「ふり返れば」

 十二月に入って、日めくりが薄くなるにつれ、日記帳へ向かう時間が、だんだん長くなってくる。喜怒哀楽に分類できない程の小さな感情までも、拾い集めて並べてみれば、一体一年間でどれほどの量になるものか。

 静かな風景の中で、コトリと小石が音を立てたような出来事があった。夏のことだ。
「おかあさん、ここに、こんなしこりが」
と、息子が腹部を示す。さわってみれば、確かにコリコリと何やら固まりが、指の感覚を刺激する。
「病院で診てもらおうか」
「エーッ、このくらいの事で? 僕、嫌だよ」
 医師の診断により、即、切り取られることとなった。さあその時点から、微かな疑惑と不安が、胸の中で渦を巻き始めたのだ。もしかし、ひょっとして―「癌」。息子もすっかり悲劇の主人公になってしまって、
「僕の郵便貯金は、全部社会事業に寄付する」
等と言い出す始末。限りある日を愛に生きようと、カッコつけて悠長に構えてはいられない。手術当日まで、「癌」の文字は、私を悪魔のように襲い続けた。
 手術結果は、“神経鞘腫”という、神経のサヤにできた良性の腫瘍という事だった。
「できやすい体質だから、十分気を付けるように」
と、忠告をもらう。
 只今十四歳、身長一八二センチ。もう、幼な子のように抱きしめることもできはしない。私の背をはるかに越した、彼の体にできた小さな腫瘍を、どうして見つけることができるだろう。
 そういえば、息子が小学六年生だったある日、宿題にこんな内容のものが出された。
「おとうさん、おかあさんに、抱きしめてもらうこと」
 子供達と共に学び、成長していこうという情熱一杯の、お兄さんのような女の先生で、この宿題には、
「さすが」
と感心させられたものだ。私の腕の中で、息子は
「気持ちワリイ」
を連発し、嫌がっているフリをする。こちらも何だか照れくさい。少年の甘い青い香りに、胸の奥がキュンと熱くなってくる。
「抱っこ!」
と、両手を伸ばしてきた頃が、頭をよぎる。
「とにかく、いつも自分の体に注意して、早期発見をしなさい」
 中学生となった彼に、母親である私は、無責任にもこういう言い方しかできないのだ。
 生と死など日常考える事なく歩いていたが、今年の夏は、立ち止まる機会を与えられた。迷い、悩み、感情的になり、一つの小さなしこりによって、まさに揺れ動いた夏だった。
 届いたばかりの来年のカレンダー。
頁を繰れば、真新しい紙の匂いがする。開幕前の鼓動さえ聞こえてくるようだ。88年が、その、おそろしく美しい長い腕で、ぐいぐい私を引き寄せていく。また、一日が終わる。
 
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