贋食物誌62

     62 ひじき

 
 
 銀座のバーで飲んでいると、顔馴染《かおなじみ》の流しの楽隊が近よってきて、私の耳もとで、
「ウメボシ、ウメボシ」
 と言った。何のことやら分からず、悪口かなとも勘ぐったが、その気配に親愛感があって、うまく判断ができない。その後またそのバーで、その男が、
「ウメボシ」
 と、ささやく。
 今度は問い返してみると、その半年ほど前に発表したヒジキについての随筆を読んで、それを言っているのであった。分からなかったのが、当り前である。
 ヒジキはきわめて安価なもので、昔はよく刑務所のオカズに出された、と聞く。
 言うまでもなく海草の類だが、やや波の荒い海岸の岩に付着して生長してゆく、という。漢字では鹿尾菜と書く。ヒジキとかキリボシ大根とかシラスボシなどは、いかにも、お惣菜《そうざい》という感じの食べ物である。ホテル住まいを一カ月もつづけるときには、無闇に食べてみたくなる。
 以前、そういう羽目になったことがあって近所を探すとコンニャクとか塩鮭などを食べさせる店があった。値段の高いだけあって、お惣菜という料理にはなっていない。それでは気が済まず、裏街でバーテンや流しの楽隊などが食事をする小さい店を見つけた。その店では、ヒジキの煮たのもあった。このヒジキをもうすこし旨く食べる方法はあるまいか、と考えて、その方法を含めて新聞に随筆を書いたのだ。
 私の育った東京の家には、祖父と別居している祖母がいた。その上、足腰の立たない病気になって、いつも部屋に敷きっぱなしの蒲団に坐っている。そういう状態のときにはヒステリーになりやすいのだろう。可愛がってくれるかとおもうと、子供ごころにも筋道の立たないとおもえる叱り方をする。
「おばあさん子は三文安い」
 という諺《ことわざ》をしばしば口にして、きびしく躾《しつ》けると称し、足がたたないので長いモノサシで私を殴ろうとしたりする。
 台所はこの祖母の支配下にあって、その食物の好みがいかにも婆さん風で、コウヤ豆腐とか湯葉とかヒジキなどを好む。
 時折、家に帰ってくる放蕩者《ほうとうもの》の父親が食卓をみて、こんなものを育ち盛りの子供に食べさせてはいけない、と言い争いになる。
 父親は気が向くと料理をつくり、なかなかの腕前であった。牛の腿肉《ももにく》を材料にして、白いシチューなどをつくってくれる。これは息子に対する親切というより、むしろ婆さんと喧嘩《けんか》したあげくの厭《いや》がらせのようなものなのだが、これらの料理がひどく旨かった。
 子供のころの舌は感激しやすいから、いま食べてみたらどうか、やはり旨いような気がする。その白いシチューのつくり方は分からないが、おそらくブドウ酒と香辛料の使い方にコツがあったのだろう。
 ヒジキの煮方については、そのころの記憶があったのか私自身の発案なのか、よくおもい出せない。
 その方法は、ほんとうのところは、どうでもいいのだ。各人の好みや家風に従えばよい。
 味醂《みりん》をつかい、アブラゲを細かく刻んだものと一緒に、甘辛く煮ても一向構わない。私の場合は、上等のカツオブシを削り、引き上げずにそのまま煮こむ。ミリンも砂糖も使わないショウユ味である。
 一つだけコツがあって、梅干をいくつか丸いまま投げこんで煮る。最後には、この梅干は捨ててもよい。それが底味《そこあじ》となる。
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