「アルバム」

 「息子さん、この前かわいい女の子と来ていましたよ」

 久しぶりにアルバムを開いてみる気になったのは、ラーメン店のおかみさんとの立ち話がきっかけだった。
 ひとり息子が生まれてから撮りためた写真が、十一冊のアルバムとなって本棚の奥に鎮座している。大切に扱っていたはずだが、手に取ると背表紙がポロリと落ちる。めくったページがペリペリと剥(はが)れる。慎重になる指先に、二十二年の歳月を感じていた。
 それでも、黄ばんだ台紙の上で、息子の笑顔が幾つも弾けていた。小さくて、柔らかくて、温かくて。あの感触があるから、母親は育児の大変さに耐えられるのだろう。足元にまとわりついて、歩くのもままならなかったのが、つい昨日のことのようだ。
 長じた息子は一時期、私と連れ立って歩くことを、とても嫌がっていた。だが最近は、おやっと思うほど一緒に出歩いてくれる。
 そんなふうに、時々訪れるラーメン店のおかみさんに、スーパーで偶然出会ったのだった。
 かわいい女の子とねえ、と呟(つぶや)きながら、大口を開けて笑っている息子の写真を見る。へええ、と思う。たしかに、恋人がいてもおかしくない年頃(ごろ)ではある。
 帰宅後に尋ねてみたが、あっさりと「うん、行ったよ」と息子。
 「つきあっているの?」
 「いや、つきあってはいない。でも、好きではある」
 ちょっとびっくりした。そういうことを自分から言える子ではなかったからだ。
 加えて、近頃は言葉や態度の端々に、私に対する気遣いも感じられる。もともと気持ちの優しい子だが、それを表わすのが苦手だったから、随分大人になったものだと思っていた。そんな矢先のことだ。
 息子の変化の原因はそこにあったかと、母親としては少々複雑だが、きっぱりとしたその物言いは、息子の成長の証しのようでやはり嬉(うれ)しかった。ちゃんと階段を上がっている。
 そんなことを考えながらページを進むと、少しすました母の顔があった。生後間もない息子をその腕に抱き、カメラを見ている。六十歳を少し出た頃だろうか。この時分の母にもう一度だけでも会いたいなと思う。今だったらもう少しうまく、ありがとうが言える。
 電車で二時間ほど離れた町に住む母は、慣れない育児に戸惑う私を、よく手助けに来てくれた。
 「おらど(私たち)は貧乏でお金はあげられないがら、こうして体で尽ぐすの」
 そう言って母は、息子の具合の悪い時などは、夜でも飛んできてくれた。「ああ、こえ(疲れた)、こえ」と言いながらも笑顔の母に、夫はちょっと困った顔をしたが、私はほっとしたことをよく覚えている。
 先日、夫と息子と共に母を訪ねた。現在は認知症が進み、施設にいる。
 母と同じ町に住む姉と姪(めい)、その息子と合流し、総勢六人が母を囲む。ちょこんと椅子(いす)に座った母は、もう誰の顔も分からない。けれど、賑(にぎ)やかなことが好きな母らしく、どこかわくわくするようだ。にこにこしている。
 息子と混同しているのかもしれない。一番近くにいる姪の子に「よぐ来たな。いづ来たの」を繰り返す。九歳の子に、母の変化を理解するのはまだ難しい。「さっきから居ますけど」と少し顔をしかめて、それでも何度も答えている。その、会話ともいえないやり取りは、可笑(おか)しく、悲しかった。
 子どもが大きくなるのは、至極あたり前のことだと思ってきた。だが、同時に親も老いるということには不用意だった気がする。赤ん坊が赤ん坊のままでいられないのと同じように、きっと自然なことなのだろうけれど。
 帰途、息子の運転する車の中で、ぼんやりとそんなことを考える。窓の外には、大きな茜(あかね)色の空が広がっていた。
 いつの頃からか、あまりアルバムを見なくなっていた。懐かしいというより切なくなる。ありったけの力でしがみついてきた息子の重み。今は亡き義父の笑い声や、まだ元気に小言を言っていた母の顔。あの頃はどうして、そんな瞬間に限りがあるということに気づかなかったのだろう。ちくりと、悔いの針が胸を刺す。
 けれど、こんなに小さかった息子が恋をし、自分の足で歩き始めている。誰もみな、同じではいられない。私もいずれ、母の年になる。大切な瞬間は、今も、ここに在る。
 部屋の窓から見えるケヤキは、いつの間にか青々とした若葉をまとっている。美しいこの季節が大好きだ。そして同じ位(くらい)、冬枯れの影絵のようなケヤキも好きだ。薄暗い空に映えて美しい。最近、そう思うようになった。
 ふうっと、小さく息を吐き出して、アルバムをまたきれいに並べてしまい込んだ。
 
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