「娘と剣道」

 その日、帰宅した娘の顔は、心が透き通って見えるように、さわやかな笑顔だった。

 「一本勝ちも、二本勝ちも経験したわ」
 「それはそれは、おめでとう」
 「先生がふっきれたのうだって、私もそう思ったわ」
 「最後の試合か、六年間よく続いたね」
 「うん、よくやった」
 普通科五校戦は、高三になった娘の、剣道部最後の試合だった。受験勉強に励む友を、横目で見ながら、この日まで部活をすると言い切って、練習に打ち込んできた。決して強くはなく、勝ち試合の話はあまり聞かなかったが、剣道をした記念にと、初段をとり、良き仲間と共に、充実した部活動を終えることができた。
 「お母さん、私、剣道部へ入りたいわ」
 中学校へ入学して数日後の、娘の帰宅第一声であった。
 「女の子が、いまさら剣道なんかしなくても、他に部はいくらでもあるでしょうに」
 「いけんかなー」
 部活動の話は、それきりで終わった。ところが次の日、つぶやくように、
 「剣道部に入ったら、いけんかなー」
 その次の日は、確信を得たかのように、
 「防具は学校のを使っていいんだって」
 竹刀すら触ったことのない娘が、剣道の何にひかれたのか、一途な気持ちに困惑させられて、なぜか、許す気持になれなかった。毎日続く一言攻勢の一週間目、
 「どうしても剣道をしたいなあ。絶対やめないからさせて」
 もう親の考えは通用しない。笑顔満面の、少し大人びた中学生の顔がそこにあった。
 声をからし、手に豆ができてはつぶれる痛々しい毎日も、泣き言を言わず、自分で消毒していた。顔面蒼白で、ふらふらしながら帰宅する夏の日もあった。
 「今日は死んだ。本当に死んだ。寝るわ」
 制服のまま、ペットの上に倒れ込む。冬はしもやけで足が紫色にふくれた。ビッコを引きながら登校し、血がにじんでいる足を引きずって、トボトボ帰ってくる。この時、私が娘にしてやれる事は、キンキンにはれた両足のしもやけを、祈るような気持ちでさする事だけだった。目の前に置かれた足が、小さくいとおしく、涙の中に見え、つらいのになぜ剣道をするのかと、やり切れない思いの日々でもあった。
 一息つきながら、又、明るい声がはじける。
 「中学一、二年の練習が一番苦しかったけど、あの時があったから続けてこれたわ」
 「今度は受験勉強だ。どうしよう」
 娘が剣道で得たものは何であったか、今、結論は出てこないが、これからの歩みに、必ず役立てるようにと願いながら、リズミカルに動く口元を見つめていた。
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