世界の指揮者10

  ライナーも、私はたった一度、シカゴできいたことがあるだけである。今世紀五〇年代の前半のことだから、古い話である。この時は、彼がシカゴ交響楽団の常任指揮者に就任した最初のシーズンだったと覚えている。この交響楽団も、アメリカでは最も古い歴史をもつ由緒ある楽団の一つなのに、かつてのセオドア・トマスとかフレデリック・ストックとかいった長老たちがいたあと、しばらく指揮者にめぐまれず、前任者のラファエル・クーベリックも、たしか、比較的短い期間しか勤務しないうちに変わってしまい、ついに衆望に迎えられてライナーが就任した直後だった。

 私のきいたのは、たしかベートーヴェンの『第八交響曲』とブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』、それにファリャの『恋は魔術師』の組曲、最後がR・シュトラウスだったと思う。シュトラウスは、何であったか。『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』だったかもしれない。『ドン・キホーテ』や『ツァラトゥストラ』では、全体のプロが長くなりすぎるだろうから。
 要するに、いろいろな傾向の曲を並べた顔見世興行のようなものだった。と同時に、ブラームスの曲はおよそオーケストラの能力を披露するにはこのうえなく適した、いわばオーケストラの検定試験の最上の課題曲だし、『第八』はベートーヴェンの数ある傑作中、オーケストレーションのうえで最上の洗練と、同時に問題点のみられる音楽だろう。それにファリャの色彩。シュトラウスの官能美と機智。そう考えてくると、このプログラムは、よほどの豪気と自信がなければ、組めないものだということになる。
 演奏はすごかった。私のうろ覚えでは、特に、シュトラウス、それにファリャが傑出していたと思う。
 シュトラウスは、周知のような音楽だから、音楽の流れと性格がめまぐるしく変わる。拍子、速度、それに伴う表情が、といってもよい。それがライナーの指揮では、いかにもテキパキしていて、破綻《はたん》がないうえに、変わり目が実に鮮かなのである。ことに速い旋律や楽句の流れの変化が、印象的だった。ライナーのは、申し分のない筆勢をもった楷書《かいしよ》のスタイルであるが、それに加えるに表情の変化、音色の転換が実に巧みだった。それがおそらく、彼のR・シュトラウスとかマーラーの演奏に特に定評のあった所以《ゆえん》だろう。
 だが、ライナーの指揮に接して、それもたった一度接して、いまだに一番はっきり思い出すのは、彼のバトンのふり方である。バトンを下にさげてぶらぶら振っている指揮者の姿は、私は、後にも先にも、この時のライナーのほか見たことがない。肩より上にあろうと下にあろうと、とにかく指揮棒の先端が上を向いてなくて、下を向いているのだから、びっくりした。あれでは、楽員たちのなかには、まるで見えないものも出てこよう。もちろん、常にそうしているというのではない。主として音楽の流れがある一定の方向を走っている時に、そうやるのである。だが、思い切ったことをやる人である。楽員たちは、頼るものがなくなるから、当然恐ろしくなり、全神経を集中し、緊張そのものといった表情で演奏する。ライナーの指揮が、その「ひきしまった、まったく贅肉《ぜいにく》のない演奏」をもって、最大の特徴とされたのも当然である。
 そのつぎに、私の覚えているのは、ライナーの腕の動きである。ライナーという人は、それでなくとも比較的小柄な人物で、古い日本流の言い方をすれば、五尺そこそこの小男ということだろうが、それに相応して短いその両腕を、彼の場合ほど、少ししか動かさない指揮者も珍しかったのではないか。
 私はこれを有名なショーンバーグの『偉大な指揮者たち』で読んだのだが、ライナー自身は、けっして両腕をふりまわしてはいけないということと、「キューを与える入り(アインザッツ)の合図には目をつかえばよいのだということを教えてくれたのは、ニキッシュだった」と語っていたのだそうだ。
 ベルリンなどに行くと、いまだにニキッシュの指揮を覚えている老人がいて、いろいろの話をきかせてくれるものだが、その人たちが異口同音にもち出すのは、ニキッシュが指揮台に立っても、フルトヴェングラーそのほかの人たちのように、やたらと両腕をふりあげたり、ふりまわしたりせず、じっと直立していて、ごく少ししか指揮棒を動かさなかったこと、彼の指揮で一番雄弁だったのはその両眼だった、という指摘である。たぶんニキッシュはこのスタイルの創始者だったのだろう。
 とにかく、ライナーも、腕は実に少ししか動かさなかった。「肉体的努力は最小限にして、最大限の音楽的効果をあげること」。よく、彼はこう自慢していたそうだが、私が思うのに、肉体の動きを最小限にとることは、ことに速い音楽の指揮に際して、特に有効ではないかと思う。腕の動きが大きい、つまり棒のふりまわし方が大きく、その尖端《せんたん》の描く軌道が長くなるにつれて、リズムは精密度、正確さを欠くようになるのは自明の理である。指揮者が考えている時点での速度とリズムは、棒の尖端が遠くなればなるほど、おくれることになり、棒の手許《てもと》と尖端との時間差が増加するのは、簡単に計算できることである。棒の動きの小さい点では、R・シュトラウスも有名だった。彼のも最小限の動きで、尖端がちょっと上がると、それがを示すのだったというのは、これも彼の指揮の下で演奏した老演奏家たちから、よくきく話である。ライナーは、その点でもR・シュトラウス以来というところだったろう。
 ライナーの場合は、ただし、音楽はR・シュトラウスとはちがって響いた。シュトラウスのは、やはり大作曲家の常として、音楽の重要な本質的なものは楽譜に正確に書いてあるのだから、何も演奏者がそんなにむきになって、強調しなくたって、聴き手に充分に正確に伝わるはずだという考えが土台にあったろう。まして、R・シュトラウスの熱愛したモーツァルトの音楽は一切の誇張を嫌うのだし、R・シュトラウスも時とともにますますそういう音楽に帰依していったのだから。
 だが、ライナーの「最小限の動きで最大限の音楽的効果を」というのは、もちろん、誇張を嫌う点では同じ根から出ていても、まず何よりも、演奏の完璧《かんぺき》な正確さと精密さというものを目標としてのことであったのだろう。そういう彼の音楽が、どちらかといえば、ドライだったのも、当然想像されるところだし、事実そうだった。
 その点で、また、彼は、たとえばB・ヴァルターとは対象的な存在だったろう。彼は旋律を歌わせる時も、ヴァルターのように、情感をこめすぎるほどこめて、全体の流れにやや締りがなくなってもなおかつ、ゆったりと——そうしてときには正確さは楽員に任してしまっても——歌い上げるというところは、まったくなかった。
 もし、指揮の技巧の巧拙というものが考えられるとしたら、ライナーはまれにみる指揮のヴィルトゥオーゾであった。アインザッツの正確、合奏の完璧、そうしてテンポの狂いの皆無なこと。要するに彼もまた、トスカニーニ流の非感傷派に属していた。そういう点が、彼の評価を、まっぷたつにわけた最大の理由でもあったろう。いつか、私が、メトロポリタン・オペラの客席に坐っていたら、その隣りにきた何とかいうアメリカの大組織のマネージャーが、いろんな指揮者の評判をしたうえで、「ライナー? ああ、あいつはミスター・メトロノームというんだ」といっていた。
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