第十九章:中国考古~秦の始皇帝陵の銅車馬

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 秦の始皇帝陵の兵馬俑が発見された後の1980年、中国の考古学者は秦始皇帝陵の銅車馬を発見しました。この発見もまた、世界を驚かせました。 

 
 最も早くこの国宝を発見したのは考古学者の楊緒徳です。当時、楊緒徳は秦始皇帝陵から20メートルぐらいの場所でボーリングしていました。突然、7メートル深さから土と共に指ぐらいの大きさの金の泡みたいなものが溢れ出てきました。この金の泡を現場の指導者程学華に手渡すと、程学華は興奮し手が震えたということです。というのも、人々が一生懸命に探していた銅車馬でした。 
 
 発掘作業は専門家の指導の下で行われ、1ヶ月を経て、地表から7.8メートルの深さに2台の銅車、8匹の銅馬、2人の銅の御者がありました。 
 
 銅車馬が発見された後、その修復作業は秦始皇兵馬俑博物館で行われ、2年近くの修復を経て展示されました。銅車馬が展示されると、たちまち世界を驚かせました。 
 
 銅車馬の大きさは実物の2分の1で、その設計、制作の精密さ、工芸の精緻はいずれも比べるものがないほどその工芸制作方法は今も応用され、あるものは今でもまだ謎です。   
 
 秦の兵馬俑がどのように制作 
 
 1989年、中国社会科学院考古研究所の漢長安作業チームは西安市示央区六村堡郷の野菜畑でボーリングをしていた時、今から約2100年前の前漢の大型の兵馬俑を焼き上げる陶窯21箇所を発見しました。これは皇帝と政府のための副葬用の俑を製造する官僚の窯です。これらの製造所は規模が大きく、生産量も多い。その内、2箇所の陶窯にはまだ焼いていない俑がいっぱいありました。21の窯には、それぞれ350ないし400の俑もあり、このように21の窯から1回で7350ないし8400個の陶俑を焼き上げることができます。このような生産規模から見ても、秦と漢の兵馬俑が偉大であったことがわかります。 
 
 現場から発掘された陶俑の実物により、兵馬俑の焼き方が分かります。陶俑は全部鋳型によって製造されました。これらの兵馬俑は焼く前に彩色をせず、焼いた後で白色の陶の衣服を描いていったのです。焼く時の兵馬俑の置き方は、頭を下に向け、足を上向きにして置きました。これは非常に科学的な置き方です。人体の上部は下部より重く、頭を下に向けて置くことで安定が取れ、かつ倒れにくい。これは、はるか2000年余り前に、わが国の労働者が重心の原理を身につけたことから用いたのです。秦の兵馬俑が発見された後、陶馬を模造した時、この方法を用いなかったため白地の足を下に向けに置いたことから倒れてしまいました。また、秦の時代、陶器製造者に俑の上に自分の名前を刻むよう要求しました。これは支配人が製造した陶俑の数と質を検査するためで、後に多くの製造者の名前が残されました。現在、はっきりと名前が残されているのは宮丙、宮疆など85人です。 
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