「ロレッタ」

 私の本棚の一隅に、二十センチほどのボーンチャイナの人形が飾ってある。数年前に家を建て替えた際、がらくたを整理していてひょっこりと出てきたものだ。

 葡萄(ぶどう)色のロングドレスにレモン色のストールをゆったりと羽織った淑女で、底の素焼きの部分に天眼鏡を当てると、ロゴマークを囲んで『Made in England』と書かれてある。
 他に『Loretta』という製品名や幾つか数字が並んでいて、『1965』というのは恐らく人形の制作に関(かか)わる年号なのだろう。
 和暦になおすと昭和四十年である。丁度(ちょうど)私が高校に入った年なのだが、実はその年、我が家にはある出来事があった。仕事の関係で父が二カ月ほど外国に出掛けたのである。
 食べ盛りの私にはチョコレートが土産だったし、姉達にはブローチなどもあったような気がする。イギリスと我が家を結びつけるならあの出来事しかなく、つまり人形は父が外国で買ったもう一つの土産であり、いわば形見の品ということになる。
 傷ひとつなかったこともあるが、人形を捨てずにとっておこうと思ったのは、そんな理由からだった。
 暫(しばら)く人形を眺め暮らすうちに、些細(ささい)なことが気になりだした。土産はいいが、一体誰に買ってきたものなのかということである。私の下に妹が一人いるが、当時もう中学生で、人形を欲しがる年齢ではなかった。しかもせっかく買ってきたというのに、人形が飾られていた記憶が全くないのである。
 父も母も鬼籍に入って久しい。どんな思いで買われた土産なのかもはや聞く術(すべ)はない。小首を傾けて虚空を見やり、人形も素知らぬふりをするばかりだった。
 お盆に息子夫婦が帰ってきた。良い機会だから先祖のことでも話しておこうかと、納戸の段ボール箱から古いアルバムを引っ張り出しておいた。
 「若い人には昔の話なんかねえ……」
 退屈そうな嫁の様子を窺(うかが)いながら、妻は私の長話を諫(いさ)めた。
 せっかく出してきたのだからと久しぶりにアルバムをめくっていると、偶然数枚の写真に目が留まった。駅のホームで、父が見送りを受けている。空港とおぼしきロビーでのものもある。外国に出掛けたときのスナップ写真だった。
 人垣の中の姉達の姿に、ふと気が付いたことがあった。ロレッタは、まさにあの頃(ころ)の姉達と同じ年頃の人形なのである。
 去年、私は父が旅行に出掛けたときの歳(とし)をひとつ越えた。もし私が父だったなら、どんな思いの時に人形を手にするだろうか。
 二カ月も家を留守にしていれば、家族のことが気にならないはずはない。息子ばかりの私とは違って父には四人の愛娘がいたが、当時上二人は既に他家に嫁ぎ、三番目も進学で上京している。そういえば見送りに来てくれていたななどと、次々に自分の元を離れてゆく娘達のことを旅空に思い浮かべたとしたら……。
 そんな時、私ならショーウィンドーの同じ年頃の人形にふと目を留めるに違いない。寂しくなってゆく家に、せめて人形でも飾ろうかと父は考えたのではなかろうか。誰かへではなく、自分自身の慰めのためだったのだ。
 そして持ち帰ってはみたものの、家族の前では気恥ずかしく、あまりおおっぴらにはできなかったのかもしれない。
 しかしもしそんな思いのこもった人形だとしたら、息子の私が持っているのはいささか不釣り合いである。同時に、私はそこはかとない戸惑いも覚えた。
 彼岸も過ぎた頃、息子から電話があった。嫁の具合が悪くなり、医者に行ってきたという。そして、照れた口ぶりでおめでただったと告げてくれた。
 不意にいいアイディアが浮かんだ。
 -父さん、初孫がもし女の子だったら、あの人形その子に引き継ぎますよ。ねえ、いい考えでしょう! ちゃんと手紙も添えておきます。
 『これは、お前の曾(ひい)お祖父(じい)ちゃんがイギリスから連れてきた人形だよ。ロレッタという名前さ。いつまでも大切に…』と。
 しかしもし男の子だったらどうしよう。まあいい、そのときはその子の嫁さんにでもやろうか。
 ただ…と、私は父の行年までの年を指折り数える。そのためには、私は父より大分長生きをしなければならない。
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