「我が家のじぷた」

 息子は、四月一日に生まれた。早生まれの中でも最後の日。つまり、学年で一番誕生日が遅いことになる。

 大人になってしまえば、たった一年の違いなどいくらでも埋められるが、小さい頃はそう言うわけにもいかない。何しろ、息子がオギャーと産声を上げた時、同級生の中にはもう、自分の足で立って歩き、言葉を話す子だっているのだ。
 保育園に通い始めると、誕生月の早い同級生との差は歴然だった。まだオムツをしている息子の隣で、早い子は自分でパンツを脱いでトイレに行くことができた。教室の壁に飾ってある絵は、まるで大人と子供くらい出来栄えに差があったし、運動会では、頭一つ分大きい同級生とかけっこをして、いつも一番最後にゴールするのだった。
 親としては、成長と共に少しずつ、お友達に追いついてくれることを願ったが、それよりも先に、理解力の付いてきた息子は、同級生に対して引け目を感じるようになっていった。
 「はるくん、一生懸命走ってもいっつも一番最後だし……」
 「はるくんのひまわりが、一番下手くそ……」
 その度に、息子が自信を失わないよう、どんなに小さなことでも褒(ほ)めて励まし続けてきた。
 しかし保育参観の日、「はるくんはまだ小さくてできないから、この遊びには入れないよ」と、お友達に言われている息子の寂しそうな姿を見た時は、さすがに切なさが込み上げてきた。一つ学年が下の、隣のクラスを眺めながら、「あと一日遅く生まれていれば、この子はもっと輝けたのかもしれない」などと、不毛な思いに駆られたりもした。
 そんな息子が、保育園の絵本貸出しの度に何度も借りてくる本があった。『しょうぼうじどうしゃじぷた』だ。最初は、「やっぱり男の子は、働く車が好きなんだな」くらいに思っていたが、あまりに何度も借りてくるので、そのうち息子は「じぷた」に自分の姿を重ねているのかもしれない、と思うようになった。
 「じぷた」のいる消防署には、高圧車の「ぱんぷくん」、はしご車の「のっぽくん」、救急車の「いちもくさん」という仲間がいる。大きな火事の時には三台揃って大活躍で、町の子どもたちからも人気があった。じぷたは、そんな仲間たちのことをいつも羨(うらや)ましいと思っていた。古いジープを改良したちびっこ消防車のじぷたは、活躍の機会が少なく、消防署の仲間や子どもたちからも、いつもバカにされていたからだ。
 しかし物語の終盤、山小屋で火事が起こった時、真っ先に駆けつけることができたのは、小型のじぷただけだった。見事に火を消し止めたじぷたは、その存在意義を認められ、町の人気者になっていった。
 息子がどのくらいこの物語が伝えたいことを理解しているのか分からなくて、「じぷたは小さいけど、ちゃんとみんなの役に立てたんだね」とか「仲間のこと羨ましいと思ってたけど、じぷたにしかできないことがあったんだね」と息子に確認したかったが、いつもあえて言葉にはせず「お母さん、じぷたのこと大好き」と言って、幼い息子を抱きしめた。
 あれから数年が経ち、未だに小柄な息子だが、誰にも負けないと誇れるものができた。
お父さんの影響で始めた野球だ。0歳でボールを握り、物心ついた頃から毎日、バットを振り続けてきた。
 今年の夏、早稲田実業の一年生スラッガー、清宮くんに湧いた甲子園。その中継を見ながら息子がこんなことを言った。
 「僕が高校一年生の夏、甲子園の打席でホームランを打ったら、文句なしの最年少記録だよね」
 その言葉に、頬をぶたれた気がした。
 「いつかは追いつく」と、息子にも自分にも言い聞かせてきたが、息子は端から追いつく気などなかった。誰かに追いつくのではなく、自分にしか描けない未来をしっかりと見据えていたのだ。
 じぷたが伝えたかったことを、本当に理解していなかったのは、私の方かもしれない。母が余計なことを言わずとも、息子の心は確かに、絵本の中のじぷたと繋(つな)がり合っていた。  
 期待を裏切らない清宮くんの特大アーチは、幼い息子との愛しい日々と、その中で出会った素敵な絵本の思い出を鮮やかに蘇らせてくれた。そして、成長した息子の頼もしい言葉に、数年後、あのバッターボックスに立つ姿を想像せずにはいられなくなった。
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