【桐壺篇】光源氏の誕生(一)

◆ 光源氏の誕生

 
(一)
 前(さき)の世にも、御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男皇子(をのこみこ)さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる児(ちご)の御かたちなり。
 
 一の御子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづき聞こゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物(わたくしもの)に思ほしかしづきたまふこと限りなし。
 
 母君、初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際(きは)にはあらざりき。覚えいとやむごとなく、上衆(じやうず)めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びの折々、何事にも、ゆゑある事のふしぶしには、まづ参(ま)う上らせたまひ、ある時には大殿籠(おほとのごも)り過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前(おまへ)去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽(かろ)き方にも見えしを、この御子生まれたまひて後は、いと心ことに思ほし掟(おき)てたれば、「坊にも、ようせずは、この御子の居たまふべきなめり」と、一の御子の女御は思し疑へり。人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひ、なべてならず、御子たちなどもおはしませば、この御方の御いさめをのみぞ、なほわづらはしく心苦しう思ひ聞こえさせたまひける。
 
(現代語訳)
 
 帝と更衣は、前世でも御宿縁が深かったのであろうか、世にたぐいのない美しい玉のような皇子までがお生まれになった。帝は、早く早くとじれったくおぼし召されて、急いで参内させて御覧になると、たぐいまれな若宮のお顔だちである。第一皇子は、右大臣の娘の女御がお生みになったので、後見が確かで、まちがいなく皇太子になられる君だと、世間でも大切に思い申し上げているが、この若宮の輝く美しさにはお並びになりようもなかったので、第一皇子に対しては並みひととおりのご寵愛ぶりであって、この若宮の方をご自分の思いのままにお可愛がりあそばされることこの上ない。母の更衣は、元来、ふつうの宮仕えをなさるような軽い身分ではなかった。世間の評判もとても高く、貴婦人の風格があったが、帝がむやみにお側近くにお召しあそばされ過ぎて、しかるべき管弦のお遊びの折々や、どのような催事でも趣ある催しがあるたびごとに、真っ先に参上おさせになった。ある時には、いっしょに寝過ごしなさって、そのままお側におおきになるなど、むやみに御前から離さずに御待遇あそばされるうちに、自然と身分の低い女房のようにも見えたが、この若宮がお生まれになって後は、更衣のことを格別にお考え定めあそばされるようになっていたので、「皇太子にも、ひょっとすると、この若宮がおなりになるかもしれない」と、第一皇子の母女御はお疑いになっていた。このお方は誰よりも先に御入内なされて、帝の大切にお考えあそばされることはひと通りでなく、ほかの御子たちもおいでになるので、このお方のご苦情だけは、さすがにやはり、うるさいが無視できないことだと、お思いあそばされた。
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