「この空間のどこかに」

 「じゃ、二時間後に、ここで」

 満面の笑顔で手をヒラヒラと振りながら、ついさっき会ったばかりの二人は別れる。
 それが私たちのお決まりのスタイルだ。
 梅田には、大型書店がいくつもある。私たちがいつも待ち合わせに使っているのは、ビルの一階から三階までが約八十万冊の本で埋め尽くされている超大型書店。「ここで見つからない本はない」と思うほどの大迫力だ。
 地方出身で、駅前まで行かないとある程度の種類が置いてある本屋がない、という環境で育った私には、梅田は天国のようなところだった。
 まだ彼のことを良く知らなかった頃、私は本屋デートを楽しもうと一生懸命だった。
 彼が向かう難しそうな法律書のコーナーや、あまり興味のない日本史のコーナーにも、よろこんでついて行った。
 (そっか、こんなことに興味があるんだ)
 と、彼がおもしろいと思うことの一部を知れたような気がして、とてもうれしかった。
 彼もまた、私の本選びにつきあってくれた。どうせならかわいい女の子に思われたいと、おしゃれなカフェを特集した雑誌などを手に取った。我ながら健気にがんばったと思う。
 そんなことを数回続けた頃、彼が
「今日は少し、自由行動にしてみる?」
 と提案してくれた。
 迷った。
 彼はずっと前から憧れていた先輩だった。「本が好き」という共通点から、このごろようやくかすかにつながることができたのだ。
 本屋での時間は、憧れの人と過ごせる貴重な機会。それを削ってしまっていいものか。
 でも私は結局、しばしの解散を選んだ。
「じゃ、ここで。三十分後に」
 彼はにこっと笑うと、これまで行かなかった方向へと、あっという間に去っていった。
 (あの先には、どんな本が置いてあるんだろう?)
 一瞬、そんな気持ちが頭をかすめたけれど、私も急がなければならなかった。何せ、自由時間は三十分間。見に行きたい書棚、探したい本は山のようにあった。
 大好きな太宰治や夏目漱石の小説、食べ歩きに使えそうなくいしんぼうマップ、そして、この頃ずっと気になっていた「占い」のコーナー。まさか本人の前で相性占いをするわけにはゆくまい。
 走るようにいくつかの棚を見て、大急ぎで約束の場所へ戻ると、彼の顔に気持ちがばっちりかいてある。
「もうちょっと見たかったな、ですか?」
「う、うん。まあね……」
「私もですよ」
 再会してすぐに解散。今度は一時間後。
 そんなことを重ねていくうちに、私たちにとってベストな「自由時間」は二時間だとわかった。お互いに本の虫なのだ。一人で本を吟味したい気持ちはよくわかる。
「どんな本を見たか」「どのコーナーへ行ったか」を相手に聞くのはご法度だ。それでは自由時間の意味がない。
 そして、どんなに「この本はいい」と思っても、相手に読むことを強要しないこと。これも大切なルールだ。
 もちろん、「こんな本があって、こういうところがおもしろかったよ」と自分から話すのはОK。でも、読むか読まないかは、聞いた本人次第。強制はしない。
 こういうふうにしようと確認しあったわけではないけれど、自然と二人の間でそんないくつかのルールが出来上がっていた。
「それって本当にデートなん?」
 と、友人は『会って即解散』の二人に首をひねる。それならはじめから一人で本屋に行けばいいのでは? と。
 でも、違うのだ。この空間のどこかに私と同じく本の世界を楽しんでいる彼がいる。それが幸せなのだ。私たちは「この楽しかった時間」をずっと共有して生きていける。
 ほどなく彼は私の夫になった。
 まだ新婚だった頃、私はちょっとした身体の不調から、入院することになった。母が新幹線に乗って世話に来てくれたけれど、入院が長期にわたったため、地元に帰って行った。母にも帰りを待っている家族がいる。
 すると頼りになるのは夫だ。彼は毎日、忙しい出勤前に私の病室(個室)を見舞ってくれた。洗いたての着替えと共に、気分転換になるよと本を置いていく。
 『項羽と劉邦』『論語入門』。どれも私が手を取らないものばかり。主人が病室を出た後、彼らしいなとクスクス笑いながら読んだ。
 私が自分が読む本を人に選んでもらったのは、この入院期間を除いて一度もない。
 あれから十三年。今日も私たちは本屋に来ている。父親そっくりの十歳の娘が言う。
「じゃ、三十分後に集合ね」
 お目当ての本へと向かう背中が弾んでいた。
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