「引き継ぐ」

  杉木立の中を水が流れている。苔(こけ)と石の間から滾滾(こんこん)と湧き出る水。その湧水池の中では鰍(かじか)が気持ち良さそうに泳いでいた。

 湧き水は生家の近くにある。生家は奥羽山脈の麓に位置しており、その昔、本家から湧き水を守るという使命を与えられ、分家となって数百年の時が流れた。
 祖父は湧き水の産湯に浸(つ)かった明治生まれの一人っ子であり、豊かな自然環境の中で植物に興味を持ち、自然を大切にし、楽しみは季節の移ろいと共にあった。
 春、森に命の息吹が押し寄せてくると、愛用のリュックを背負って山へ入った。リュックの中には湧き水を入れた私のお下がりの赤い水筒が入っている。コゴミ、ゼンマイ、ワラビなどなど、山の恵みは頂く時期を見極め、まだ小さいのは後(あと)に山に入る人のために残して置くのだ、と言っていた。
 森と隣人、他者への礼節である。
 私有の土地が連なっている山では、自然の恵みを頂く分については共有できるおおらかさがある。大人も子供も、地元の人たちは山に入ると帰りには湧き水で汗を鎮め、家路に就いたものである。
 透明な水は夏は冷たく、冬は温かく凍ることを知らない。喧騒(けんそう)の世界から解き放たれた心を癒やしてくれる神聖なその空間は、後に、上水道の水源地となり、建て物の中に閉じ込められてしまった。
 祖父は湧き水の跡地に水仙の花を植えた。
 「湧口(わっくつ)をいつまでも思い出したくて、家から持ってきて植えたのだぁ」
 代々引き継がれていた水守りの血がそうさせたのであろう-。
 生家は農を生業としている。病気がちだった祖母の介護は祖父の手に委ねられ、必然的に両親は働き手である。祖母が眠っている間がほっとする祖父の時間であった。鉄瓶で沸かしたお湯でお茶を入れ、おいしそうに飲んでいた。小学校から帰ると、私にもお茶を入れてくれ、お茶を飲みながら話をしたことなど懐かしい思い出の一こまである。
 湧き水は、日照りが続き水不足になったとき、十数キロ離れた国道沿いの方からも汲(く)みに来たものだ、と祖父は物語のように聞かせてくれた。その当時、どのようにして水を運んだものか、豊富な水を生活用水にすることが当たり前の生活(くらし)だと思っていた子供の頃の私には到底、理解できることではなかった。
 晩年の祖父は、散歩を欠かさず、玄関を出るとその足は迷わず湧口へ向かう。その向こうには元気だった頃、枝打ちをし、下草を刈って手入れをした森があり、成長を見上げ、四季の優しさに包まれて日々を重ねた。
 その森がざわめいた。
 平成九年五月二日の昼下がりのこと、連休の平穏さを打ち破って山林火災が発生した。火の粉は五月の風に煽(あお)られて広大な山々を際限なく暴れ、夜になっても勢いが収まらず、炎は猛者となって暗闇の森を嘗(な)めつくし、生家から連絡を受けて駆けつけた私は、ただ、呆然(ぼうぜん)と見ているしかなかった。
 「俺だち、こんな目に合わなければならないほど、何か悪いことしたったぇがね……」
 燃える山を見上げながら、地元の人たちは嘆息するばかり。
 やがて祖父は介護が必要になり父にごはんを食べさせて貰(もら)いながら、松茸(まつたけ)の生える場所を遺言した松林も消えてしまった。が、父がご神体を避難させた湧口の側(そば)にある水神様のお堂は、辺りが火の海になっても不思議なことに燃えずに無事であった。
 地元の人々は、朝な夕な変わりなく佇(たたず)む山並みの姿に安堵(あんど)し、先代から引き継いだ景観はそのまま次世代に渡せるものと信じていた。
 裸木から新芽へと変わりつつあった山が一変し、もくもくと立ち込める灰色の煙は広い空へと吸い込まれて行く。
 翌年の春、露(あら)わになった山の斜面にスミレの花が咲いた。まるでヘリコプターの防火用水にスミレの種が混じっていたのでは、と思われるほどに一面スミレ色になった。
 雨は森を潤し、樹木の根は雨水を貯(たくわ)えて湧き水の源となる。雨水は土の中に二週間から長く一万年もの間、地下水として潜在するという。生家の近くの湧き水がどのぐらいで地上に湧き上がっているものなのか、森がなくなっても何事もなかったように涸(か)れることなく、水は湧き続けている。
 スミレが咲いた若草の坊主山に杉の苗木が植えられた。
 祖父の後(あと)を追いかけ、山野草を摘み、名前を教えてもらった森。地元の人たちが守り育(はぐく)んだ昔の森と同じになりつつある姿を、故郷(ふるさと)を離れて住む私はあまり見ることは叶(かな)わないが、生家へ向かって車を走らせると、思わずハンドルに力が入る。
 そこには、湧き水と、年々緑が深くなっていく苗木が朝日に輝いている山並みがある。
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