日本俳句 提名申遗

二十数年前、米国で作家志望の若者に俳句の決まりごとを細かく尋ねられ、季語や切れ字の説明に難渋した。「米国に自称詩人は多いけど俳人には会ったことがないから」。日本のアニメや映画に比べると、浸透度はいかにも低かった。

 
二十几年前,我曾在美国遇到一个怀有作家梦的年轻人问我写好俳句的诀窍,但 “季語”(在俳句中表示季节的词)和“切れ字”(俳句专用结尾词)的说明非常艰涩,令我无从下手。“在美国有很多自称诗人的人,但我却没遇见一个俳句诗人”。与日本动画片和电影相比,其渗透度非常低下。
 
内外の愛好家をつなぐ国際俳句交流協会によると、近年は状況が変わりつつある。自国語で俳句を詠む人が増えた。一説に50カ国200万人。最も有名なのはファンロンパイ元ベルギー首相だろう。〈雲流れ/満月と暗い空/明と暗〉。
 
据联系国内外爱好者的国际俳句交流协会说,近年来情况正在改善。用本国语言吟诵俳句的人多了起来。有种说法称现有50个国家近200万人。最有名的莫过于比利时前首相范龙佩的诗作“雲流れ/満月と暗い空/明と暗”(流云,满月与暗夜,光明与黑暗)。
 
国内の主な俳句4団体がユネスコの無形文化遺産登録をめざして名乗りを上げた。きのうの会見では、発起人の有馬朗人元文相が「俳句は自然と共生する文学。世界に広がることで平和につながる」と訴えた。
 
国内主要的四个俳句团体申报了联合国教科文组织的非物质文化遗产。在昨天的记者会上,发起人原文部大臣有马朗人说,“俳句是与自然共存的问题。通过在世界上传播能带来和平。”
 
むろんハードルは低くない。他言語に翻訳されて俳味が伝わるのか。音韻や語調の妙が消えないか。季節感は土地により異ならないか。短歌や川柳は置きざりにされるのか……。
 
当然,传播的难度并不低。翻译成为他国语言后能否保持俳句的味道呢?音韵和语调的感觉是否会消失呢?季节感会不会因为地方不同而改变了呢?短歌和俳句是否会被仍在一边呢?
 
それでも、一瞬をきりとる各国の短詩文芸がHAIKUという語で呼ばれるようになれば御の字ではないか。時代や人により様々な解釈を許す懐の広さが俳句の持ち味だろう。無季でも、自由律でも、単なる3行詩でも、俳句の友として受け入れたい。
 
即便如此,如果各国专注于一瞬间感觉的短诗文艺都能被称为“HAIKU”,那不就是大成功吗?因时代和人变化而允许多种解释的广阔胸怀就是俳句的本质。即便没有季节,即便是自由韵律,即便只是单纯的三行诗,作为俳句爱好者,我还是希望能接受这一切。
 
事務局は三重県伊賀市が担う。芭蕉の出身地だ。旅立ちを鼓舞する一句が市庁舎にはためく。〈いざさらば雪見にころぶ所迄(ところまで)〉。さあそれでは雪見に参ろうか。転べば転んだときのこと。臆せず歩もう。俳聖の里の心意気である。
 
相关的办事处设在三重县伊贺市。这是松尾芭蕉的故乡。在市政府,张贴着一句鼓励人们踏上旅途的俳句,“いざさらば雪見にころぶ所迄”(为了看雪,愿历经考验)。那么,我们是否愿意去赏雪呢?不要畏首畏尾,让我们勇敢地迈出步伐。这是俳句圣人最真诚的心意。
分享到:
赞(0)