『日本を読む』 19

熟年離婚

 
 第二次大戦後、日本はアメリカの影響を強く受け、アメリカで起きた諸現象が何年かあとで必ずと言っていいほど日本でも起きる。アメリカでは以前から離婚が多く、大きな社会問題となっていたが、最近日本でも同じ現象が起きている。ここ数年特に目立つのは、熟年離婚、すなわち、40代後半や定年間近の50代の夫婦の離婚である。熟年離婚にはいくつかの特徴がある。
 
 まずはじめに、夫婦の間で離婚を問題にしはじめるのが妻の側である、ということである。江戸時代、結婚した女性はどんな理由があっても自分のほうから離婚することはできず、どうしても離婚したい場合駆け込み寺に逃げ込んで3年間尼としての生活を送って夫から自由になるしか離婚する方法がなかった。明治時代になると、法律上は女性も自由に自分の方から離婚できるようになったが、夫が一方的に離婚を求めるのが普通であった。しかし、現在は、当然社会のなかでの女性の地位が向上したことと関係があるのだろうが、熟年離婚の場合、主導権を握るのが妻のほうである。ある日突然妻が、「あなた、もうあなたとは一緒に暮せません。別れて下さい」とか、「あなた、今までいろいろお世話になりました。でも、もう一緒にやっていけません。離婚しましょう」とか言い出し、夫が驚くというのが特徴である。
 
 次に、第二の特徴は、妻から離婚を求められる男性には、「会社人間」が多いことである。「会社人間」というのは、自分の人生で会社が最も重要で、会社のために滅私奉公するタイプの人間である。非常に真面目で家庭を犠牲にして会社のために尽くすような男性がこれにあたる。これらの男性は、自分では家族を養うために残業をし、夜遅くまで客の接待をしながら一生懸命働いている、会社のために休日も返上して接待ゴルフなどに出かける、と思っている。ところが、妻にとっては、それらはマイナスの要素にしかならない。妻の側から見れば、普通の日、夜遅くまで帰らないし、休日も家にいないのは家庭を無視していることになるし、子育て・子供の教育を放棄していることになる。つまり、夫は会社の仕事に使う時間が増え、家族という時間が短くなればなるほど、家庭内での妻の負担が増加するのみか、妻の不満が大きくなるわけである。
 
 財政的に妻が夫に頼らなくても離婚がしやすい状況にあることも熟年離婚の特徴の一つである。最近は以前と比較して女性が社会に出て仕事をする機会が多くなってきている。妻が自分の仕事を持っている場合、離婚しても夫の助けなしで生活していける。また、専業主婦にしても、今ではパートの仕事がいくらでもあるし、夫の退職金で新しい生活設計を作ることができる。最近増えているのは、夫の定年と共に離婚を言い出す妻が多いことである。夫が社会に出て家族のために働いているのは確かであるが、夫のいないあいだ家庭の仕事を全部しているのは自分である、夫が仕事に専念できるのは自分が家庭を守っているからである、と妻は考え、夫が退職金をもらった時、退職金の半分は自分に権利がある、と主張する。このように、自分の仕事を持っている場合はもちろん、専業主婦の場合でも離婚しやすくなってきている。
 
 最後に、最も重要なのは、妻の「生きがい」との関係である。昔は、「小さい時には父親に従い、結婚したら、夫に従い、年をとったら、子供に従え」というように一生の間誰かに従うのが美徳と考えられてきた。ところが、最近は、女性解放運動の影響や女性自身の自覚から女性の地位が向上し、「女性はどう生きるべきか」、「女性自身の生き方を求めるにはどうしたらいいか」などということが大きな問題になっている。夫は55才か60才になると定年になるが、妻には一生定年がない。死ぬまで子供や夫の世話ばかりしているのでは誰のための人生かわからない。子育てが終わり、夫も定年になり、さて自分はこれからどうしたらいいだろうかと考えた時、当然自分のこれからの生きがいについて考えないわけにはいかない。青春時代に、「私は何のために生きているのだろうか」とか「人生とは一体何なのだろうか」などと悩んだ経験は誰にでもある。この時期を「思春期」というが、4、50才になって、「私の人生は何だったのだろう」とか「私の本当の生きがいは?」などと考える時期を「思春期」をもじって「思秋期」とよぶ。このような言葉が熟年離婚に関して最近使われ始めてきた。
 
 現在熟年離婚の数はそれほど多くはないが、将来増加する可能性がある。家庭を犠牲にして経済大国日本のために一生懸命働いてきた4、50代の男性にとっては頭痛のタネになろう。しかし、この問題は、夫婦間の問題だけではなく、深刻な社会問題でもあるので、これから結婚する若者も、現在結婚している2、30代の人々も真剣に考えるべき問題である。
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