「出会えた本に、ありがとう」

「ただいまー、将司(まさし)」と主人が。

「ただいまー、まぁちゃん」と長男が。
「ただいまー、まぁ坊」と長女が。
 家族皆が、帰宅するとまっ先に次男のベッドに駆け寄ります。
 次男は、出産時無呼吸となり脳にダメージが残りました。生後一ヶ月後に退院したもののお乳を飲めば息つぎが出来なくてチアノーゼとなったり、上手に飲みこめなくて器管に入り肺炎で入院となりました。日々の生活は、一日中ベッドの上で過ぎていきました。単調な生活のリズムは、本人も家族にとっても味気ないものとなって行きました。しかし、育児と看護も次男が十歳位になると、私にも気持ちに余裕が出てきました。辛い時、痛い時しか泣き顔を見せない次男。嬉しい、楽しいという表情が見れない事が、とても残念でなりませんでした。
 ある日、ラジオにスイッチを入れると、脳梗塞の患者さんのリハビリに、赤色のモビールを吊るすと表情がたくさん出てきたと聞こえてきました。帰宅した家族にこの話をしました。
「まぁちゃんには、絵本とかいいんと違う?」と長男が。「声は聞こえているみたいやしなぁ」と主人。「まぁ坊には、綺麗な色使いの絵本がいいな」と長女が。
 目が見えているのが、どれ程なのか分からなかったのを理由に、絵本を見せるなんて考えもしなかった私でした。
 さっそく、本屋へと向かいました。数ある本の中、色鮮やかな絵本が目に入りました。
 フランスの作家が書いた、リサとガスパールの絵本でした。白と黒のうさぎの様な動物が赤色や黄色の背景の中で、大きく描かれこれなら……と、その本に決めました。
 わくわくしながら持ち帰りました。
「まぁちゃん、ほらっ」
 本をジィと見つめ、目を右、左と動かしました。ページをめくると、大きな目がさらに大きく目が開きました。ボーッと空間ばかり見ていた次男に一つの変化がありました。
 その日から、家族の読み聞かせが始まりました。ある日、「おーしまい」と本を閉じると泣き出したのです。えっ? と思い、再び本を開くとピタリと泣き止み本を見つめました。
「まぁちゃん、本まだ読むの?」「もう一つ読もうかー」。私と次男との初めての会話が成立したのでした。家族も次男の反応が嬉しくて、一度は本を閉じます。泣き顔になりそうな次男の顔を見て、
「よーし、もう一個読むよ」
 なんともいえない嬉しそうな表情の家族でした。
 何ヶ月か経ち、ある日、「本読もうかー」と私が声をかけると、にっこりとほほ笑みました。
「笑ってる? 笑ったよね、まぁちゃん」あわてて聞いた私。また笑顔の次男。
「まぁちゃん笑ったよー」
 私が叫び、家族がベッドに駆け寄った。
 目が、口元が、ほっぺが、ふんわり。優しい笑顔が目の前にあり、皆が高揚した声をあげ大騒ぎとなりました。次男が誕生し初めて家族全員で笑った瞬間でした。幸せでした。
 この話を、外来受診の時先生にすると、脳のCT検査をしてみようという事になりました。後日、結果を聞きにいくと、なんという事でしょう。次男の頭に新しい脳の存在が写っていたのでした。今まで検査では、まっ黒の画像だったのが、白く脳が浮き出ているのです。先生もびっくりしました。
「だから、表情が豊かになって来たんや。みんなの読み聞かせの成果や」
 そう言って誉めて下さいました。読み聞かせは、次男の日々の生活を何倍にも豊かなものに変えてくれました。
 好きな本、音楽、お風呂、ごはん。
 きらいな注射にシャンプー。生活の様々なシーンで、いろいろな表情を見せるようになりました。次男のそばで、私は、この子は生き楽しめている事を実感しました。幸せでした。
 十五才の冬、次男は天国へ旅立ちました。
 遺影は、にっこり笑う写真にしました。多くの方が、充実した幸せな時間を重ねられたんですねと、声をかけて下さいました。私たち家族は、出会えた本に感謝の気持ちでいっぱいになりました。まぁちゃんと私たちに楽しい時間を、いっぱいプレゼントしてくれた本に心から有難うです。
 本には、力とエネルギーを感じます。そして多くの可能性を引き出してくれます。家族は、時に応じて自分に合った本を手にするようになりました。読み、又、前を向き歩き出しています。私も出会えた本と共に、豊かな時間を重ねて行きたいです。そして、旅立つ日まで、見い出してくれた可能性に挑戦していきたいと思っています。
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