平の将門61

 常陸源氏

 
 
 正月中は、賀客《がきやく》が、絶えない。
 将門は、坐ったきり、客に接して、のべつ酔っているような恰好だった。
 きょうも、菅原景行が来ていた。
「よくぞよくぞ、これまでに励まれた。亡き良持どのがお在《わ》したら、いかばかり歓ばれようぞ。——さすがは、桓武帝の末裔《まつえい》たる御子将門どのよ。わしも、どんなにか、うれしいか知れぬ。よい初春《は る》を、昔なつかしいこの館で、祝わせて戴いた」
 景行は、口を極めて、ここ数年の、将門の克己を賞《ほ》めた。
 この謹直な君子人《くんしじん》のまえでは、将門も、かつての洟垂れ童子の頃そのまま、ただ、畏まって、往年の恩義を謝したり、これからの勤勉と、家運の挽回をちかうくらいが、関のやま、口に出る話題であった。
「たのむぞ。この上ともに」
 まるで、真の父が、真の息子を、励ますようにいって帰る景行であった。
 その人を、館の中門まで、送り出して、ふと土倉の方を見ると、五、六頭の荷駄が着いている。弟たちと、家人が、馬の背から下ろした武具の菰梱《こもごり》を、武器倉へ、運びこんでいるのだった。
「おう、また、野霜から、誂《あつら》えてある具足が出来てきたのか」
「はい。なお鉾《ほこ》や弓の類も、近日、出来た分から、次々に届けて参るそうです」
「馬具も、長柄も、弓も、もう相当、量は溜ったろうな」
「だいぶ、揃って参りました。いちど、三つの土倉を、御覧なさいますか」
「いや、きょうは止そう。……それより将頼と将平は、ちょっと、おれの居間まで、来てくれないか」
 将門は、やがて、後から従《つ》いてきた二人の弟を、前において、こういった。
「おとといの晩な。初春の夜宴《やえん》の席で」
「はい」
「おれは、よほど、心が浮いていたものとみえる。われ知らず、桔梗どのの事を、口に出してしまった。あきらめきれぬ女性ではあり、決して、諦めようとも、思ってはいなかったが、さりとて……ああいうつもりもなかったのだ」
「よいではございませぬか。想いを、想いのまま、いつまで、おつつみ遊ばしているよりは」
「そういって貰うて、おれは、涙がこぼれたよ。——将頼、将平。……打ち明けるが、実は、桔梗どのには、おれのほかにも、いのちを賭けて、恋している男がある。おれにとっては、何しろ、手強《てごわ》い恋がたきだ」
「どうしたことです。兄者人、恋に負けてなるものですか。相手があると聞けば、私たちも、兄者人を、失恋の人にはさせられません。なア将平」
「そうですとも。たれです、相手は」
「それがよ。源護の息子たちだ」
「息子たちとは、おかしいではありませんか。護の嫡男、扶ですか。次男の隆か。それとも、三男繁ですか」
「げにも、笑止なことだ。その扶と、次男の隆とが、これまた、ひとりの桔梗を争いあっているわけだ。そのため、彼ら兄弟も、無下《むげ》には、桔梗どのを手にいれかねているし、桔梗どのの親共も、それを理由に、どっちの求めにも、巧みに、断る口実を持って来られたのだが……もうそうそうは、その口実も、利かない切迫《せつぱく》に追いつめられているらしい」
「——と、仰っしゃるのは」
「扶と隆の兄弟が、やはり兄弟だけに、話し合って、この恋、どっちに幸いするか、籤《くじ》を引いて、桔梗の所有を決めようとなったらしい」
「ば、ばかにしている。恋する女性を、賭け物にするなんて……」と、気の優しい将頼すら、義憤をもらして、「——それで、野霜の伏見掾は、娘を、そのどっちかへ、与えるつもりなのでしょうか」
「いや、あの翁は、職は具足師でも、心は硬骨だ。もちろん、やる気はない。それはおれにも誓っている」
「いつ、お会いでした」
「ここへ来ては、人目にたつ。そこでいつも、御厨の御料園へ、そっと忍んで見える。あの経明の住んでいる池守小舎《いけもりごや》のうちで、幾たびとなく、会っていた。——愛娘《まなむすめ》の桔梗どの可愛さに、あわれ、野霜の翁も、子ゆえに迷う夜の鶴という諺《ことわざ》どおり、何かにつけて、おれを訪ねて来る」
「それでは、親御の伏見掾も、兄者人へ、嫁《とつ》がせたいと希い、桔梗どのも、兄者人を、想うているわけでございましょうに」
「ま。……そうなのだ」
 将門は、顔を赤くした。弟たちに、自惚《うぬぼ》れと笑われもしまいかと、遠慮がちな頷き方をした。
「——ならば、何を、さは、御躊躇《ごちゆうちよ》なさることがありましょう。扶や隆へ、うまく、いいわけのつくように、翁が、考えた通りの手段を、兄者人が、さっそく、実行しておしまいになれば、それまでの事でしょう」
「いや、おれの惧れるのは、それから先だ。——何といっても、源護一家は、新治、真壁、筑波三郡にわたる常陸源氏の宗族だ。坂東一帯にも、数少ない大族ではあり、嵯峨源氏の与党も各地にもっている」
「だって……兄者人。恋でしょう、問題は。いくら嵯峨源氏の嫡男でも、女ひとりに、そんな表立った権力を振えもしますまい」
「……が、なあ弟。あいにくと、その護の女《むすめ》二人までが、おれたちの叔父共へ、嫁《かたづ》いている。ひとりは良兼どのの室。ひとりは良正どのの内室へ」
「縁は、どうつながっていようともです。——では、兄者人は、桔梗どのを、想い切れるのですか」
「きれない……」
 将門は、眼をつむった。
「じゃあ、あとの苦情や、多少のいやな思いは、お覚悟の上でも、思いをつらぬくしかないではありませんか」
「ゆるしてくれるか」
「そんなお気の弱いことを」
「おれに怯《ひる》みはない。自分の恋だ。命を賭けてもつらぬきたいわさ。——では将頼、おまえは、おとといの夜も、いったように、おれと分家して、近々に、御厨の方へ住め。あの辺、守谷一帯の田領は、おまえに遣《や》る。また、将平は、猿島の岩井を持つがよい」
「この時に、私たちの身まで、そんなにお考え下さらなくても」
「いつかは、将文、将武にも、追々、そうしてやらねばならない年頃にみな来ている。父の亡い家だから、おれが父の仕残しを仕遂げねばなるまいわさ。あははは……。今ごろ、恋にとらわれて、おまえ達にまで、心配させている困った親代りだ。恃《たの》み効《が》いなくは思うだろうがな」
 弟二人は、しゅくしゅく、俯向いた。共に、幼時《おさなどき》の哀愁を呼び起された。将門は、泣かせて悪かったような顔をした。
 すると、常には気の弱い神経質な将頼なのに、決然と、涙を払って、いい出した。
「わかりました。お気もちも、御事情も、よく分りました。おいいつけのように、私は、数日中に、御厨へ別れます。将平も、そうせい。——ところで、兄者人。兄者人の恋人は、いつお迎えしますか。野霜へ、桔梗どのを、攫《さら》いにまいる夜は、ぜひ私も、連れて行ってください」
「兄者人。——私も」
 と、将平もまた、兄へ迫った。
 
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