、ミトロプーロス、カンテルリ、フリッチャイと死んでいるし、私がはじめて外国に行った時きいた人たちの誰がまだ生きて活躍しているのか、そのほうから数えたほうが早いのかもしれない。まあクレンペラー、ストコフスキーなどという長老がいることはいるが、結局今日の指揮界ということになると、今世紀のはじめに生まれたベーム、カラヤンがもう年齢的にも最先頭に立つという時になってしまっているのだ。驚いたものである。あのカラヤンが、若くしてベルリン・フィルを本拠に、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団、ヴィーンの国立オペラ、ミラノの《ラ・スカラ》と四つの音楽の首府に君臨するなどと、ジャーナリズムがさわぎたてていたのも、昨日のような気がするのに。

《現代の指揮界》などという原稿を書いていることの空《むな》しさ!
 芸術が、音楽が、現在私たちの知っているようなものとして人間の社会に存在しているのも、一つには、その人間の生活、生の営みのはかなく過ぎ去りやすいことへのアンチテーゼとして、永遠のものへの憧《あこが》れ、日常性からもう一つ高められた次元の世界への一つの予感であり、手がかりであるような何かとしてであるのだろうに、そうして、名演奏家とか、大指揮者とかに接した時の私たちの感激や感銘のなかには、その一つの要素として、その演奏が、私たちの前を横ぎって、そうして過ぎてゆく瞬間が「いや、こうも美しく充実した瞬間は過ぎさってゆくことはあるにしても、永遠に消滅するということにはならないので、何かが残るだろうし、私もこのすべてを忘れることはあるまい。少なくとも私が生きている限り、現在この瞬間に私の経験しているものは想い出となって生き続けるだろう」と信じないではいられないようなあるものに変わってゆくという、いわば「束の間に過ぎさるものの永遠性」とでもいった価値の転換の、私たちの精神の内部の世界での実現につながっていなければならないだろう。それなのに、わずか十年、十五年、二十年の歳月が経過するだけで、私たちの内でも、外でも、何とたくさんのものが、過ぎさり、姿を消してしまうことだろう。
 音楽についてというのでなく、演奏と演奏家について書くということが、とかく、やりきれないほど皮相的で、あわれなことになりやすいのも、その理由は、演奏の本質によるというより、むしろ人間の心の深いところに潜在しているのであろう。
分享到:
赞(0)