贋食物誌60

     60 番茶㈫

 
 
 結城昌治は、私の顔が柳家三亀松に似てきた、と幾度もいう。しかし、結城の頭にあるのは、五十歳前後の三亀松だろう、とおもう。
 亡くなる前の四年ほどのあいだに、三亀松とは何度か会っている。奇抜な話ばかりして面白い人物だったが、顔つきは穏やかで隣りのポチのような感じもあった。
 小島貞二さんにいわせると、晩年の三、四年は、三亀松はすっかり人が変っていたそうである。そして、小島さんの会ったなかでの超Aクラスの奇人は、この人物だった、とその女性遍歴の発端を話してくれた。
 十代のころの三亀松は、本所深川の木場《きば》で川波(いかだのり)をやっていた。この仕事は午後二時ころまでは忙しいが、あとはヒマになる。遊び人が多いから、いろいろ道楽をやることになる。
 三亀松は清元のお師匠さんのところに習いに行っていたが、そこで三味線をひいていたのが二十三、四のきれいな姐《ねえ》さんだった。
 夏のころ、洲崎(遊廓)へ遊びに行こうと歩いていたら、道でその女に会った。
「オヤ姐さん」
「アラ亀さん。おまえさん、筋がいいよ。どうだい、いまからあたしがさらってあげるから、おいでよ」
「だけど姐さん、レコがいるでしょう」
「きょうはいないの。あたし一人だから……」
 路地をあちこち回って、見越しの松に黒板|塀《べい》という家に入った。一段さらって、
「おまえさん、筋がいいよ。しっかりおやり。これから、どこへ行くんだい」
「洲崎だよ」
「十二時ころまで遊んでおいで、大引《おおび》けは二時だろう」
 などといっているところへ、ザッーと雨が降ってきた。やらずの雨である。となると、行き着くところはきまっていて、
「亀ちゃん、おまえはだかにおなり」
「姐さんだけ着物のままじゃ、ずるいよ」
「あたしがはだかになって、あんた、驚かないかい」
「驚くもんかい」
 着物を脱ぎ捨てて全裸になった女をみると、全身の彫りもので大蛇がまっ白い肌に巻きついている。臍《へそ》の下に頭が彫ってあって、赤い舌が女陰を舐《な》めようとしていた。
 このとき、三亀松は十七歳くらいで、童貞ではないがまだウブなところがある。
 驚いているうちに、女に腰が抜けるくらいオモチャにされていると、表の戸がトントン……。
「姐さん姐さん、こんばんは」
 この女は深川の大親分に囲われていて、監視役の若い衆が入ってきた。
 女はいそいで三亀松を押入れに隠したのだが、フンドシが畳に落ちていてバレてしまい、ほうほうのていで表へ逃げ出した。そこからが、常人と違うところで、外から家の中の様子を覗《のぞ》きはじめた。
 家の中では、若い衆がいまの始末を親分に報告するぞ、と女に迫っている。女もただものではなく、パシッと男の横面をひっぱたいて、
「おまえが口説いたことを、親分に言ってやるよ」
 若い衆は青くなって退散してしまったので、ザマミロと溜飲《りゆういん》をさげて、洲崎へ出かけた。腰が抜けるほどになったあとで、たちまち遊廓へ行くのだからおどろく。
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