「おやすみ、大好きなお母さん」

 「おやすみ、大好きなお母さん」

 「おやすみ、大好きな健太」
 「いい夢みてね」
 「健太も、いい夢みてね」
 七歳の息子と私は、夜、布団に入り、こんな話をしながら寝ている。これは三年以上前からずっと続いている。
 「大好きなお母さん」
 息子の言葉に、私は救われている。仕事や家事でくたくたに疲れていても、辛(つら)いことがあっても、吹っ飛んでしまう魔法の言葉。
 しかし、こんな穏やかな気持ちで眠りにつくことができるまで、苦しい日々があった。
 息子が一歳の時、私はひとりで息子を育てることにした。理由があるにせよ、親の勝手で片親にしてしまったという息子への申し訳ないという気持ち。
 そして「片親だから、ちゃんと育てられない、なんて絶対に言われたくない。しっかりとしつけなければ。それがこの子のためでもあるのだ」という頑(かたく)なな思い。
 誰の力も借りない、一人で立派に育ててみせる、と全身から刺(とげ)を出し、意地を張っていた。
 こんな幼い子に厳しく言ってもまだ理解できない、と頭では分かっていても「そんなことしてはダメ!」などと大声で注意ばかりしていた。
 息子が二歳になり、私は職場に復帰した。慣れない仕事で辛い思いをしたりして、心身共に疲れ果てて帰宅する日々に、ますます心の余裕がなくなっていった。
 ある晩、息子を寝かしつけようと、一緒に布団に入った。私は、持ち帰った仕事のことばかり考えていた。何時までかかるだろう、明日も朝早いから早く片づけて休みたい、と思いながら、息子に添い寝していた。そんな時に限って何かを察してか、なかなか寝つかない息子。「早く寝なさい!」イライラして、声を荒げそうになった。
 息子が呟(つぶや)いた。
 「おやすみ、大好きなお母さん」
 一瞬、頭が真っ白になった。
 息子はじっと私の目を見ていた。とてもきれいな瞳。
 「……おやすみ、健太……」
 息子はまだ私の目を見ていた。私は息子と同じように言ってみた。
 「おやすみ、大好きな健太」
 その時の息子の嬉(うれ)しそうな顔。私にぴたりとくっつき、満足そうに目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてきた。
 息子に優しく接することを忘れ、こんなガミガミ怒る私のことを「大好きなお母さん」と言ってくれた。この言葉で、息子が生まれた時のことを思い出した。
 そうだ、生まれた時、すごく嬉しくて、大切に育てよう、守っていこうと誓ったんだ。どんなに夜泣きをしても、抱っこしていないと寝なくても、「お母さんの宝物さん」と笑っていられたのに。その時の気持ちを、私は忘れていた。
 息子の寝顔を見つめた。おでこに貼(は)りついた前髪をかきあげてやる。胸が締めつけられ、苦しくて、涙がこぼれた。
 私は、なぜ一人で意地を張って、自分を追い詰めていたのか。
 身体の力を抜いた。そして思った。
 私は一人じゃない。
 トゲトゲだらけの私を「大好き」と言ってくれる息子がそばにいる。そして母や妹夫婦、叔母とその家族、友達……。助けてくれる人たちがこんなにいる。
 息子のためにも、私は笑顔でいよう。笑顔で「おやすみ」を交わそう。毎日息子と笑い合える方が、どんなに素晴らしいか。
 私の頑なな気持ちが、息子の一言で解けていった。
 今でも、ガミガミ言い過ぎたかな、と寝顔を見ながら反省することはある。しかし次の日には笑顔で「おはよう」を言うようにしている。あの時の気持ちは忘れない。
 「おやすみ、大好きなお母さんぷーこちゃん」
 口が達者になってきた最近では、おどけながら言う息子。本当のことだから怒れない、と苦笑しながら「おやすみ、大好きな健太」と返す。
 「いい夢みてね」
 「健太も、いい夢みてね」
 「明日も頑張ろうね」
 「うん。明日も頑張ろう」
 しばらくすると、隣から聞こえてくる寝息。伝わってくる体温のぬくもり。私も、幸せな気持ちで目を閉じる。この幸せな「おやすみ」を、これからもずっと続けていきたい。
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